冬の入り口
12月も半ばを過ぎて、気圧配置も身の回りの雪景色も様になってきた。八石の山に綿雪が掛かり、何なとも言えない優しげな八石が姿を見せている。鯖石の宝物だよね。
この後は、付記も真剣勝負で降るから、今度は生活との勝負だ。本格的な冬の来週かな。
18日、社員の義理の母親のお通屋に行ってきた。
仏は90歳、しかし祭壇の花や普段の設営なから不思議な光を宿していた。
お通屋の会場に入った時、祭壇全体が、優しい人柄のオーラを会場いっぱいにまき散らしていた。不思議な光景だった。
よく見ると、祭壇の遺影は40歳の頃の匂い立つような美人。みんなが「綺麗な人だったんだよ」と言っていた。
その遺影のせいか、会場には優しさが流れ、今まで経験しなかった「お通や」に参加できた。
葬式の写真は、年食った写真より、「ブイブイ」言わせていた頃の方が、やはりいい。
年寄りを送るのではなく、精一杯に生きた人の「若い頃の思い出」を送ることが出来た。いいお通やでした。
二人目の孫
千恵に2番目の子供が生まれた。
12日午後1時頃、男の子、2960グラム、健康。
名前はまだ知らない。
厳しい経済状況の中、夢中で駆けていたら体調不良に陥り、山の神は9度の熱を出し、千恵の出産が早まり、長女千里を預かり、生活が変わり、雪が降り始めた。
年の瀬を迎え、慌ただしく一日が過ぎていく。
CDを聴きながら、ぼんやりしているこの時間、案外幸せなんかも知れない。
買ったまま書棚の飾り物になっていた「日本の論点」(文春)をパラパラと捲ってい。マスコミがかなり無責任になった今の時代、幅広い問題の多い中、物事の本質を突いているように思える。こんな時間もいいモンだ。
しばらく休んでいた「夜中の養命酒」を楽しんでいる。睡眠薬を少し飲んで、養命酒で口の中を湿らせ修正していると、ほろ酔いとともに最高の気分が起き上がってくる。
日本の論点はみんな前向きではなかったか。地球がバック転でもしない限り、前を向いて生きることだ。それしかない。
若い世代に、新鮮な生ものの時代を送りたい。経済も技術も変わり始めている。彼らにとって宝物のような、新鮮な時代を残してやりたいね。
どうも、酔ったらしい。
12月の雲
そして今日は北風が吹き、冷たい雨の一日。
午後になって、建設業時代自分の爪痕の記憶を辿り、北条方面に車を走らせた。昔の北条町の南条から杉平まで、どの集落でも思い出が蘇ってくる。
一緒に働いた頃の元気な顔が浮かんできて、時間という不思議な世界を漂っていた。「時」とは何なんだろう?
杉平は昭和43年10月23日だったか、南鯖石農協事務所の建築を完了させて、そのまま「圃場整備」の現場に飛び込んだ。親戚の「小林医院」の先生や奥さん、地元の土地改良委員の人たちと、熱い長い時間を思い出す。
小林医院の後は集落の墓地公園に姿を変えているが、庭や裏の山の木々の姿は当時のままで、しばらく動けなかった。
もう45年近い歳月が流れている。
流れゆく雲を見ていると、時の不思議な世界が呼びかけてくる。