月不見の池
頭の中では、藤は豪華に満開のハズだった。
だけど、車を走らせても、山に藤の花は見えなかった。
知る人ぞ知る、梶屋敷早川の上流に「月不見の池」という藤の名所がある。と言っても最初は高校生の時ナンパしに、2回目は建設業の時に抒情を楽しむために…そして今回が3度目。これで打ち止め。
記憶と道路案内を頼りに辿り着いてみたら、2.3組のばぁちゃん達の迷子組だけ。名残の藤が池に垂れていたが風情はない。平日は高齢身体障害者みたいに車に乗せてもらっているのに、休みの日は出会いを求める「アンちゃん」の風情でシャキッとして遊びまわっている。就業規則違反のような気もする…。
車の窓から眺めていると、新幹線工事中のせいか糸魚川には元気が漲っているように見える。新しい家も多く、活気を感じるのです。あれこれ見たいけど、突発性の元気でここまで来たけど、体力はいつまた機嫌を損ねるか解らない。
パーキングで味噌ラーメン食べて帰宅。小さな冒険。
頭の中は課題満載。少しはストレスの発散になるだろう…と期待しているのだけれど、やはり新しい恋が芽生えないと…ホントの元気は出てこない…後期高齢者の最後の願望…いやいや、そんなもんやありまへんて !
5月の海 夕陽
高齢化と共に頭の焦点が合うのに時間がかかる。
肩こりが酷くなった時の特有な憂鬱な症状なんだが…。
まぁ、これも生涯の付き合いだ。
頭のモヤモヤを整理するために岬館の小部屋に侵入し、メモ用紙だけで半日を過ごした。パソコンが手元にないというのは考えをまとめるには不便なものだと再確認した次第。
いつの間にかこんな文明の利器に頭まで支配されるようになったのか…グニャ…
この部屋からは柏崎の背景、山波が一望でき絶景である。
冬の荒海がウソのような、穏やかな春の海が広がり、この海と夕陽を見ていると自閉症が完治したような気分になる。
「フクシマ」の話になるがはんけい20Kmの住民の避難が強制されている。柏崎に置き換えた時、どうなるのか ? 地図を買ってコンパスで円を描いてみた。複雑に思いが頭の中を駆け巡る。今の家を捨てろと言うなら死んだほうがましだ。
フクシマの人たち、大丈夫かなぁ…