舞い降りた妖精
土曜日になると娘夫婦が遊星人を連れてくる。孫と呼ぶのは、ショット・バーで一緒に酒を飲めるようになってからにしよう。今はまだ、舞い降りた妖精のように、俺には理解不能な奇声を発して互いの親密の度を探っている。子供の時と違って、どう接していいのかよく分からない、のが本当のところ。俺のほうが照れてるのかな?
孫は別の生き物だ。兎に角可愛くてしょうがない、なんて話をよく聞く。そうなのだろう。
体調が思わしくない。血圧が100-60だつたり、140-90だったりする。急に立眩みがしたり、皮膚が急に冷たくなったり、肌寒くなったりする。暫らくこんなもんだろう。こんな大波小波を越えながら元に戻っていくのだろうと思っている。
来週は新潟県経営品質賞の受賞パーティやその他諸々で酒の席が数珠繋ぎだ。人が自分から勇気を貰おうと思っているのに、こっちがへこんでいたのでは絵にならない。
もう少し頑張ろう。
岩室成人病検診センター
静かに「時」が流れている。
久し振りにランちゃんの散歩に付き合い、何時ものコースの小学校の裏の崖に「わらび」を見つけた。一握りだけ頂いて、後は次の人の楽しみに残しておく。それが此処に住む人の掟。春の山は「酒の肴の宝庫」。
春は駆け足で過ぎて行き、もの音の消えた夜は深い霧の中に沈んでいる。家の裏の田圃からカジカガエル?の合唱が聞こえてくる。何と素晴らしい土地だろう!
昨日は多少の懸念を抱え、岩室の検診センターで検査を受けてきた。今更なんの病気が見つかっても手術する気もないが、知らないで無駄な時間を過したくもない。人はいずれ去り行くもの。散り際はジタバタしたくない、と思っている。
センターの隣に小さな神社があり、その桜が見事に散っていた。風もなく、落ちた花びらが一面に敷き詰められたようで、異空間を作っている。いい風景だ。
さまざまな事おもひ出す桜かな 芭蕉
検査結果は良好で、ただ肝機能だけが弱っているらしい。らしい、ってのは自覚しているが、改めて、したり顔で、「酒を止める様に」って言われたって、そりゃそうはいかねえ。最近は正気でもそうなんだが、俺から酒と呑んだ時の大法螺を取っちまったら何にも残らねぇ、んだ。
うん、まだ自覚しているうちは大丈夫 !
TOKYOの休日
「遥かなるロシア」
電車の中吊り広告、正確にはドアの右上なのだが、その文字が目にした時、俺はいきなりロシアの平原にブッ飛んでしまった。
「遥かなるロシア」・・・何と言う素晴らしい響きなんだろう!。俺の中のロシアは今も「ドクトル・ジバゴ」のララのテーマが流れている。農村の風景とジバゴのオマー・シャリフ、ジュリー・クリスティのララ、みんなひっからまって俺の「ロシア」の風景で出来てしまう。トルストイもツルゲーネフもドストエフスキーも、みんなララのテーマの、心を掻き毟るような調べから逃げ切れないでいる。妄想、だね。
BUNKAMURAまで行ってよく見たら国立トレチャコフ美術館展「忘れえぬロシア」であった。思い込みの中で「遥かなるロシア」と読み違えていたようだ。
目玉はクラムスコイの「忘れえぬ女」、ロシアのモナリザと言われているらしいが、この娘はどんな人生を過したのだろう。古き良きロシア、まだ仕合せだった革命前の風景、ロマノフ王朝最期の皇帝ニコライ二世、貴族達、農奴たち・・・秒速30万キロの世界が速度を増して動き出した時、過酷な運命みたいなものに翻弄される哀しさが、芸術家達の感性だけが捉えた歴史の予知を・・・感傷的に見るしかなくなる。
12日は上野の国立博物館阿修羅展、13日はお台場を徘徊し水上バスで日の出桟橋へ、そこからまたテコテコと浜離宮まで、真夏のような太陽を受け、レーバンのサングラスをかけて、少しキザに5時間ほど彷徨った。夜は品川の駅裏でロハス・レストランで今様な料理を楽しんだ。初めてのセガレのオゴリ、大丈夫かなぁ。
そんなこんで、急に東京さ出て、お天気に騙されて風邪ひいてしまつた。まぁ、いいか。明日は検査入院。悪い所は頭と口と手癖らしい・・・俺の友人達にはいたわりの心ってのがない。
社長退任
4月10日は創風の創業記念日。今年22回目。
この日を以って社長を退任し、岡本尚武にバトンタッチをした。
同時に、新潟県経営品質賞奨励賞受賞の決定があった。経営計画書、としての位置づけで書いたものだから、まぁこんなもんか? 受賞を狙うとすれば基準書に則って書けばいい。しかし、この経済の激動期にそんなもんでいいのか? 一経済人としては別次元の問題のように思えてならない。
もう少し深掘りしながら、問題点を明確にして、一歩づつ前進できれば、と思う。
もう一つは、パーティが始まる直前に懸案の受注の連絡が入った。他社と競り合って勝てただけに、本当に評価して貰った実感が強く、とても嬉しい。
兎に角、これで社長業から足が洗える。