空の上で

2006年09月24日 風の戯言


 まじまじとこの顔を見ていると、実にいい加減な人生が見えてくるように思う。天が何かの意思を持って地上に使わした者であることは確かなようだが、本人の自覚の欠如と堕情のため、全て中途半端なものになっている。本人はその事を気にはしていないようだ。

 現在「マオ」を読んでいる。「ワイルド・スワン」の著者ユン・チアンの現代史への証言、と捉えている。
 「ドラゴン・パール」「毛沢東の私生活」「毛沢東秘録」書棚には何冊かの毛沢東本が並ぶが、この本は膨大な資料を元に書かれているように思う。日本の現代史も見直されるのかもしれない。
 辟易しながら読む本も珍しいのだが・・・

空へ

風の戯言


 久し振りに秋の空を楽しませてもらった。

 今年の秋の風船一揆は長岡市制100周年事業にも組み込まれ、全国から29機の気球が集まった。お彼岸の23日はもうこれ以上ないようなお天気に恵まれ、最上級のフライトを楽しむことが出来た。
 眼下に信濃川が悠然と流れ市街地の遥か向こうに吾が黒姫山が見える。豊かな大地の広がり。

 長岡は戊辰の役で焼かれ20年の空襲で焦土と化し、2度の悲劇の中から立ち直ってきた。先日市内を走っていたら「原爆模擬爆弾投下の地」という看板を見た。そのことは知らなかったが、確認してみようと思う。

 あれやこれや思いながらの、長生橋から蔵王橋まで1時間ほどのゆったりしたフライトだった。

金木犀

2006年09月21日 風の戯言


 車を降りると暗闇の中から金木犀の強烈な香りが被さってくる。
 俺はこの香りが好きだ。子供のころの秋の夜が戻ってくる。庭の金木犀と、農家の脱穀機の音と、裸電球の明かりが疎らに燈る集落の空間に変移してしまう。だけど、蘇ってくる切なさと侘しさは、今の生活の中では再現しようもない異次元のもののように思える。
 虫の音と月明かりの中で、もののあわれ、みたいなものを触れたような気がした。
 昭和30年代の初めのころ、まだ古い日本がお化けや妖精と共に生きていたのかも知れない。俺の初恋と・・・戻りようも無い時間の流れ。

基本理念

2006年09月18日 風の戯言


 柏崎市第4次長期計画の基本理念をどう表現するかで苦悶している。
 前期は産業経済分科会でまぁそれなりに纏めた。今回は120人の委員の取りまとめ役補佐、知識もデータも情報も無い、まして今後10年の施政方針なんて立てられようも無いのだが、それでも今後10年は陳腐化しないスローガン、なんて無いよな。

 「元気、安心、共生」

 俺の知恵はここまで。明日からはビジネス!

唯我独尊

2006年09月14日 風の戯言


 久し振りに「未完成」に寄ったら、マスターが「秋ですねぇ」と言いながらシャンソンのレコードをかけてくれた。
 まだ早いか? やはり枯葉散るコロが一番なんだね。絵画館前の銀杏並木とか表参道のケヤキ並木とか信州の唐松林とか・・・。
 それはまぁいいけど、歳のせいか疲れが蓄積する。気が付かないでいると「欝」になり、世の中みんな大した事無いように思えてくる。危険だね。

 俺は何時までも戦場にいる。死ぬ直前まで戦場を駆け巡っていたい。最近またそう思うようになった。

 今日新幹線の中で考えた。「自信」て何だろう? 現在の丸ごとの自分を異常なほど高く評価して、それを信じて前を向いて走ることだと。唯我独尊、それでいいのだ、と。
 情けないほど単純なことじゃないか。

 64歳の秋に思うこと