夕陽
躁は未来に向かっての突進、欝は過去に向かっての沈潜(ドクトルマンボウ恐妻記) 苦楽、躁鬱を繰り返しながら時間の旅人は歩いている。楽観は意志の分野に属し、悲観は感情に属する。闘う人たちは自らの内面を注意深く見守りながら歩いているのかも知れない。
前半の連休を使って小樽へ旅をしてきた。新潟県内の基幹通信網を提供している会社の合併を決めての親睦旅行。楽しい旅になった。
新潟からの帰路、高速を飛ばしていたら美しくも不思議な夕陽に出会った。走りながらの撮影なので迫力は減退しているけれど結構いけるかな?
走りながら夕陽を見ながらデジカメを操作しながらNHKテレビを聴いていた三遊亭円楽が人工透析、脳梗塞を乗り越えながら演じた「芝浜」の落ちがこみ上げてくるほどの感動だった。
「人間、簡単にギブアップしちゃあいけねえよぉ、己の信ずるママに最期まで走らにぁならん」そんな声が聞こえてきそうな番組だった。
夕陽は俺にそれを言いたかったのかも知れない。
木の芽ほぐれ
新入社員が入って来、子供たちの新学期が始まり、県議選が終わり、桜の花が咲き、市議選も終わって、いつの間にか世の中はゴールデンウィーク間近になっていた。
朝まだき、なんの気を起したか一人散歩に出かけた。一流の経営者達が朝の時間を大切にする、と言う記事を思い起こしたのかも知れない。冷気の中に八石の空の輝きが増し、鳥達の群れが姦しく囀り続けている。
情けない思いも怒りも押し込んで、住み慣れた山野の朝を楽しんでいる。
「人は見たいものしか見ない」という。塩野七生も玄侑宗久も良くこの言葉を引用する。見たいものしか見ない人たちに未来予測による危機管理というのは理解不能なのだろう。未来は意思を持った人の現実の積み重ねでしかないが、歴史に興味を持てば、時間の経緯の延長線としての未来の予測は出来る。カッサンドラの法則は悲しいけれど、人はまたそこで救われるのかもしれない。
まぁ、ブツブツ言ってもしょうがない。粘り強く、諦めることなく明日の奇跡を信じ、今日を精一杯に生きる、それしかないなあ。
リッツカールトン・ホテル
25歳で東京の夢破れて田舎に帰り建設業を20年。45歳でコンピューターに魅せられて今の会社を立ち上げ今年で20年目、65歳。最初の計画では経営を若手に任せ、65歳になったら芸能界にデビューし渋い脇役をやりたかった。バリで年金生活を送りたかった夢もあり、本当は何がやりたいのか分からない。
引退も、いざ真剣に考え始めるとなかなか厄介なことが多い。若手育成の名目で社長としての責任放棄をしていたのか、との自責もある。そうなのかも知れないし、経営の当然のことをやっていなかったのかとも思う。
いろいろ悩んで、もう少し形を整え闘う集団に戻さないとあっという間に「馬糞の川流れ」になってしまう。で、もう少し頑張ることにした。と言うより最後の仕上げに全精力を傾けてみようと思う。
と言うことで老体を奮い立たせ大塚商会主宰のセミナーを受けに通い始めた。講師は元資生堂の白井さん。これがまた凄い! この人に出会い、俺は再生できそうな希望が沸いてきた。
講習の途中、今を時めく「リッツカールトン・ホテル」のDVDを見せてもらった。サービス業は石ノ森章太郎の「ホテル」が原典と思っているけれど、まさにそれ!
そういえば何年か前、シンガポールで遊んだ時あのラッフルズがリッツカールトンに経営委託をしていたように記憶している。なんで? と思いながらその疑問を忘れていた。
いま、とんでもない何か大きなうねりが押し寄せている。もう一度この戦場で戦える喜びに身体中の血が騒ぎだしている。知力と度胸と体力を尽くす営業の現場は、やはり自分性分に合っているのかもしれない。
女房の還暦 沖縄の旅
妻が還暦を迎えた。
嫁に来て35年ほど経つらしい。その間、旅に連れて行ったのはグアムだけ、らしい。だから旅に出たいと言う。電車の旅か短時間の飛行機。昨年、悪友と沖縄の美ゅら海水族館の大水槽の前でジンベェ鮫を見ながら飲んだビールの美味さを話したら何が何でも同じ体験をする、と言う。大人の遊びとはそういうものだ、と。
で、会社に2日間の休みを貰い2泊3日の沖縄の旅をし、本当に心行くまで楽しませてもらった。ありがとう。
到着した当日は国際通り散歩。2日目は摩文仁の丘の平和祈念公園で献花して一路「ジンベェ鮫殿見参」にまっしぐら。途中で雨も止み沖縄記念公園は暑いほどの日差し。幸運を感謝しジンベェちゃんを目掛けて館内駆け足。ビール、ビールと喚きながら到着すると、そこは満席! と、なんと、目の前の人が立ち上がり空席が出現! そこに滑り込み念願のビールにありついた。何と美味かったことか!
沖縄には遠い過去と近い過去と現在があり、マジに見つめると切ない。戦を考えると、いや平和を考えると必要悪としての武力が出現する。しかし、それは何なんだ、と。人間とは何なんだ・・・経営を考えたりする。考えなくてはならないが、考えると現実は随分と重い。
ジンベェちゃんとビールを飲む、それがとりあえず最高の幸せ、なんだ。
大黄河
春の訪れた庭を片付け、小さな焚き火を燃しながら大黄河を聴いていると心が満ちてくる。気の遠くなるような時間の中で、人は無意味に近い営みを繰り返しながらも健気に生きている。さあ、元気を出して頑張ろうよ、大黄河はそんなことを語りかけてくる。
音楽には不思議な力があるんだよね。
先週一週間は体調が最悪だった。多分人を憎み、怒りが頂点に達し、心のバランスが崩れていたせいかもしれない。シーザーは「寛容」を説いた。人を信じ、許すことが大切なんだろう。あくまでも自分にとって。
6日は新潟産業大学、新潟工科大学新入生の歓迎会を暖かい雰囲気で開催できた。参加者は学生・教授・市民合わせて600人。広い会場を一杯に埋め尽くし、交流の輪が広がった。こんなことから縁あって柏崎を選んでくれた学生達がこの町を好きになってくれたら本当に嬉しいと思う。
夕方7時から会社の創立20周年目のパーティを開いた。少し気取って生バンドの友情出演もあり、この20年を見守り続けてくれていた副市長さんも来賓で出席して頂き、温かいいい会になった。
創業時、自宅から50CCのバイクで通い続けた妻は社員のにくい演出に目を真っ赤にしていた。彼女の努力が実り始めている。
そして昨日は、その妻の還暦。娘は婿を伴い、倅は東京から駆けつけ楽しいひと時を過すことができた。
歩いてきた道は曲がりくねった道だけれど、幸せだった、と言う一言に少し後ろめたさもあるが、嬉しいと思った。
大黄河は中国奥地に源を発し、モンゴルを迂回し急流となって山を削りやがて大平原に出る。人の心の旅路は、一筋の川の流れに似ていなくもない、と司馬遼太郎はそう言うのかも知れない。