娘の結婚
娘の結婚披露宴の招待状が届いた。
発信者名は花婿の父と俺。なんか変なもんだ。
何処でどうなったのか詳しくは知らないが、娘が結婚すると言い出して「千恵が選んだ男なら俺は無条件で賛成する」と答えた。だからどんな青年かも知らないでいたが、会って見たら好青年だった。大型バイクと自然を愛し、サッカーを通じていい仲間に囲まれているようだ。
人間に必要なのは机上の知識ではない。人の悩みや悲しみを共有できる温かい心と時間を忘れて飲める仲間達なのだろうと思う。ビジネスの世界も駆け引きや力だけでは進めなくなった。経済社会だから基盤はソロバンだが、それだけではビジネスは成り立たないし、現代社会が一番求めている「感動」は生まれてこない。感動とは生きていることの共鳴なのだろう。
娘達は一月に婚姻届を出し、三月にフロリダの友人に会うこととバイクの祭典にあわせて新婚旅行に出かけ、最近になって彼氏の家に住み始め、披露宴は九月だと言う。俺には理解不能な結婚スケジュールだが、まぁそんなモンなのかも知れない。
千恵がアメリカ留学?遊学中に書いた「Boston」はこのブログの最初の方にあげておいたけれど、俺はとても嬉しかったことを覚えている。大丈夫だ。
自分の目撃情報
昨日、今日と2日続けて自分の目撃情報が届いている。
昨日は新潟の朱鷺メッセ、時間は15時50分頃。講演をすっぱかして喫茶店に居た悪童の目の前の廊下を「俺」が歩いていった、と。
今日は銀行のゴルフコンペの会場に車で乗り入れるのを見た、と。体調が優れず前日ドタキャンしたはずなのだが・・・。いずれにしろ、2日こんな話が続くと自分の中のてく野次馬根性が呼び覚まされる。何なんだろう?
閑話休題
昨日NECユーザー会全国大会での森永卓郎氏の後援は絶品だった。1000人以上の聴衆を笑の渦に巻き込みながらの90分、経済指標を見せながら現状の解説、身近なところから現代社会の変貌を抉り出す。年収区分による結婚率の違い、とか秋葉原現象の解説、はたまた自らのオタクの世界を話しながら、現代情報世界の面白さなど、絶妙且つ愉快な講演だった。
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俺は幽体離脱をしているのか?
瑣末なことに気を捕られている様じゃ成仏できないな。星の数は銀河1000億*1000億個、ここまで多くては数に意味なぞなくなってしまう。その中に地球のように超特別な幸運に恵まれた惑星がいくつあるのか知らないが、その中での果てしもない生命の輪廻。宇宙の輪廻に生命の論理をゴタ混ぜにしていったら、正に天文学的な数字の中の個性は殆ど意味を成さない。膨大な数のRFIDとベラボーなサーバー群とサポート不能なファイバーケーブル群を繋ぎ合わせれば「固体識別」は可能になるかもしれないが、だからなに? って感じで「個体を特定する」意味はなくなる。
自分の生に何かしら意味があるとすれば、「現在」というその瞬間だけなのだろう。
「風のように生きろ!」ってさっきのテレビドラマはそういっていた。それでなくても短い一生を、過去にひきづられることなく、未来に向かって今を自由に生きろと・・・。
幽体離脱、かぁ? 何かワクワクするなぁ!!!
写真は6月8日ベルナールで開かれた「岩下尊弘画業30周年パーティ」の一コマ。なんと私奴が黒服にブラックタイで決め込んで司会をしているところ。時折、こんな術も使う。
故丸山智央君一周忌
彼はは創立メンバーの一人、と言うより共同設立者であった。柏崎情報開発センターに入居する為に事前下見に行ったら、当初想定していた部屋は窓から屋根しか見えず、二人で顔を見合わせ考え込んでしまった。
がっかりしている二人を係りの人は極楽寺側の事務所に案内してくれた。部屋に入ると、窓一面に桜の花が見えた。「丸さん、こっちだよな」「うん、社長、こっちにしましょう」それで決まりだったが家賃は6万円増えた。
「いいさ、頑張ろうよ」そして二人の、いや5人の創風システムがスタートした。
仕事は厳しかったが、二人でよく飲んだ。グラス片手に歌う「酒と涙と男と女」は絶品で河島英吾本人の歌より数段上手いと俺は思っていた。そして、酒をあんなに美味しそうに、あんなに楽しく飲む男を他に知らない。
長い間に仕事に対する考え方に違いも生じ、やがて彼は独立してゆく。いろいろ悩みも多かったに違いない。けれど何時も元気に話をしていた。
突然の死から1年。全てが早過ぎる時間の中で、彼の死も次第に遠ざかってゆく。
今年もまた「閻魔市」の季節になってしまった。
満州国
来週、大連の視察に行く。
大連で開催される「中国国際ソフトウェア交易会」を見学し大連ソフトパーク、東軟情報学院、新潟県大連事務所などを訪問する予定。社員6名と賑やかな愉しい旅になりそうだ。
ところで満州国。
現在の自分の居場所を確認するのに満州国に関する認識が不安定だとどうも居心地が悪い。本棚には司馬遼太郎の「坂の上の雲」、浅田次郎の「蒼きゆうの昴」「中原の虹」ユン・チュアンの「ワイルド・スワン」「マオ」、シリン・パタノタイ「ドラゴン・パール」、R・F・ジョンストンの「紫禁城の黄昏」に交じり「毛沢東秘録」「毛沢東の私生活」なんてきわどい本も並ぶ。どれも面白かったけれど、現代中国理解に欠かせない毛沢東本は読むのに難儀する。
最近船戸与一の「満州国演義-風の払暁、事変の夜」が面白かった。何と無く、満州国に傾斜して行った当時の日本の国情が見えてくるようだ。
歴史は後世になって何とでも解説がつくのだろうが、時代に翻弄されている立場からは堪らないのだろうと思う。
日清日露戦争、支那事変、太平洋戦争(大東亜戦争)特に唱和の戦争は軍部の統帥権と国権の相克の中で所謂リーダーシップが完全に失われ国益の為の戦略が微塵も感じられなくなる。多分戦略論や戦術論なんてどこかに吹っ飛んでしまったのだろう。
現代に重なるリーダー不在、責任不在の社会は日本の持病みたいなもんか。何とも不甲斐無さに満ち溢れた世界第二位の経済大国・・・やっぱり分らない。
バラ一輪
不安定な気象条件で各地に落雷や大雨注意報が出ていたけれど、鯖石はたいした雨もなく一日が無事過ぎたようだ。近くのコミュニティのグランドでの地区の運動会も予定通り終わった。
八石の山頂は低い雨雲に覆われ、水田には早苗が勢いを増し、家々の庭には色とりどりの花が咲いている。
畑の隅の、パイプ車庫の骨組みを転用した棚に白と薄紅色のバラが咲いている。優しい色の、この花が好きだ。
根からの自然人なのか、忙し過ぎると身体の時計が追いつかず、時間調整しないと通常時の完全燃焼できなくなる。山を眺めたり庭を弄ったり、そんな時間が俺にはどうしても必要らしい。
久し振りに畑に目をやると、胡瓜、茄子、トマトの苗が根を下ろし、早くも小さな実をつけている。早過ぎる実は木を傷めるので摘んでやる。折角、頑張って花を付けたのだろうに・・・。
暦の上では明日入梅。立春から135日目という。早過ぎるような気がする。
梅雨の香のしじまの花の白さかな 壷泡