オバマの時代の幕開け

2009.01.20 風の戯言

 義兄藍沢悌三郎医師が亡くなった。享年92歳、今日が誕生日。
 中鯖石で三代100年、地域の健康を護り続けた。具合の芳しくない時に聴診器を当ててもらい「大丈夫!」の一言でどれだけ多くの人たちが助かったか。医は仁術、だと思う。

 間もなく「オバマ大統領」が誕生する。
 アメリカの歴史を見たときに、黒人大統領の出現が如何に大きな「事件」なのか、思い至る。キリスト教原理主義者の集団、自分達の神を信ずる者だけが「人」であり、その限りにおいて平等であり、自由が許される一神教の国。
 アメリカの価値観を世界中に布教した結果、唯一の超大国が相対的に国力を落とし、「多極化」した世界の現実に直面したアメリカの夢、もう一度世界最強に戻りたいという願いと、イラクで傷つき普通の国に戻りたいという願いが交錯し混在する夢を、新しい大統領に、自分達の救いとを重ね合わせて、間もなく世界最大のお祭りが始まる。
 キング牧師の「私には夢がある」という1963年の演説が、今も感動の高圧電流を流し続けている。40数年の間に「夢」を実現させたアメリカという国に改めて驚嘆する。
 日本に、こんな演説が出来る政治家が現れないかな・・・。

 幻想なのだろうが、唯一の強大国の時代から、多極化の時代へ。これは国際政治の舞台だけでなく企業の現実認識の変更を迫られている問題でもある。独立自尊の組織として、自分達の夢を掲げ、見えざる現実を凝視して生き抜く。お手手繋いでお池に嵌って、再起のチャンスもない奈落に落して溜まるものか。
 オバマの底知れぬ真実を知りたいと思う。

新潟県経営品質賞 審査終了

2009.01.18 風の戯言


 新潟県経営品質賞審査が終わり、ホッとしている。
 賞が欲しいことは真実だが、本当の狙いは経営の存続にある。継続とか改革とか、そんな生易しいものじゃない。文字通りの生きるか死ぬかの瀬戸際を進むことになるのだろう。GDPが10%下がるという見通しもある。経済的大断層!
 そんな危機の中で、ホッとしていることも確かだ。自分がやらなくてはならない「経営」の方向が見えてきたからだろう。方向が見え、決断の覚悟さえ出来れば、心は静まる。
 「リーマン・ショック」後で、アメリカの殆どの会社が12月決算で、2月までは「漠然とした不安要素」を抱え、それが3月末には「はっきりした損失」として明確になってくるだろう、といわれている。明確になればあとは今後の方針を決定し、前に進むのみ。半年後には株価が安定し、1年後には実体経済が回復してくるだろう、という。果たしてそうか?
 20日のオバマ政権がどんな効果を生むのか、アメリカ人でなくても気になる。

 本当に、久し振りに気持ちの安らぐ休みだった。多分、禅の世界とはこんな心境なのかもしれない。戦いの中にあって、己の運命を天に預けたようで爽快なのだ。
 阪神淡路が記憶の中で遠くなっている。時間とは何だろう?
 

雪の降る街を

2009.01.12 風の戯言


 シンシンと、雪が降り始めた。
 寝ようとしたが、気になってアノラックを被りデジカメを片手に公園の道路まで行って来た。ふっと、「雪の降る街を」が身体の何処かで流れ出した。何か、切ない思いが湧き出してくる。 
 1952年にヒットした内村直也作詞、中田喜直作曲の歌だ、そうな。1952年・・・昭和27年・・・そっか、親父の死んだ年だ。
 10歳の俺がそこにいる。次々に親達は逝ってしまい、死ぬということは「どこにもいなくなる」ということだと、それが判るまでと、判ってからも、辛かったなぁ。消えてしまうような寂しさのなかに、いつも一人でいたような気がする。

 そして、みんないなくなってしまった。小林も竹田も中谷も・・・高木さんもいなくなった。医者どんも十三郎先生も福田先生も・・・みーんないなくなった・・・寂しい・・・寂しいよ・・・。

(1) 雪の降る街を 雪の降る街を
  想い出だけが 通りすぎてゆく
  雪の降る街を
  遠い国から おちてくる
  この想い出を この想い出を
  いつの日か包まん
  あたたかき幸福(シアワセ)の ほほえみ

(2) 雪の降る街を 雪の降る街を
  足音だけが 追いかけてゆく
  雪の降る街を
  一人心に 満ちてくる
  この哀しみを この哀しみを
  いつの日か解(ホグ)さん
  緑なす春の日の そよかぜ

(3) 雪の降る街を 雪の降る街を
  息吹とともに こみあげてくる
  雪の降る街を
  だれも分らぬ わが心
  この空(ムナ)しさを この空しさを
  いつの日か祈らん
  新しき光ふる 鐘の音

月夜の晩に雪が降る

2009.01.12 風の戯言


 新潟県経営品質賞のヒアリングシートの記入と送付が終わり、後は15,16,17日の現地審査を待つばかり。
 いろいろ振り返ると、恥じ入る事ばかりが多く落着かない。だから終わったことはもう考えないことにしよう。
 まぁ、一段落、というところか。16日が本番なんだが・・・。

