第35回 風船一揆

2011.02.26 風の戯言


 23日は麻布十番で些か飲み過ぎ、24日は新発田でしこたま飲んでしまった。長い命じゃない、日本酒の美味さに沈没するのも他愛もなくいいものなのだろう。
 今日は小千谷風船一揆。35回目になる。今は唯呑み要員で、地元の人たちと遠来のお客に、昔の話を繰り返し、楽しい時間を共に過すのが自分の役割。
 星野元代議士の顔も見え、市長だった頃の話に花が咲き、愉快な一時を過させていただいた。京都、大阪、東京などからの昔馴染の、それでいて生活の実像を聞いた事もない仲間達と遠い思い出話に時間が過ぎるのを忘れていた。

 明日は宮澤先生の能を観に上京する。

 アラ古希の、自然消滅の近づいた「時間」を、流れるままを受け止める事の充実感を味わっている。
 億万の星の中の、億万の時間の中の、億万の生命の中の、愚にもつかない一つの人生であっても、その時間を生きる当の本人にとってみれば、それなりの重さはある。いくら軽かろうと、ゼロに近かろうと、全くのゼロではないのだろう。

 酔眼で満天の星を見ながら、沈黙だけが値千金の時が流れていく。

来週は「風船一揆」

2011.02.19 風の戯言


 春が近づいた休日の晴天は何とも気持ちのいいものだ。
 気まぐれに、久し振りに「ランちゃん」を連れて散歩に出た。相棒も高齢なのでほんの近くまでなのだが・・・。
 
 夜、チャンネルを捻ったらNHKで「熱気球オヤジ」をやっていた。アルプスの古城に設定されたターゲットを狙う空の競技なのだが、何となく友人の高本さんの世界に引き釣り込まれて最期まで見てしまった。案の定、「取材協力 高本裕久」の名前が出てきて、嬉しくなって携帯に電話してしまった。
 「気球は自由だ。しかし期待通りに運ぶのは本当の自由じゃない」そんな事を言っていた。しゃくだけど、ホンモノの熱気球オヤジの言葉にすっかり参ってしまった。
 あの空を、あの人たちと飛んで見たい。

人生は死ぬまでの暇つぶし

2011.02.12 風の戯言


 若い頃、何とか佳代子とかいう歌手が「人生って、なんか、死ぬまでの暇つぶし、って感じだよね」といっていた事はが忘れられない。
 NHKの「若者の無縁社会」を見ていてイライラしている。判っちゃいない、って言うか、自分で哲学してない標準語しか使わないで、この問題は全容が見えてこない。
 教科書に出てくる言葉をそのまま4文字熟語にして議論しょうったって、そんなに世の中「紙っペラ」じゃない。本格的な血を流しながら、生き死にを掛けた闘争がなければ、単純に理解し合えるものじゃないと思っている。

 写真は南条と下加納の境、鯖石川の近くからの八石山の雪景色。古代は信仰の山で釈迦の涅槃図に見えるという聖地で多くの仏教寺院があったらしい。「善根」なんて地名は、本来ならありえないのだろう。

タイトル無し

2011.02.11 風の戯言


 1月末の決算予測の概要が固まり始めた連休は、身体も神経も脳も休みを求めて悲鳴を上げている。意識的に自堕落を決め込むと内なる貧乏神があれもこれもとあげつらい、死んだ方が増しなほどの落ち込みが来る。
 夜になって、行きつけのスナックが真相なった店に移り、名前も昔の「美季」戻した店に行ってみた。ママは同い年、40年来の付き合いになる。手を握った事もキスした事もないけれど、不思議な縁に結ばれた、というより居心地のいい店を展開してきた関係で、半世紀に近い客になっている。
 
 雪は予想を外れて少なく、夢にまで見た伊豆も雪がちらついたようで、結局インフルエンザで中止になった旅は、それはそれでよかったって事か?

 まぁ、ゆっくり寝れ、って事なんか!

一刀斎夢録

2011.02.08 風の戯言


 体が重いと思ったら、35.1度の平熱が37.2度まで上がっていた。女房のインフルエンザが乗移ったかなと思ったが、早めに帰ってベットに潜り込んだら6.8度まで下がった。
 齢の所為か、深酒の所為か、どうでもいいが気力が失せているのは情けない。

 日曜日に買い求めた浅田次郎の「一刀斎夢録」を麻薬酒のように飲んでいる。いつもながら、この作家の言葉の豊かさに酔いしれてしまうのだ。最近、自分の言葉が少なくなり、人への説明も自分で苛立ってしまう。酒が続くせいで言葉がアルコールに溶けて頭から蒸発している。

 雪のない土地をのんびりと歩きたい。