南天の月

2006年05月15日 風の戯言


 夜の庭に出ると散り始めた八重桜の花の南天に月が輝く。満月を過ぎたばかりの月明かりは物思いに耽るに丁度いい。

 社長業は当然のことながら自分の会社の業績が最優先の問題だ。業績を上げ継続的に成長できる仕組み、それさえ出来れば大半の仕事は終わる。成長できる仕組みとは社員が精一杯に活動できる人事考課システムなのだろうと思っている。それだけではないが、組織を活性化する仕組みが最重要な課題だ。自分が抱え込んだ社員の生活が、厳しくとも豊かであるように自立の道を探らねばならない。この時間もあれこれ考えて眠れないでいる。

 地域に根を下ろして活動していると会社経営とは別の仕事が舞い込む。自分の能力を考え断れば良さそうなものを、グズグズと溜め込んでしまう。いい性分とは言えない。
 市の長期計画、産業大学の未来等自分の力ではどうにもならん。余計なお世話が仕事を増やしている。
 味噌屋の再建、情報通信会社の経営。これは本来の業務に関係するものもあるので身を入れて懸からねばならない。
 あと業界関連の役職を幾つか、これはそろそろ身をひく必要があるのだろう。中途半端な名誉職は楽でいいけど存在意味が良くわからないことが多い。伝統、ってやつだ。

 ブツブツ言っているうちに時間が過ぎている。もう少し纏めて寝るとしよう。
 南天の月が窓の真正面に懸かっている。静かな夜だ。
 

消しゴム

2006年05月10日 風の戯言


 読売新聞10日の編集手帳に串田孫一さんの「消しゴム」の話が載っていた。
 人生とは「恥の種」「悔いの種」を撒き散らしながら生きると言うことかも知れない。様々な軽率や無知が生んだ書き損じを消してくれるのだから「消しゴム」は「救い主」なんだと言う。忘れ去る、という美徳も有難いものなのだが・・・挑戦もせずに、傍観者を決込んで評論をしているだけでは人生なんて詰まらぬものなのだろう。
 未来に賭け、行動し、挫折し自殺まで考えたときにポッと幸運が舞い込むことがある。果報は寝て待て、と言う言葉がある。やることやつたら、見苦しい動きはするな、後は天に任せろと言うことなのだ。
 ビジネスはやってみるなければ判らない事も多い。途中で諦めれば、失敗は確定する。成功するまでやる、それが成功の秘訣だとも言う。命を賭けてやる、それが男の生き様だなんてもう古いのかも知らん。
 俺は消しゴムは要らん。無様であろうとそれが俺だ、言えるようになってきた。もう直ぐ64歳、いまだ未完成。 

春の夜空

2006年05月09日 風の戯言


 新潟で少しアルコールが入り特急北越で帰柏。
 三菱商事(坂本竜馬海援隊のDNAを引く商社?)の岡本新潟支店長の講演が素晴らしかった。久々に「想い」と「ビジネス」が噛み合った話が聞けた感じがする。パーティでミーハーよろしく名刺交換してきた。
 感動が消えないまま蝋燭の光で風呂に浸かった。黒い山影の上に星が瞬いている。目が慣れてくると山の木々を月光が照らし、夜空は青みを残している。なんという美しさだろう!
 窓の下の川の音を消し去るように、蛙の鳴き声が賑やかになっている。
 春の夜空に蛙の鳴き声。田舎暮らしはいいもんだ。

ゴールデンウィーク

2006年05月06日 風の戯言


 連休を楽しんでいる。
 晴天に恵まれ風も爽やか、正にゴールデンウィーク、だの。
 ヨタヨタと庭の掃除だの肥料だのと気の向くままに纏まらない作業を楽しんでいる。もう何年もこんな休日を過ごしたことはない。疲れ果て、のめり込むようにただひたすら眠りを貪るだけの連休、だった。
 朝から庭に出て、お日様を一日中浴び、一本だけ残った八重桜を愛でながら畑の隅の傾いだテーブルでお茶を飲む。極上の時間を惜しみながら無為に過ごす贅沢を心の底から楽しんでいる。ありがとう。
 今年は畑で2匹の青大将を見た。蛇が帰ってきたのだ。きっと彼らの獲物が増えてきているのだろう。何と無く妙に嬉しい休日が続いている。ありがとう。 

友人

2006年05月03日 風の戯言


 何年振りなのだろう。
 いろいろあって、思い余り古い友人を訪ねた。古い友人と言っても彼はもう地元政界の重鎮で、じっくりと話したのはもう20数年前になる。しかし若い一時期一緒に仕事をさせて貰ったというのは一瞬にして時空を飛び越える力がある。彼の度量のなせる業なのだろう。
 柏崎の未来について少し憂慮する所があり、とは言っても一民間人が口を挟める問題でもなく、政治は選挙で選ばれた人しかやってはならないと言う自分の信条から彼の話を聞きに行ったという次第。
 価値観は変わっていなかった。1時間半があっという間に過ぎ、俺にはこんな友人が居たんだと再認識し、大いに気も晴れ晴れとし、辞してきた。感謝。