大晦日の復興花火

2007.12.13 風の戯言

 いろいろな思いを花火に乗せて大空に送り届けたい、そんな思いも篭った大晦日復興花火の準備が進んでいる。
 募金は予想を超えて集まり続け、多分予算は確保できるだろう。不足だったら言ってくれ、いくらでも出すから・・・そんな嬉しい申し出も何人かから寄せられている。除夜の鐘と共に打ち揚げられる花火はただの花火ではないのだろう。企画者の思い以上に大きな何かが加わったようだ。

風の会

2007.12.13 風の戯言


 時は光の如く過ぎ行き、我は迷える野良犬の如し

 久し振りに有志が集まって風の会を開いた。
 会社社長や公務員、会議所の幹部など。大学教授や役所幹部などが都合により欠席した。ゲストは開発コンサルタント。彼の持つ詳細なデータを下に柏崎の未来を語り合った。悲観要素が多い中で、ただ未来は立ち向かう人の意思のよることが多い、ことは知っている。数学として答えが出ている面と、その無理をひっくり返すエネルギー。だから人間社会は面白いのだろう。簡単にやられてたまるか!

 柏崎は小さな町ながら、人口10万ともなればそれなりの人が居る。その人たちをネットワークすれば、きっと楽しい未来が待っている、俺はそれを信じる。

鯨波事務所の解体終了

2007.12.06 風の戯言


 鯨波事務所の解体作業が終了した。

 丘の上の小さな城のような白い建物が好きだった。
 広い更地は表情を失った仮面のように、感傷に沈もうとする自分を拒絶しているように感じる。3年前の地震による被害のあと、丁寧に修理した心算だったけれど、その後立ち寄る機会が殆ど無くなっていた。
 社長室に置いていた仏様もお参りする事もなくなり、建物に宿った神様達は寂しかったに違いない。申し訳なく、心が痛む。

 春になったら崖側に木の柵を設け、木犀のベンチなどを置き、下を通る電車を見ながらビールが飲めるようにしたい。跡地には花を植えたり、木を植えたりして土地の神の機嫌を直してもらおうと考えている。
 来週、最期までこの建物にお世話になったネットワークシステム課の面々と、課員でもある有坂宮司による地鎮祭を執り行いたいと思う。

 この土地と建物を入手した時、ここに住む霊達を鎮めるのに随分と時間がかかった。社員がみんな帰った後で、一人般若心経を唱え怒りを解いていった。半年ほど掛かったような記憶が残っている。暫らくまたこの地に通うことになる。何をするでもなく、一人ブツブツと言いながら地の神達と語り合うのだ。
 事情の見えない人たちからは、変な行動に見えるのかも知れない。かまうことか。

 オイおさむ 明日より目指せ 風の果て     草風

開戦記念日

2007.12.06 風の戯言


 雪の香の 風の雲間の 青き空        草風

 昭和16年12月8日 真珠湾攻撃が始まる。

 歴史上の「IF」を駆使して、この開戦を止めるにはどんな可能性が残されていたのか・・・日米開戦なんて選択肢はなかったはずなのに、何が狂わせてしまったのか・・・再調査が必要だ。

 今日本は何をせんと行かんのか?
 
 閉塞した時代をドンガラリンと変えるのは、地震だと石黒耀は言う。日本は事挙げせぬ国だから、時代が行き詰まって二進も三進も行かなくなると「切れる」。誰かが切れる。
先の見境なしに切れたのが大塩平八郎、生田萬大先輩じゃないか。
 平成の生田萬の乱を起こせ!

個人の幸福と地域経済

2007.12.04 風の戯言


 とつとつと 雪落つ音や 夜が沈む      蒼風

 ある友人への手紙

 経済人、特に経営者なんて human behavior 人間行動の観察者みたいなところが有って、自己或いは集団の利益を考える時に「性悪説」の方が自分の頭を整理し易いのです。
 六韜三略、孫子の兵法、マキュアベリ君主論、或いは塩野七生「ローマ人の物語」など・・・個人の幸福の追求と51%以上の人間の世俗的幸福の追求は相反するものかもしれないですね。
 宗教的には、私は原始仏教がシンプルで好きですが、多分地域共同体が生きる仕組みとしてはpolitical economy 政策としての経済学を大切にすべきものと考えています。

 雅子妃の父君小和田恒氏が柏崎高校で講演した時「明治以来、日本人の精神的解放はできていない」と言われました。 日本文化の深層は豊かな縄文人の生活であり、それは稲作文化と融合し江戸末期まで、いや、現在も「米経済」として生きてきている。キリスト教の分派は狩猟文化と融合して資本主義を生み、この妖怪は貨幣経済に変貌し、世界規模に拡大増殖しています。
 このことの是非はともかく、1個の生命体としての人間はこのことを受け止めざるを得ない環境にいます。ダーウィンは「力のあるものが生き延びたのではない。知恵のあるものが生き延びたのでもない。環境に適応したものだけが生き延びことが出来たのだ」という意味のことを言っています。

 柏崎という経済環境の中で、束の間の生をどう燃焼させるのか、今問われていることは確かですね。