原子力保安院の地元説明会

2008年01月13日 風の戯言


 友人に誘われて原子力安全・保安院の地元説明会に出席してみた。この手の会は普段は遠慮申し上げている。しかし復興会議の議論に現場体験がないと何も言えなくなる。そう思って、会場に滑り込んだ。信頼を築く為の地元住民との対話集会という割には物々しい警備陣、多すぎる女性スタッフの配置など、場違いな警戒感が目障りだった。

 「信頼」 どうすりゃいいんだろう?

 

平成20年 始動

2008年01月08日 風の戯言

 年末年始、約10連休が終わり平成20年がスタートした。「約」というのは28日が会社の大掃除やボーリング大会、忘年会で過し、中止になったが大晦日+元日と復興花火の対応、4日は柏崎市の賀詞交換会で結局キンチョウとユルミが不規則に繰り返したので休みの最期は本格的な「欝」状態になってしまった。
 原因は大晦日+元日の花火の強風による中止。真冬の日本海という最悪の条件を想定外にしてしまった「迂闊さ」。自己嫌悪に陥らない方がおかしい。参ったね。

 昨日は仕事始め、といっても挨拶回りと来客応接なのだが間を縫って新年度の業務計画の詰め等結構隙間の無いスケジュールをこなしている。俺はやはり仕事をしている時が一番楽しい。どんなに苦しくても頭の中をブンブン回してニコニコしながら危険をすり抜けていくのが面白くてしょうがない。この職業は、多分天職なのだろう。
 少しづつ、欝が晴れて躁がやってくる。これがまた始末に終えない軽率な言動を繰り返し、自己嫌悪の種となっている。B型人間の宿阿。

 とボヤきつつ、暖かい冬を喜んでいる。雪が少ないのは何よりも助かる。平成20年のスタート、だ。

他人の義務と自分の権利

2008年01月06日 風の戯言

 「日本は他人の義務と自分の権利を主張する国になっちゃった」週刊誌を読んでいたらそんな文章に出食わした。自分の責任について一言の言及も無く、相手の不備に自分の権利を植え替えようとしているに思う。ようは時代は変わった。

大晦日の復興花火 中止

2008年01月02日 風の戯言


 大晦日に予定しておりました「復興祈願花火」につきましては、順延予定の元日を含め、両日とも強風の為、誠に残念ながら中止といたしました。

 今回、皆様よりお寄せ頂いたお気持ち及びご協賛金につきましては、今年7月に行われる予定の「ぎおん柏崎祭り」花火大会の際に、追悼と復興の願いを込め、あらためて夏の夜空に打ち上げさせて戴きたいと存じます。

 関係各位の皆様、そして花火の打ち上げを心待ちにされていた皆様には、謹んでお詫びを申し上げますと共に、夏への打ち上げをお待ちいただきたく、お願い申し上げます。

 ということで復興花火は中止としました。波浪注意報が発令されているなかで柏崎港は風速22.5メーターを越えていた。残念ながら仕方ない。しかし、若い人たちが花火が無くてはさびしかろうとキャンドルサービスを決行してくれていた。
 関係監督署、マスコミ関係、主な主催者に連絡をいれ、FM放送の手配、HPの告知、電話の報知など手配を終えて、急に疲れが噴出した。元日の夜はゆっくりした食事にありつけ、貰い物のヴーヴクリコを開けご機嫌になった。
 自分の部屋で古い曲のCDを掛け、アマゾンで纏め買いした「森浩一」の本を摘み読みしている。最高に贅沢な時間が過ぎていく。ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」が心を抉る。この曲の作られた1968年、世の中まだ混沌の中にあった。マーティン・ルーサー・キング暗殺、ロバート・F・ケネディ暗殺、東京都府中市で三億円強奪事件発などいろいろなことがあった。その時俺はまだ27歳、北条土地改良区の仕事で田圃の中を泥だらけになってもがいていた時代。まだ何も見えなかった。今でもそうなのだが・・。

 自分の部屋でぼんやりと本を読んでいる。振り払っても振り払っても、またひらひらと舞い戻ってくる悔悟。生きていることの倦怠感に包まれ、自分が一番自分らしく落ち込んでいる・・・至福の時間が過ぎていく。少し危険だ。

 

タイトル無し

2007年12月31日 風の戯言

 強風のため大晦日の復興花火は翌日に延期した。
 打ち上げ現場の柏崎港東埠頭は横殴りの雨で立っていられないほどの強風が吹いていた。今は不思議なほど静か。ままならぬものは天気、なんだ。まぁ、それも決定したことでしょうがない。
 来年はいい年であって欲しい。