読売新聞に掲載
大晦日に除夜の鐘に合わせた花火は強い季節風に拒まれ、結局中止になった。7月に、震災一周年に何らかのイベントがあるならそれに合わせればいいし、7月26日は夏の花火大会なのでその時でもいいかな、と実行委員会で話している。
だから当分引き出しにしまわれたものとして考えていたが、新聞社の方にとって失敗も多少の価値あるものに思えたのかも知れない。2回ほどの取材のあと、今日の新聞に掲載して頂いた。
なんとも面映い書き方なので嬉しいけれど、自分では何も出来なかったという慙愧の念が強いだけに正直言えは辛いものがある。
雪が止んで木の枝に積もった雪も殆ど落ちた。自然はもっと荒々しかったはずなのだが・・・でも助かる。
現代とは何か?
米国のサブプライムローンの破綻により世界経済に暗雲が覆いかぶさってきた。元々生産性の低かった低所得者にマイホームを与えようという共産社会でも難しかった政策を狩猟民族の末裔にさせたことに問題の根源があるように思う。
他部族他民族他人種は家畜に劣る存在でしかない、パタゴニアの歴史がそれを真正直に証明している。
結局、英米の銀行とは何なのか。仲間の他は全て家畜でしかない。行員一人当たりの賞与が7000万円を超えるというと、それが優良企業と聞くと、その金は何処から略奪したのかと思う。経済は相互互恵のシステムであり、詐欺や略奪は前時代のマイナス遺産だと思うのだが・・・甘かったかな?
人間の善意や宗教心は人間の一番弱い脇腹のような存在で、支配者にとって何時の時代にも変わらない「仕掛け-罠」のように思える。「魂の救済」の為の行為が選挙や戦争に狩り出される目的に使われるとしたら、それが多いのだけれど・・・戦略と知恵と力で攻められて、何の抵抗も出来ず、己の人生と営々として蓄えてきた富を強奪されていく様は何とも哀しい。
たった一度だけこの世に生きることを許された、そしてモノを考えるという悪業を背負わされた人間というものの哀しさを思う。「人生は一つの無益な受難」そんな言葉もあった。しかし肉牛や豚にとって、生命とは工場で生産されベルトコンベアの上で処理されるものだけに過ぎない。それも哀し過ぎはしないか?
もっと単純に生きた方がいいのかもしれない。雪に閉ざされて気力が萎えているのだろう。地球上のどの民族も太陽の運行による一日と季節の巡りに命の再生を願う信仰を持っている。「日はまた昇る」久々にヘミングウェイのタイトルを思い出した。
近いうちにまた旅に出よう。旅は気力を吹き返してくれるはずだ。
菊間和七さんのこと
菊間和七さんが亡くなっていた。
年賀状を戴き、お元気なことを確認したその元日の夜に風呂場で倒れたとのこと。何とも寂しい夜になってしまった。
昭和35年4月から卒業まで高田工業高校建築科3年生の一年間、西城三丁目のお宅で殆ど家族のような下宿生活を送らせて頂いた。貞子おばさんと和憲君伸二君兄弟と菊間さんの親戚の河田君と、俺の甘えすぎかも知れないが、まるで6人家族のように大事にしてもらった。
下宿の窓から晴れた日の雪景色を眺めていて、家業を手伝うことを当然のことのように考えていた人生を、3年生の冬になった突然変更してしまった。俺は大学にゆく。俺は外国にゆく。全く何の関連も無くそう決断して、当然武蔵工業大学の受験は失敗し、進退窮まって、叔父さんの伝を頼って、共産党系出版社の理論社に文字通り転げ込んだ。可否の返事を貰う前に布団と取敢えずの生活用具を送り込んでしまった。営業部長だった菊間喜四郎さんはビックリしていたけれど、兎に角その日から住み込みのバイトと予備校の研数学館通いが始まった。
随分と不義理を繰り返したが、人の運命は分らないもので、先輩の堀内国男に勧められて神奈川大学を受験し、給費生試験は惨憺たるモノながら2ケ月の猛勉強で何とか入学できた。俺の人生の中で死に物狂いで努力したのは多分あの2ケ月だけなのだろう。
理論社の住み込みのバイトは午前中が仕事で午後から予備校、帰ってきて仕事を手伝い、夜は来客のお茶汲みと戸締り夜間警備。来客は多士済々で五味川純平、早乙女勝元、早船ちよさんなどの作家、元全学連の委員長や野坂参三やタカクラテルの子息太郎さんなど、社長の小宮山量平さんの交友の広さを物語るほんとうに多くの人たちが毎晩のように集まり、お茶を取り替えながらその人たちの話を聞くのが何よりも楽しかった。
自転車の荷台に本をいっぱい積んで日販や東販、大阪屋など御茶ノ水の坂を喘いで上り下りした日を久し振りに思い出した。自分でも理由の分らない怒りの中で、サルトルの言う出口なしの絶望感に苛まれ、夢遊病者のように横浜からの密航を企てていた時期も思い出してしまった。
随分と遠くまで来てしまった。
時間って何なんだろう。
菊間和七さんの御冥福を祈りながら・・・。
小正月
雪の降る風景を表すのは縦書きが相応しいように思う。音も無く降る雪のその静けさはやはりあの「んんんんん・・」と綴った詩を超えるものはなさそうだ。
小降りになった夕暮れ、新雪を踏みながら犬の散歩に出た。1週間に一度だけ、主人の気まぐれで自由に走り回れるのを最高の楽しみにしているらしい。おねだりもせずに、散歩に誘われるのをただじっと待っている。それがとても可愛いのだけれど・・・寒いのだ。
八石の山が、日本昔話の挿絵の背景のように佇んでいる。鯖石川の東岸の集落に灯りが燈り始めている。65歳の1月14日、今日俺は何の為に生きていたのか・・・なんて問うのは止めよう。藍沢南城がこの風景の中で何を考えていたのか、三余堂の学寮の囲炉裏で降りしきる無音の雪音を聞きながら、そんなことを訊ねてみたかったな、と思う。
温暖化の論議が賑やかだが、ここに住んでいると雪が少ないのは助かる。「雪地獄 祖先の地なれば住みつげり」そん地の底からのような恨み節が聞かれないだけで心が休まる。
連休でボーとしている間に「おぢや風船一揆」の準備が始まっている。今年は32回、大会副会長を拝命し続けながら何も出来ないもどかしさの中で、毎年繰り返されるこの祭りのパワーの凄さを噛み締めている。
7月16日をどう迎えるのか
大晦日の花火が中止になって、この気持ちを何処で天に届けるのか、いま話題になっている。7月16日をどうデザインするか、花火のこともさることながら鎮魂の祈りをどう表現すれば人はまた前に進めるのか。
ある企業は世界的な規模で「アベマリア・コンサート」を開きたいとの案もあるらしい。聖書の最初の翻訳者が柏崎の人だという話もある。ヘボンのメンバーで高橋五郎という人。深い縁があるのかもしれない。