教養とは何か
あの人は教養がある、とかないとか言う。
教養とは何か
ある本にこんな書き方がしてあった。
「教養」とは人の心を温かくする心だ、と。
いい言葉だと思った。役に立たない知識の中でも飛び切り役に立たない知識を教養というのかも知れない。無関心な人にとって見れば何の価値もない話だが。人の心を温かくする・・・人は後ろ向きでは歩けない、だから前を向いて歩く勇気を分けてくれる人に共鳴するのだろう。
今の今まで、人は死んだら無になる、という原始仏教に惹かれてきた。日本の仏教は元の仏教とは違う(富永仲基)けれど、それは間違いではなく日本人の優しさに合わせたものだったのか、と今理解できた。
これからは心の時代だ、なんて言う。
心とは感情とは違う、未来に対する意志なのだろう。最近の経営学セミナーで「想い」という言葉が出てきて戸惑った。近代経営学では計量化出来ないものは排除していたはずなのだが・・・上部構造は下部構造に依存する・・・何処かで聞いた事のある言葉で説明していた。世の中変わっているんだな。
季節外れの風邪
毎年のことになるが3月の終わりから4月は体調が崩れる。
祖母が3月23日、親父が4月10日、祖父が4月13日、母親が4月25日・・・・もう50年から60年近くも前になるが相次いで親達が逝ってしまったこの時期の記憶は何処かに残っているのかもしれない。
季節外れの風邪も手伝って今日午前中は自宅で休養と仕事。電話を入れたりメールを打ったりとマイペースで机に向かっている。
正午から商工会議所で法人会の役員会。自分でもわからぬ役がある。何処かで人の役に立てば、それはそれで有難い事かと思う。
先日は身障者のNPO「トライネット」の理事を承っているが3期目なので副理事長とか・・・女性理事が多いので「用心棒」だと思っている。何か役に立つ時があるのかも知れない。
情報 見なくてわかる能力
司馬遼太郎 対談「中国を考える」より
–ひどいめにあって、やっとわかるようなことがあるでしょう。
情報というのは、見なくてもわかる能力だから、情報を受けるのには、大変研ぎ澄ました認識
能力が必要になる。情報なんていくらでも来るから、結局受けての問題ですよね。
日本人は受けての能力に欠けた民族なんやろな。–
以下はあるメーリングリストの書き込み
–有名なメラビアンの法則によりますと、
目から入る情報:55%。
耳から入る情報:38%。
言葉の意味・内容:7%
といわれていて、メールは7%の伝達力しかなく、誤解、曲解を招きやすいとメラビアンの法則
っていうんですね
メールで情報をもらって実際に生に行動してみるっていうのが、いい感じなんじゃないかと最
近は思います。
人は自分の都合のいいように曲解しますから・・・
疲れきった夜に
今日は3月31日
1年度が終わり、1ケ月が終わり、1週間が終わり、1日が終わり、今やっと自宅のパソコンの前に辿り着いた。充実感と悔悟が絡み合っている長い一日、そして長い1年。
相田みつをの「じぶんの花を」の中にこんなのがあった。
男が仕事をする時は
常に捨て身でなければ
だめである
捨て身とは何も欲しが
らぬことである
勝ち負けを
捨てることである
男には命より大切なものがある。守らねばならぬものがある。常に捨て身だけれど、守らねばならぬもののために闘っているのだと思う。なんだろう?