第32回風船一揆

2008年02月16日 風の戯言


 バリから帰ったら、柏崎は今年一番の冷え込み、とか。30度を超える温度差は老体に堪える。
 あれこれと時間が過ぎて来週は「第32回風船一揆」。仕掛け人という立場で読売新聞の取材を受け、古い話を思い出しながら2時間も話し込んでしまった。話し切れないいっぱいのことが思い浮かび、夢中で過した自分の青春時代? 当時もう30歳を過ぎていたけど、俺にとって正に青春時代の真っ盛りではあった。多くの仲間達と同じ夢を追いかけられたのは、今考えても豊か過ぎるほどのいい時間だったと思う。
 まだ思い出の中で過すには早すぎるけれど、あの頃が今の自分を支えているのだろう。
 来週は小千谷の雪原で、ビールでも飲みながら大勢の仲間達に合いたい。太平洋で行方不明になった神田道夫さんの情報も聞かれるだろう。もう生存は期待できないだろうが、せめて情報だけでも欲しい。

バリ

2008年02月14日 風の戯言


 身体の中を吹き抜けてゆく風に時間を預けて波を眺めていた。バリは雨季で、曇り空の日が多く時折雷を伴った大雨がベランダまで吹き込んでくる。
 インド洋から寄せる波は激しく、海岸は茶色に濁っていた。夕陽が見たくてジンバランに宿を取ったのに、残念ながら血の騒ぐような夕陽にも恵まれなかった。
 それでも、慰めるように広がる青空はやはり素晴らしく、怒りが次第に溶けて行くのがわかる。やはりこの旅はよかったのだなと思う。
 
 穢れは「ケガレ」気力が欠けてくることを言うらしい。疲れが込んで気力が失せて本来の活力がなくなったとき、「ハレ」と呼ばれるお祭りのバカ騒ぎで、モヤモヤとした「ケガレ」の本体を吹き飛ばしてしまう。民俗学では、集団が生きる為に必要なのその行為を暖かく見つめている。
 一躍有名になった岩手県奥州市水沢区の黒石寺の蘇民祭も、ニューギニア高地人の祭りも、無意味に近い人生を生きる為の人間の知恵なのだろう。人は理性だけでは生きられない。なまじ中途半端な脳を持ったがための悲劇を、時には先祖の動物に戻って出直すことで、生きる力を再生しているのだと思う。
 現代人は、バカ騒ぎをしなくなって詰まらなくなった。常にキンチョウし、人にもそれを強い、純粋理論が欺瞞を増殖しているように思える。人間はまだまだ動物の方に近いはずなのだ、と思う。

 今日は夕方から新潟大学で前原子力委員会委員長藤家洋一先生の「地球環境に調和したエネルギー文明論-自然に学び、自然を真似るエネルギー-」を聴講してきた。人間が、自然に存在する「火」を使うことが出来るようになってから動物から別の生き物になってしまった。現在目に見えない原子力を使うようになって、人間は今度は何処に行こうとしているのか、講義を聴きながら不思議な気分になった。

社長の有給休暇!

2008年02月06日 風の戯言

 2月1日から弊社?創風システムの第21期が始まった。経営理念、経営方針はそのままながら、今年は経営品質の独自能力と社員満足とを優先することになった。
 労使連絡会社員側委員の方から「5年10年15年のリフレッシュ休暇」が要望事項として揚ってきたので、早速20年を追加してもらい、休みも100日でどうかと提案している。
 まぁ、そんなことで20年目の有休休暇は前後の日程の都合で7-13日になった。100日は権利として確保しておきたい。

 なんていいながら、荷物をケースに詰めていると頭は完全に「バリモード」になっている。予定としては午前中は診療所に通って点滴をしながら検査、これは毎日。午後は浜辺でバリマッサージとビールと昼寝、これも毎日。夜は友人家族とリッツカールトンでゴージャスな宴会、これは毎日ではない。屋台バーベキューや市内のトロピカル・レストランはまた魅力。地元の評判の店だからいろいろな人たちがいて、ビールおごったりしている内にみんな無二の親友になってしまう。

 今回もジャカルタ、インターコンチネンタネホテルの1回で市内では有名な「タケノコ診療所」を開院している。他に2ケ所、その内の一箇所がバリで、イメージとしては私の老後の家庭医を目標にしている。日本人スタッフも多く何の心配も無い。柏崎市田中出身の人いたりする。嬉しいね。

