ひまわり?

2007.08.22 風の戯言


 デジカメ片手に別俣の水上集落を歩いていたら小さなひまわりの畑があった。畑に入り込み写真を撮っているうちに「おやっ?」と思った。ひまわりの花は太陽の方向を向いているはず・・・? なのにこの花は背を向けている・・・!
 どっちが正しいのか分らなくなった。

 フラフラと散歩していると痴呆症との違いは見えない。外観は勿論だが最近は自分でも本物と贋物の見分けが出来ないまでに進歩した。だから、たとえそれがポケットデジカメであろうと、「写真を撮っている」風であればそれだけでよそ様は安心している。ありがたいもんだ。

 ところで、今日の東京は暑かった。35.8度。体温に近づくと熱暴走が起き、機能が止まる。東京に住む人たちは大変だ。この暑さが続けば電力不足から家庭用クーラーが役立たずになり、人間の干物が大量に出来そうだ。ミイラと見間違うほどの「安い干物」と3サイズバッチシの「特選物」からメタボっぽいものまで・・・冗談ともかく、柏崎原発が泊っている現在、福島に何事か起きれば「東京」は干物でなく煮物が出来るようになる。こりゃ大変だ!
 もう少し何かを考える必要がありそうだ。

善根堰

2007.08.19 風の戯言


 加納から鯖石川を少し歩くと善根堰がある。
 この堰から西江と呼ばれる用水路を通って鯖石川の水は安田の田圃を潤している。何処の用水もそうだが、稲を作るためにはるか上流から水を引く為の先人達の苦闘は忘れてはならないことなのだろう。
 夏草の茂った堤防を、川のせせらぎと秋の気配を含んだ風が伴走してくれる。一面の田圃は実りの兆しで色づき、刈り取りまで大水と台風が来ないように祈っている。
 子供の頃はこの川で水泳や川遊びをして夏休みを過ごし、夕方になれば愛犬セッターを連れての遊び場でもあった。鳥専門の猟犬は夏の川が大好きで、気の済むまで川の流れに浸り水浴びを楽しんでいた。川原の石に腰掛け、小一時間も犬の遊びに付き合っていたあの頃の石塚修は何処に行ったのだろう。遠い昔の自分に会って見たいと思う。
 あの頃も何時も孤独だったように思う。犬達だけが心許せる仲間で、何時も5、6頭の犬を連れて遊んでいた。寂しいと思ったことも無かった。

 宮平の堰から笹崎、行兼までは堰きとめられた川に夏の雲が映り、この風景もいいもんだ。次第に両岸の山も迫り、暴れ川を堤防の中に押込んだ農民達の喜びの歌が聞こえてくる。

 森近の橋の完成は間近で、災害の度に流された橋が永久橋に建て替えられている。

 もう少し堤防を行くと、俺のふるさと「行兼」がある。地名より人名に近い感じがするが、そのいわれは知らない。

地震後 1ケ月

2007.08.17 風の戯言


 強い日差しの中に風が秋の気配を運んできた。

 8月16日、地震から1ケ月。自宅付近は何事も無かったようにお盆が過ぎていく。テレビはどの局も特番で中越沖地震の記録を取り上げている。街中を通れば、テレビ画面と同じようにまだ壊れた家がそのままになっていて、この傷が癒えるなんて永遠に無いように思える。
 司馬遼太郎が「街道を行く」に、ほんの数行だけれど柏崎のことを書いていた。文化の香り豊かな北国街道の町。しかし、度重なる大火と、石油の出現と原発、そして2度の地震でこの町はボロボロになってしまった。
 この町の歴史を探し出して、この町の暖かさを見つけ出して、この町が自信とプライドを取り戻し未来に向かって戦いを挑んでいく姿を一日もはやく観たい。

 少し体力が回復して来、黒姫山の麓、北向を歩いてきた。 殆ど人の気配も無く、無人に近い集落は水と蝉の音だけしか聞こえない。廃屋と見える家も庭の草は手入れされている。普段住まない家を守るのは大変なことなのだろう。
 集落を過ぎて黒姫登山道を少し上ると沢間に田圃が広がる。稲はもう少し色づいていた。

 ここまでくると珍しいトンボにも出会える。小さな虫に悩まされた、その先になのだが・・・。

清津峡

2007.08.13 風の戯言


 清流が見たくなって清津峡を訪ねた。
 50年振りになる。十日町の松岡に案内されて、高校生の頃川沿いの道を歩いた覚えがある。事故以来スリル満点の遊歩道はトンネルに代わり、途中の4ケ所から大自然の展望が楽しめる。
 1600万年前から1300万年前に海底火山の堆積によると言われる頁岩が見事で、地球の歴史がむき出しで話しかけてくる。時間と言う圧倒的な凄さを有無を言わさず納得させられるようで、スカッとする。
 46億年の中の1600万年前なんて屁みたいなものだが、人間の存在なんて・・・気が遠くなってくる。

 人間の存在なんて、別に大した意味も無く、思い悩んで身動き取れなくなる程のものでもなく、だからと言って只虚無で生きることではなく、その無意味さを知って今日一日を楽しむ。戦国武将の美学が理解できそうになる。が、もっといい加減に生きてもいいんじゃないかな・・・・。

地震後 1ケ月

2007.08.11 風の戯言


 地震後1ケ月が経とうとしている。
 街中はまだ倒壊した家屋の無残な姿が
 7月13日午前10時13分のまま時間を止めている。
 日中の暑さに、気がついてみればもうお盆。
 立秋が過ぎていた。
 何故か突然に島崎藤村の「初恋」を思だされた。
 50年も前の、掻き毟られる様な詩の感動が蘇る。
 何故だろう?

「初恋」

  まだあげ初めし前髪の
  林檎のもとに見えしとき
  前にさしたる花櫛の
  花ある君と思ひけり

  やさしく白き手をのべて
  林檎をわれにあたへしは
  薄紅の秋の実に
  人こひ初めしはじめなり

  わがこゝろなきためいきの
  その髪の毛にかゝるとき
  たのしき恋の盃を
  君が情に酌みしかな

  林檎畑の樹の下に
  おのづからなる細道は
  誰が踏みそめしかたみぞと
  問ひたまふこそこひしけれ

 なんという美しい日本語だろう!

「小諸なる古城のほとり」

  小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず 若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾の岡辺  日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど 野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて  麦の色わずかに青し
  旅人の群はいくつか  畠中の道を急ぎぬ

  暮行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛
  千曲川いざよう波の  岸近き宿にのぼりつ
  濁り酒濁れる飲みて  草枕しばし慰む

  「千曲川旅情の歌」
    
  昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ
  この命なにをあくせく  明日をのみ思ひわづらふ

  いくたびか栄枯の夢の  消え残る谷に下りて
  河波のいざよふ見れば  砂まじり水巻き帰る

  鳴呼古城なにをか語り  岸の波なにをか答ふ
  過し世を静かに思へ   百年もきのふのごとし
  千曲川柳霞みて     春浅く水流れたり
  たゞひとり岩をめぐりて この岸に愁を繋ぐ

 突然に2度と帰ることの無い15の頃を思い出している。
 俺はどうかしているのかも知らん。