愛犬チコの物語

2006年08月31日 風の戯言

 子供の頃、家にはいつも5,6頭の犬が居た。
 家長格のチコ、シェパードのクロ、セッターのペック、雑種のロンやコロ。チコは牝犬ながら家長としての風格があった。クロは図体の大きな小心者、ペックは冗談を理解し俺とじゃれあっていた。ロンはスタイルがよく気恥ずかしそうに俺に寄り添っていたし、コロは風来坊。3人の飼い主の家を気の向くままに移動していた。
 食事と散歩は大騒ぎだったが、明るかった。昭和30年代初めの田舎の生活と風景が鮮明に蘇ってくる。

 吹雪の夜、チコが2匹の子を産んだ。1匹は既i
冷たくなっていた。死んだ子犬を、雪の中、裏の小川に捨てた。
 翌朝チコの小屋を覗いてみると母親は死んだ子犬を舐め続けていた。川の縁に落ちた子犬をチコは咥えて戻ってきていたのだ。「チコ、もう死んでいるんだよ」と子犬を取り上げようとしたら、逆らったことのないチコが低く唸り、目に一杯の涙を溜めて俺の顔を睨んでいた。チコの哀しさが身体を突きぬけ、小屋の中で俺とチコはワンワン泣きしていた。

 もう50年以上も前の、遠い昔の話だ。

 チコと、クロと、ペックと、ロンと、コロと、そうそうペスもシロもみんな集まってきて俺を散歩に誘っている。今は、そんな光景が切ないほど懐かしい。

学園都市 柏崎

2006年08月30日 風の戯言

 柏崎は残念ながら長岡の「米百俵」のような明快な教育の理念を持ち合わせていません。江戸末期、藍沢南城三余堂の隆盛は夢の中であります。

 しかしながら21世紀知識情報化時代の地域社会経営は人材の育成に懸かっています。故に、良くぞこの地に2つの大学を残してくれたものと先人達の先見に感謝するものであります。教育は百年の大計であり、古今東西変わることのない理念かと思います。
 私達はこの激動の時代を子供達の教育と、この教育環境を育成し未来の子供達と地域の繁栄に繋げたいものと熱望しているものであります。

 未送信のメールが残っていた。
 整理し、新聞に投稿してみたいと思っている。

母親

2006年08月22日 風の戯言


 母親の名前を、大学卒業まで知らなかった。
 7人の子供を生み、生命が尽きたのかも知れない。5歳の時だったそうである。継母が出来、俺は母の名を「忘れた」。7歳で祖父が死に、10才で父親が死に、15歳で祖母が死に、母親の名前なんてどうでも良くなったのかもしれない。
 母の名前は千歳と言う。大学の卒業名簿か何かに名前を記入する欄があった。故郷に暮す長姉に、俺は明るい声で尋ねたらしい。電話の向こうの声が突然に泣き叫び、俺を罵り、やがて嵐が過ぎて、長い時間消ええるように泣き続ける電話を、俺は切った。

 俺はとんでもない事をしてしまったのかも知れない。考えてみれば、24歳にもなって母の名前を知ろうともしなかった自分は本物の馬鹿者なのかと心底情けなくなった。

 母は14代続く旧家の一人娘だった。祖父達は何を考えていたのか、、地域の曹洞宗の大寺の檀家総代の一人娘を横浜のフェリスに遊学させた。大正時代の何とも大らかな空気が伝わってくる。
 病を得て、実家に戻った母はやがて父と一緒になり、賛美歌を口ずさみながら子育てや家の掃除をしていた、という。みんな姉達の話だ。

 15歳まで生きた祖母から母の話を聞いたことがない。今にしてみれば、子供に先立たれた母の悲しみを思うことが出来る。幼子を残して死に行く母の悲しさと無念を、思うことが出来る。その母の悲しみと無念が、今も俺を見守っているのかも知れない。あの世、ってのがあるのかもしれないと思う。
 まだお盆、でいいのかな。

死生観

2006年08月21日 風の戯言


 物心付く頃から親達がバタバタと死んで、大切な人が突然目の前から居なくなる不思議さと哀しさを牽づって来ている。無感動って訳はないが、人前で感情をさらけ出さなくなった。一人ポツンと嵐が過ぎるのを待つ。一人殻に閉じこもり波の引くのを待つ。それが習性になった。一人でも闘える、それも習性になった。
 一人で居ることに慣れ、恐れも寂しさも感じない。だから神を感じることはない。ただ、誰かに見守られている感は強い。しかしそれも若いときのような教示は少なくなった。何をしても、正に仏様のように温かく許してくれている。
 不思議な世界だね。

オシムの言葉

2006年08月19日 風の戯言


 いま「オシムの言葉」が面白い。
 この本を読んでいてオシムと言う人に興味を持った。オサムは嫌いだけれど・・・で、サッカーを見るのが楽しくなった。先日のイエメン戦もいわゆるオシムのサッカーの先端が見えた。日本サッカーの文化みたいな後ろへのパス回しには相変わらずイライラさせられるが、ボールを持ったらゴールに向かって走る、とにかく前へ、チャンスだと思ったら果敢にシュートを放つ、それがサッカーだと言うオシムジャパンの明日が楽しみだ。

 「重要なことは、ミスをして叱っても使い続けることだ。
選手と言うのは試合に出続けていかないと成長しない。どんな悪いプレーをしたときでも、叱った上でそれでも使う。ミスをした選手を、それだけで使わなくなったら、どうなる?
 その選手はもうミスを恐れてリスクを冒さなくなってしまうだろう。何時までもからを破ることは出来ない」
 
 オシムの言葉は深い。
 彼の背負ってきた悲しみと無縁なわけはないけど、やはりというか、残念ながらと言うか、人間には特上、上等、中等、下等などの幾つ彼の格差がある。彼は特上に属するのだろう。馬鹿には人が見えない。見えるのは自分だけ。所詮人は見たいものだけしか見えない、のかも知れない。