 身体がバリを要求するときは、もう殆ど余力を残していない。飛行機にずり込むように乗り込み、エンジン音で頭が徹底的に休まりバリに付くころにはビンビンになっている。ところが、バリには特別の磁力線が感じられ、否応なしに「ものぐさ」になる。この磁力線がピタッと来ると、もう現地化が始まってしまう。
 何はともあれ、土産をいっぱい詰めて、明日行ってくることになった。

節分の夜に

2008年02月03日 風の戯言


 あっという間に節分の夜を迎えている。平岩弓枝の「新・御宿かわせみ」を読んでいたら「元旦の後に節分が来るなんて聞いたことネェ」とあり、明治6年に改暦された時の混乱が人の暮らしを戸惑わせたのだろうなと思った。
 調べてみると成る程、7日が旧暦の正月だった。実は7日、バリに行くのだが旅行社が「春節」云々と言っていた。忘れていたわけではないが、歳のせいか、何かどうでもいい、って言うか重要度の認識が薄くなっている。一歩幸福に近づいた? 
 この歳になっても一人旅はいいもので、言葉の通じない世界ってやはり嬉しいもんだ。飛行機と宿さえ決まれば、後はそれほど重要性のあるものは少ない。最低限の食事は、大体指差せばいい。手は口ほどにモノを言う。買い物は基本的にしない。大体面倒臭いし、欲しいものがない。若い時から貧乏にせいで、何が何でも「欲しい」と言うものがなくなった。いや酒と色気はまだ・・・。

 久し振りに中村天風を読んでいて葉隠れの一節「武士道とは死ぬことと見つけたり」を「武士とはいかなる時にも、生きて生きて生き抜く術を学び身に着けて、自己の人生を志と共に全うする時、死に対する恐怖心が消滅すること教えている」と解説していた。改めて考え直している。
 死に対する恐怖心は不思議と少ないが、何が何でも生き抜くと言う気概も不思議と無かった。「自分の人生を志と共に全うする時」とは何だろう。周囲を見て「公共性」と「成熟性」が悲しむべき状況にあることは知っている。「無責任と我欲」だけが強く、調和を欠く「KY」の人が多くなった。
 コミュニケーションの基本なんだけど、ね。「自分を変える」という人生の中の一番の幸福を取り逃がしているんだろうね。
 要は、もっと勇気を持って生きてみろ、ってことなんだろ、早く言えば。

 写真は「盛来軒」のラーメン。本当は「支那そば」と言ってもらいたいのだが・・・柏崎人の味の原点・・・特に俺にとって、だが・・・。うまかった。
 

創風 20年

2008年01月31日 風の戯言


 今日、1月31日、創風システムの第20期が終了した。
 45歳、建設現場から情報産業に転じ、有限会社設立の300万円も自力で用意できなかった起業時を考えれば、コンピューターとネットワークの勃興期に兎にも角にも20年生き延びてきたことはもっと自慢してもいいような気がしてきた。
 そしてそのことが可能だったのは、嘘偽りなく人の温さと信頼のネットワークだったことに今更ながら感動する。
 素晴らしい社員達と、忍耐強く私達を育ててくれたお客さん、どんな時にも勇気付けてくれた友人達、そして家族と兄姉、姪と甥と、コロとラン、そして八石の山波の美しさ、まだまだ多くの人たちが見守ってくれていたことを俺は忘れたことは無い。社長室には小さな仏壇があり出社時と退社時は水を供え手を合わせている。時に「助けてくれ」と叫びだしたい時もあるけれど、普段は嘘偽りのある生き方をしてないぞ、との確認だけ。それがどれほどの意味のある行為なのか分らないが、今は習慣になっている。
 まだまだボロクソだが、やがてみんなから「よかった」と言って貰える会社になりたいと思う。

 今日八幡開発社長の飯塚悦平さんと久し振りに酒を飲んだ。彼から夏目漱石の「四人称」の話を聞いた。?っ感じだが、自分の思考や行動を見つめているもう一人の自分、と言うことらしい。調子に乗ってバカなことをやっていると、後ろ頭の方向から「おいおい、いい加減にしろ」と叱責を飛ばすもう一人の自分、それがそうなのだという。
 人生、変なもんだが、生きていることのそれなりの充実感はある。軽やか、ではあるが・・・。