 久し振りに使った脳をクールダウンさせようと窓の外を見たら寒々とした空に冷たい月が輝いている。予報では大雪かと思われたが、積雪は10センチにも満たない。
 天気予報は外れた時のブーイングを嫌ってか、正確なものより極端に悪い予報を出しているようだ。変なの !
 それにしても雪のない冬は助かる。地球温暖化? 単なる地球の気候変動に過ぎないという見方もある。多分そうだろう。最近は作為ある情報が組織的に流されることも多いようだ。時が過ぎて、真実が明らかになる。未来予測の本を、10年くらい過ぎて読むと著者の技量が見えてくることがある。大前研一の「新・資本論」もその意味で楽しい。
 出来ることなら、ゆっくりと時間をかけて、メモを取りながらの読書をしてみたい。目の前を、風に舞う落ち葉のように、文字だけがただひらひらと通り過ぎて行く。頭の中に何も残っていない。あー、嫌だ嫌だ。

高木さんの思い出 ねっと陽だまり原稿

2009.01.04 風の宿

 高木さんに始めてお会いしたのは昭和62年秋だったと思います。
 柏崎がニューメディア・コミュニティ構想の実現に向けて動き出した「熱い季節」、柏崎情報開発学院の秋の学院祭があり、新潟日本電気株式会社高木社長の講演がありました。
 講演の中に「産業の空洞化」と「心の空洞化」という2つの重要な言葉がありました。日本の産業が安価な労働力を求めて海外にシフトし始めた時でもあり、そのことを危惧した「産業の空洞化」は各方面で語られていました。しかし「心の空洞化」は初めてきく言葉だったのです。
 講演会の翌日、柏崎情報開発学院の2階の教室を借りて、我が「パソコン村」がパソコンやパソコン通信、そして幾つかのパッケージソフトなどを展示していたのですが、そのブースに高木さんがヒョツコリ現れたので、私は嬉しくなり夢中で「心の空洞化」とは何か?と聞きました。高木さんがどう説明されたか覚えていませんが、後で「このことについて質問してきたのは君が初めて」と話されたのは今も鮮明に覚えています。高木さんに少し近づけたようで、とても嬉しかったのです。
 今になって考えてみると、日本人の心が虚ろになってきた時代の始まりだったのかも知れません。

 創風システム創業4.5周年記念パーティのメーン・スピーカーをお願いした時も忘れられない思い出です。
 のっけから「石塚はいい加減な男」と持ち上げて?くれたので、次々と続く壇上の祝辞は「俺はもっと悪いとこ知ってるぞ」みたいなスピーチで大爆笑の連続、160名のお客様が腹を抱え涙を流し、まさに抱腹絶倒・前代未聞の楽しい祝賀パーティになりました。今も私達の宝物のような思い出です。

 高木さんが柏崎ロータリークラブの会長に指名された時、私を幹事に選んでくれました。
 当時の新潟日本電気の部下の方達が「副官には石塚がいいだろう」とのアドバイスだったようです。これも私としては嬉しい出来事でした。ただ、事情により高木さんの会長就任が一年早まり、私は後任の幹事を務めることになりましたが・・・。 
 そのロータリークラブが「グルメの会」と称し市内外の美味しいものを楽しんでいた時期がありました。「六宣閣」さんの鯛料理を頂きに行くときは、もうバスの中は子供の遠足のような賑わい。でも高木さんの奥さんが不思議そうな顔してらっしゃる・・・・服装もどこかトロピカルな雰囲気・・・サスガ東京の人はオシャレだなぁ、なんて悪童達はワイワイと飲む事前運動に余念がない。
 六宣閣に入って、奥さんがそっと「ねぇ、タイ料理じゃなくて鯛料理、なのね! 私タイ料理だと思って服装合わせてきたのにぃー!」 この席はタイ(鯛)料理の話で大いに盛り上り、高木さんの奥さんはすっかり我らのマドンナになってしまいました。

 今、考えてみれば、私が45歳で土方からコンピュータ屋になれたのも、ビジネスでNECの特別なご配慮を頂けたのも、1995年12月24日クリスマス・イヴにインターネットを柏崎に接続できたのも、全ては高木さんがニコニコしながら見守っていて貰ったお蔭なんです。
 そうそう、パソコン通信「KISSNET」の運営委員会「日本海倶楽部」の「網元(会長)」として、初期のネットワーク社会の地方での活動を温かく見守っていてくださった時代もありました。

 優しくて厳しくて、何よりも柏崎が大好きな、正に慈父のような人でした。
 今は遥か遠くの空に旅立たれ、心が空洞になったような寂寥感に呆然としています。
 出来ることならば、何時かまた緑の風に乗って柏崎に来られ、貴方を慕う一人ひとりの頬をそっと撫でて行って欲しい、と思う。 「お元気ですか?」って・・・そのことを思うだけで目頭が熱くなってきてしまう。

 そうだ、高木さん、夏の花火を見に来ませんか、桟敷席をとっておきますから・・・みんなで待っていますよ・・・。