大黄河 

2007年04月08日 風の戯言


 久々に宗次郎の大黄河に浸っている。

 春の訪れた庭を片付け、小さな焚き火を燃しながら大黄河を聴いていると心が満ちてくる。気の遠くなるような時間の中で、人は無意味に近い営みを繰り返しながらも健気に生きている。さあ、元気を出して頑張ろうよ、大黄河はそんなことを語りかけてくる。
 音楽には不思議な力があるんだよね。

 先週一週間は体調が最悪だった。多分人を憎み、怒りが頂点に達し、心のバランスが崩れていたせいかもしれない。シーザーは「寛容」を説いた。人を信じ、許すことが大切なんだろう。あくまでも自分にとって。
 
 6日は新潟産業大学、新潟工科大学新入生の歓迎会を暖かい雰囲気で開催できた。参加者は学生・教授・市民合わせて600人。広い会場を一杯に埋め尽くし、交流の輪が広がった。こんなことから縁あって柏崎を選んでくれた学生達がこの町を好きになってくれたら本当に嬉しいと思う。
 夕方7時から会社の創立20周年目のパーティを開いた。少し気取って生バンドの友情出演もあり、この20年を見守り続けてくれていた副市長さんも来賓で出席して頂き、温かいいい会になった。
 創業時、自宅から50CCのバイクで通い続けた妻は社員のにくい演出に目を真っ赤にしていた。彼女の努力が実り始めている。
 そして昨日は、その妻の還暦。娘は婿を伴い、倅は東京から駆けつけ楽しいひと時を過すことができた。
 歩いてきた道は曲がりくねった道だけれど、幸せだった、と言う一言に少し後ろめたさもあるが、嬉しいと思った。

 大黄河は中国奥地に源を発し、モンゴルを迂回し急流となって山を削りやがて大平原に出る。人の心の旅路は、一筋の川の流れに似ていなくもない、と司馬遼太郎はそう言うのかも知れない。
 

黄砂舞う日々

2007年04月02日 風の戯言


 黄砂の降る音が聞こえるほど山も霞んでいる。
 中国大陸、モンゴルの砂漠から飛んでくる。ロマンだなぁ。
 犬の散歩しながら黄砂の見物する。思いを中国に馳せている内に半藤一利の昭和史や文春4月号の小倉庫次侍従日記や鹿島昇の怪しげな解説本を思い出してしまった。失敗の本質、山本七平の「空気」なんてのを頭の中をごちゃ混ぜにしてガラガラポンすれば昭和史と言う上から下まで無責任な当時の日本の姿、いや立派な遺伝子のために現在もこの渡世を見えなくしている無責任な迎合社会が見えてくる。
 右翼はテロをしなくなったし、左翼は火炎瓶を置き忘れてきている。「わるうござんした!」と腹を切るやつもいなくなって、世の中みんな植木等になってしまった。

 夢や希望、ナンテ言葉はもう死語になり、言葉に命を賭ける情熱が失われた。

 恥知らずがボリューム一杯に上げて、自分でも信じていないことを山に説教している。

 言葉が行動から遊離し、誰も信じていないことをテレビも役人も虚ろな目で単調な言葉で吐き出している。

 何かおかしいぞ?
 大きな地震が来る前に、日本人は狂うのだそうだ。石黒耀の本にそんなことが書いてあった。日本の社会変動は地震のパワーで起して、てぇへんだーって人間が後からついてくる。ええじゃないか、ええじゃないかと騒ぎ出す?

 下天は夢ぞ、ただ狂へ! 誰が言っていたかな・・・

 写真は4月1日午後
 八石山が黄砂で霞んでいる。これもまたいい風景。
 

戦い済んで日が暮れて

2007年03月29日 風の戯言


 夕方から新潟の会議を二つ終わらせて、古町に寄って最終に「きたぐに」で家に帰る。新潟発22時55分、新潟はまだ宵の口でも車内はもう夜中。疲れ切った乗客の一人となってシートに身を沈めると深いため息が出てきてしまう。
 長岡から東京発最終便の仲間達が乗り込んでくる。闘い疲れて、でも生き延びて家に近づいた安堵感が表情を緩めている。
 人は何故闘うのだろう?
 戦いは人を疲れさせる。
 闘わなければ、人は楽なのだろう。
 戦いを放棄すれば、敵が攻めてきて殺されるか奴隷になるか、只一度の人生を自由に生きる選択権は簒奪される。
 心の平安は、戦いに勝ち残った、その僅かな時間だけしかない。
 もう眠い。何を書いているか判らない。寝る!

能登沖地震

2007年03月25日 風の戯言


 日曜日の朝を、何時もの様にグダグダとベッドの中で本を「見ていた」らいきなりズシン!と来た! 横揺れが長かったので咄嗟に「震源は東京!?」かと思った。

 能登、石川、富山には多くのお客さんが居る。担当が客先の安否の確認を取り続けている。経営品質で顧客本位を説き、自分達で解っているつもりでも直ちにこんな行動を取ってもらえるのは社長としてありがたい。
 近くなら客先を回る、遠くなら電話で様子を聞く、サービス業としては当然のことなのだろうが、ビジネスとしてだけでなく被災地の知人の安否を気遣うことは人間としての温かさのように思う。
 現代は、人としての温かさが何よりも大切なんだろう。

 写真は3月23日、柏崎の岬館からの夕陽
 この夕陽の先に能登がある。

科学とは何か

2007年03月18日 風の戯言


 地球が誕生して46億年、生命が生まれて38億年、人類の祖先が400万年、農耕を始めて1万年、人間が自分の未来を自由に語れるようになってまだ半世紀しか経っていない。
 人間は動物の、いや生物の一種でしかなく、生命には始めと終わりがあり、いわば死亡率100%の生命体でしかない。時間的には100年なんて化学変化にも似た一瞬なんだろうな。ただ、どう変化するか判らない・・・諸行無常。
 体感的には物理変化に見えるが、そろそろと近づいてくる未来は恐怖以外の何ものでもない。人は未知なるものに怯える。

 東京外国語大学名誉教授岡田英弘の「この厄介な国、中国」を読んでいたら(この本は以前「妻も敵なり」という書名で出ていた)「儒教は科学だ」との記述があった。はて?、と思い続きを読むと「科学の究極の目的は未来予測」とあった。全ては未知なる明日を知る為の手段、だと。
 初期仏教の流れを汲むといわれるテーラワーダ仏教のスマナサーラ師は「仏教は科学」と言っていた。現状を見つめ、未来を予測、それは死亡率100%の人間が与えられた人生を幸福に生きる為の教えなのかも知れない。未来は怖いけど、思い悩んで立ち止まってしまっては生きている価値が薄れてしまう。まっこと、この世に生を受けて、己の生き方に悶々としているなんてやはり人間は不思議な生き物ではある、な。

 諸行無常の一瞬の生。背筋を伸ばし、風雪に耐え、一筋の愛に生きる。キザだが、そういう事なのかも知れない。