冬の日差し

2015.12.20 風の戯言


 窓の外に夕陽が差している。

 先日降った雪が芝の上に残っている。

 何処か、懐かしい風景。

 暖冬は嬉しい。

 COP21でCO2削減や温暖化防止が叫ばれているが、バカを言ってるんじないよ。
 雪国に暮らす者にとって雪は災害以外何ものでも無いからね。

 「雪地獄 祖先の地なれば住み続げり」

 先祖は佐野なんだけどね、17代400年以上もここに住んでいるらしいけど・・・。

 温暖化は賛成だね。

 歳取ると寒さがこたえるし・・・・・・・。

じょんのび村の夕陽

2015.12.19 風の戯言


 じょんのび村の夕陽・・・
 竹の、こんな風景を初めて見たような気がする。

 

 絶望のその先に、仏は居るのかも知れない。

 人は悶絶し、煩悩を根絶した状態を「悟り」と言うらしい。
 日常世界の認識から離れ、宇宙の中に身を置く。

 しかし、それじゃぁ、つまらんだろう、仏は言う。

 慈悲心で利他的に生身の世界に関与する「現実性」

 それも仏の道だという。

 仏の世界も楽じゃなさそうだ。

 

餌と食事

2015.12.17 未分類


 庭が白くなった。
 10センチくらいの積雪があり、冬の臭いがしてきた。

 まだ雪が重いから凍てつくような寒さにはならない。

 「酒乱性人生論」で、動物で酒を飲むのは人間だけだから、酒を飲まないのは人間じゃない・・・嘯いている。

 最近になって「餌と食事」を考えるようになった。
 動物は、昆虫もそうか?・・・、生きるためには「食わねばならぬ」。だから生きるために食うのが「餌」で、人間が食う「餌」は、出来れば「食事」と言いたい。
 美味しいモノを蘊蓄傾けながら食べるのは楽しい。いろいろな場面で必ず「食事」が出てくるのは、出された共通の料理を一緒に食べ、「美味しいですね」なんて抜かしながらコミュニケーションを深める企みがあるからだろう。

 家庭でも食事の時間は話に花が咲くのだけれど、賞味期限の蹴れた家庭には「餌」があるだけになる。

 「徹子の部屋」で野間ヒロシが子供の頃、家庭が壊れ貧乏だったので公園の草を食べていた、ナンテ話が出ていた。

 空腹な子供達、ってのは考えたくない。彼らにも「餌」でなく「食事」を振る舞ってやれる家庭と社会であって欲しい。

真珠湾爆撃

2015.12.08 風の戯言


 歴史に「if」はあり得ないけれど、でも「もしも」あったら・・・と思わせる本「賊軍の昭和史」が興味深い。

 「何故、あんな無謀な戦争を始めてしまったのか ?」

 富山市の発行している南北が逆になっている地図、中国の上に日本があるあの地図を眺めてそんなことを考えているとGeopolitics地政学とか言う学問の言わんとすることが何となく理解できる。

 貧しかった日本が、いや「餓えた」日本人が当時の「理論」で植民地を求めたのは理解できる。
 しかし、何故アメリカを相手に戦争始めなくてはならなかったのか・・・そんな疑問に時代の背景を見せてくれる。

 それにしても世界を知っていた指導者達の「知見」が何故暴走族を説得できなかったのか。歴史の「if」に苛立ちを覚える。

 庭の山茶花がいっぱい花をつけている。

藪の中で

2015.12.06 風の戯言


 久し振りに風雨が止み、空が少し明るくなった。

 風は冷たいけれど、山が俺を呼んでいる。

 小道は藪の中に消え、林は静かに瞑想している。