菊間和七さんのこと

2008.01.17 風の戯言


 菊間和七さんが亡くなっていた。
 年賀状を戴き、お元気なことを確認したその元日の夜に風呂場で倒れたとのこと。何とも寂しい夜になってしまった。

 昭和35年4月から卒業まで高田工業高校建築科3年生の一年間、西城三丁目のお宅で殆ど家族のような下宿生活を送らせて頂いた。貞子おばさんと和憲君伸二君兄弟と菊間さんの親戚の河田君と、俺の甘えすぎかも知れないが、まるで6人家族のように大事にしてもらった。
 下宿の窓から晴れた日の雪景色を眺めていて、家業を手伝うことを当然のことのように考えていた人生を、3年生の冬になった突然変更してしまった。俺は大学にゆく。俺は外国にゆく。全く何の関連も無くそう決断して、当然武蔵工業大学の受験は失敗し、進退窮まって、叔父さんの伝を頼って、共産党系出版社の理論社に文字通り転げ込んだ。可否の返事を貰う前に布団と取敢えずの生活用具を送り込んでしまった。営業部長だった菊間喜四郎さんはビックリしていたけれど、兎に角その日から住み込みのバイトと予備校の研数学館通いが始まった。
 随分と不義理を繰り返したが、人の運命は分らないもので、先輩の堀内国男に勧められて神奈川大学を受験し、給費生試験は惨憺たるモノながら2ケ月の猛勉強で何とか入学できた。俺の人生の中で死に物狂いで努力したのは多分あの2ケ月だけなのだろう。
 理論社の住み込みのバイトは午前中が仕事で午後から予備校、帰ってきて仕事を手伝い、夜は来客のお茶汲みと戸締り夜間警備。来客は多士済々で五味川純平、早乙女勝元、早船ちよさんなどの作家、元全学連の委員長や野坂参三やタカクラテルの子息太郎さんなど、社長の小宮山量平さんの交友の広さを物語るほんとうに多くの人たちが毎晩のように集まり、お茶を取り替えながらその人たちの話を聞くのが何よりも楽しかった。
 自転車の荷台に本をいっぱい積んで日販や東販、大阪屋など御茶ノ水の坂を喘いで上り下りした日を久し振りに思い出した。自分でも理由の分らない怒りの中で、サルトルの言う出口なしの絶望感に苛まれ、夢遊病者のように横浜からの密航を企てていた時期も思い出してしまった。
 随分と遠くまで来てしまった。
 時間って何なんだろう。

 菊間和七さんの御冥福を祈りながら・・・。

小正月

2008.01.14 風の戯言


 雪の降る風景を表すのは縦書きが相応しいように思う。音も無く降る雪のその静けさはやはりあの「んんんんん・・」と綴った詩を超えるものはなさそうだ。
 
 小降りになった夕暮れ、新雪を踏みながら犬の散歩に出た。1週間に一度だけ、主人の気まぐれで自由に走り回れるのを最高の楽しみにしているらしい。おねだりもせずに、散歩に誘われるのをただじっと待っている。それがとても可愛いのだけれど・・・寒いのだ。
 八石の山が、日本昔話の挿絵の背景のように佇んでいる。鯖石川の東岸の集落に灯りが燈り始めている。65歳の1月14日、今日俺は何の為に生きていたのか・・・なんて問うのは止めよう。藍沢南城がこの風景の中で何を考えていたのか、三余堂の学寮の囲炉裏で降りしきる無音の雪音を聞きながら、そんなことを訊ねてみたかったな、と思う。

 温暖化の論議が賑やかだが、ここに住んでいると雪が少ないのは助かる。「雪地獄 祖先の地なれば住みつげり」そん地の底からのような恨み節が聞かれないだけで心が休まる。
 
 連休でボーとしている間に「おぢや風船一揆」の準備が始まっている。今年は32回、大会副会長を拝命し続けながら何も出来ないもどかしさの中で、毎年繰り返されるこの祭りのパワーの凄さを噛み締めている。
 

7月16日をどう迎えるのか

2008.01.14 風の戯言

 大晦日の花火が中止になって、この気持ちを何処で天に届けるのか、いま話題になっている。7月16日をどうデザインするか、花火のこともさることながら鎮魂の祈りをどう表現すれば人はまた前に進めるのか。
 ある企業は世界的な規模で「アベマリア・コンサート」を開きたいとの案もあるらしい。聖書の最初の翻訳者が柏崎の人だという話もある。ヘボンのメンバーで高橋五郎という人。深い縁があるのかもしれない。

原子力保安院の地元説明会

2008.01.13 風の戯言


 友人に誘われて原子力安全・保安院の地元説明会に出席してみた。この手の会は普段は遠慮申し上げている。しかし復興会議の議論に現場体験がないと何も言えなくなる。そう思って、会場に滑り込んだ。信頼を築く為の地元住民との対話集会という割には物々しい警備陣、多すぎる女性スタッフの配置など、場違いな警戒感が目障りだった。

 「信頼」 どうすりゃいいんだろう?

 

平成20年 始動

2008.01.08 風の戯言

 年末年始、約10連休が終わり平成20年がスタートした。「約」というのは28日が会社の大掃除やボーリング大会、忘年会で過し、中止になったが大晦日+元日と復興花火の対応、4日は柏崎市の賀詞交換会で結局キンチョウとユルミが不規則に繰り返したので休みの最期は本格的な「欝」状態になってしまった。
 原因は大晦日+元日の花火の強風による中止。真冬の日本海という最悪の条件を想定外にしてしまった「迂闊さ」。自己嫌悪に陥らない方がおかしい。参ったね。

 昨日は仕事始め、といっても挨拶回りと来客応接なのだが間を縫って新年度の業務計画の詰め等結構隙間の無いスケジュールをこなしている。俺はやはり仕事をしている時が一番楽しい。どんなに苦しくても頭の中をブンブン回してニコニコしながら危険をすり抜けていくのが面白くてしょうがない。この職業は、多分天職なのだろう。
 少しづつ、欝が晴れて躁がやってくる。これがまた始末に終えない軽率な言動を繰り返し、自己嫌悪の種となっている。B型人間の宿阿。

 とボヤきつつ、暖かい冬を喜んでいる。雪が少ないのは何よりも助かる。平成20年のスタート、だ。