野焼き
俺は、それは無いと思っている。そんなことを信じたら、生きることは楽でもないものになってしまう。人間は死ぬことが出来る、それはとても幸せなことだと思う。
なんか、最近同じようなことを書いている、な。
鯖石川の堤防の野焼きが始まって、ホントの春が来る。
コミュニティ・グランドの桜も膨らみ、ボンボリに灯の入るのも間近だろう。
待ち焦がれた春は嬉しくもあり、両親祖父母の命日が皆この時期に集中しているので、もう60年近くにもなるのに、未だに心が沈む季節でもある。
今のところ自分の死には何にも気にならないが、人の事は何故か切なさを感じる。
頑張ばらにゃならん事情と、衰えた気力のはざ間で欝になりかけている。
魅力的な女性の色気に、時折失神しそうになりながらも理性を失わないでいる自分の知性 (痴性?) にストレスが溜まっている。
なんのこっちゃ !
雪割草
4月10日を迎えると、様々な想いが去来する。
狭心症による父との突然の別れ。その現実を受け入れられないまま二十歳が過ぎていった。時たま、年配の人たちから石塚佳吉の話を聞く、そんなことも無くなった。58年という実感のない時間が頭の中を過ぎて行く。
昨日はまる22年の会社創立記念日。
大勢の素晴らしい社員と巡り会うことができ、口を飾ることもなく、本当に凄く幸福な人生を過させて貰っている。心の底から嬉しいと思う。
そんな皆と、会社でささやかなパーティを開いた。
そして、昨日はまた新潟産業大学寄附講座「ビジネス・モデル・デザイン」の初日。岡本先生の感動するような講義に、1時間半が過ぎていった。多くの仲間にも恵まれ、歓迎の宴も遅くまで続き、充実しすぎて怖くなるような一日だった。
コレもみんな親父の見守りの中なんだろう。
じょんのび村の風呂の帰り、近くの山際に咲く雪割草を発見。なぜか、今までない感動の中でしばし落ち葉の中の小さな花に見入った。
こんな時間もあったのだな。