片貝の花火 浅原神社秋季大祭
重陽の節句は小千谷片貝町の浅原神社の秋季大祭が執り行われる日でもある。片貝の花火と人は言い習わしているけれど・・・。
今夜もまた大勢の人たちが集まって素朴な花火大会を楽しんでいることだろうなぁ。9日初日の見ものは42歳厄年の同級生が上げる銀冠りのスターマイン、お立ち台で「アガーレ、アーがーレ」の大合唱の中、鎮守の森の杉木立の隙間を埋め尽くすような花火が爆裂し、火の粉が降ってくる。
10日2日目の圧巻は還暦の善男善女が挙げる「金冠り」、これが又見事で頭の上から小判が降ってくるような凄い花火。
60歳の青春、老爺老婆と言っても又色気十分の同期生達が花火の打ち上げに完全に狂い踊っている。
人生が一巡して、いい歳こいて、こんな無茶苦茶な感動を味わえるなんて、小千谷片貝の花火は何とも羨ましい限りの祭りなのだ。
秘すれば花・・・
瀬戸内寂聴の本を始めて買ってみた。「秘花」世阿弥が佐渡に流されてからの生活を前半は世阿弥自身の語り、後半は佐渡で身の回りの世話をした紗江の語りとして、全編を静謐な世界が包み込む。
俺は「世阿弥」も「能」も何もかも知らない。しかし寂聴の世界に沈殿している時間は至福だった。こんなに静で激しい心の時代があったのかと・・・・。
薪こる遠山人は帰るなり
里まで送れ秋の三日月
順徳院の御製だそうだ。なんという美しさか!
天皇から防人や庶民まで和歌に映したこの国の心根の優しさを改めて思い起こさせてくれる。余分だが、この時代の欧州などでは「庶民」は動物に近い生活だったとされる。
浅田次郎は定番。今回は「月下の恋人」。ストーリーの豊かさと表現の確かさ。
「夜が闇の権威を誇っていた時代」上野駅から直江津行きの汽車に乗った「列車は何の前ぶれもなく、私の日常をぐいと押しやる感じで動き出した」
不意にこんな表現に出会うと泣き出してしまいそうになる。どうしてアイツは俺の心を掻き毟るのだろう。
台風は上手く柏崎を避けて行ってくれた。それにしてもにぎやかな年だネェ。
写真は高柳町荻の島 松尾神社
9月になれば
9月になれば・・・て言ったって、もう3日になるんだけれど・・・
9月になれば、夜の深さが違ってくる。
雨上がりの庭は虫達の声で静まり、シンシンと鳴る頭の中がうるさく、ただ黙して闇を見つめる。
全ての愚問は影を潜め、賢き答えは姿を消す。
心を留めて、ただ過ぎ行く時を楽しむ。
明鏡止水。
9月になれば、
誰だって、静に時を見つめる時間が恋しくなる。
奇妙な結婚式
9月1日、娘の結婚式が無事に済んだ。
1月の入籍、3月の新婚旅行、9月の結婚披露宴・・・
順序が少し変じゃないかな、とも思うし、1年かかりのイベントにしてしまうのも・・・まぁそんなもんかなと思いながら一緒に楽しんでしまった。
大勢の人たちに集まってもらい、みんなの祝福を受けて、幸せな子だな、と思う。
入籍が済んでも、新婚旅行から帰っても、嫁ぎ先と実家の間を行ったり来たり。それでも少しづつ実家に帰る率が少なくなってきたのに、披露宴の夜は当然のように遅くなって我が家に戻ってきて、家族みんなが「もう出てきたのか!?」
聞けば新郎は無制限一本勝負の3次会へ、娘は翌日、つまり今日は「嵐」のコンサートに親友のさっちゃんと出かける事になっていたのだそうだ。
大勢の人たちに祝福してもらい、又地震後の大変な時に散在させてしまった。なにか、親の立場として申し訳ないような気持ちもするけれど、とにもかくにも、奇妙な披露宴が終わった。新しい人生のスタートを喜んであげたい。
何の心配もしていない。