年末の休日

2006.12.30 風の戯言


 毎年、倒れ込むように年末年始の休暇を迎える。ボクシングで言えば、朦朧とした意識の中でファイテングポーズを取っていたが、最終夕ラウンドのゴングが鳴った瞬間に沈み込むようにしてベッドへ。
 休みの前日は「日本酒」が美味い。安心してあの「安らぎ」の中に浸ることが出来る。従って飲みすぎ、翌日少なくとも半日は「ゴミ」になっている。今日も午前中その「仮死状態」を楽しんでいた。
 佐藤優の「獄中記」と中村アキラ「大東亜戦争への道」が届き、ページをめくるが文字が空中に漂っている。ダメだ。
 こんな時はクラッシックでも聞きながらボケているのが何よりも幸せ。正しい年末休暇の過し方?

 早くも地元3紙の新年号が配達され、目を通す。自分の原稿がどんな扱いで掲載されているのか、結構気になるものだ。読んでみてガックリする。駄文とは言え、雰囲気の流れを自分なりに構成しているのだが、文字数の関係で最後を「理論的」に纏められてしまった。なんか、がっくり。

赤八石

2006.12.25 風の戯言


 まるで三国峠を越えた関東の冬のような、そんな珠玉のような暖かく晴れた日が続いた。
 12月の暮れなのに、雪の姿が見えないというのは、自分をこんなにも晴れやかな気分にするものなのか!
 愛犬を連れて鯖石川の近くまでいつもの散歩コースを歩く。とても短いコースだけれど、一週間も家の留守番を強いられるランちゃんにとって散歩とおやつはとても大切な宝物なのだろう。目を輝かせて枯野を飛び回る、その姿を見ているだけで俺まで嬉しくなってしまう。

 沈みかけて夕日が八石の山を赤く染めていた。藍沢南城先生もこの夕日と暮れ行く黒姫の山並みを見ていたのだろうな、とふとそう思った。

 鯖石の風景は美し過ぎる。

KISNET 11周年感謝デー

2006.12.24 風の戯言


 12月24日、クリスマス・イヴは我がKISNETの開局記念日です。11年前、1995年12月24日、Windows95が発売された年に上位プロバイダーNEC Mesh系のプロバイダーとして開局しました。通信速度65k。設備費1000万円、今考えると嘘みたいな話してですが、それが「事実」です。なんて、なつかしいなぁー!
 と言うことでお蔭様で11周年を迎えることが出来ました。ささやかな「お客様感謝デー」に60名近い参加を頂きました。会社の会議室やロビーを使った社員手作りの「祭り」だつたので不備もあったかも知れませんが大勢の人たちに楽しんでもらいました。
 特に当社「マイクロソフトMVP」の石野君の講演はお客様の熱気が篭り、時間不足で申し訳ないような状況でした。
 参加者の抽選会、KISNET会員への贈り物の抽選会など賑やかな半日でした。注目の大賞品、MSDN 150万円相当の利用カードはお母さんに当りました。よかったね。

 子供たちやオバァちゃん、会社員や公務員の方、リタイヤした人たち、障害者の方も居られ、普通のソフトウェア開発会社では考えられないような異色な、温かい会でした。
 ありがとうございました。またやります。

硫黄島からの手紙

2006.12.23 風の戯言

 「硫黄島からの手紙」を観た娘が「ショック!」と語りかけてきた。同じ家に住み、同じ職場に通いながら会話する機会がそんなにあるわけではない。家庭で職場の話は厳禁だしそれぞれの生き方に異論があるわけではない。
 その娘が「たかだか60年前の話」でしかない日本とアメリカの戦争について質問を繰り出してくれることは嬉しいことなのだ。
 しかし、この戦争をどう説明したらいいのかよく判らない。戦後教育の中で「悪いのは日本」と教え込まれた身ながら、中韓の「歴史認識」を再検討していると本当にそうだったのかという疑念が湧き上がってきている。
 岡崎冬彦の言うように「かつてアングロサクソンに勝った国はない」のだから、リアリズムから言えば「歯向ってはならない」国に挑んだのは間違っていたのかもしれない。
 「しかし・・・」と思う。

NPO法人 トライネット祝賀会

2006.12.19 風の戯言


 自分でも把握できない行動の中に障害者の支援組織 NPO法人トライネットの副代表理事の肩書きがある。春先、市長が活動拠点「スペースあると」を訪問されたとき取材同行していた地元新聞社の社長が「石塚さん、何でここにいるの?」と聞かれた。お母さん達の集まりの中で、自分の立場をどう説明していいのか判らず咄嗟に「用心棒だよ」と答えてしまった。でも何と無くその「用心棒」が好きになり、いつもそう答えることにしている。
 今日は念願であった新しい活動拠点「ここ はうす」の竣工記念祝賀会が開かれた。市長さん始め多くの来賓と支援者、スタッフの人たち、利用者の子供さんたちが一緒になってお祝いし、マリンバの演奏があったり、市の介護スタッフによるバンド演奏があったりと、とても温かい、一足先のクリスマスのように盛り上がりがった祝賀会だった。
 閉会の挨拶で、私は用心棒のつもりで居たけれど、励まされ勇気付けられているのは自分達の方じゃないかと思う、ありがとう、と締めさせていただいた。
 最高にいい時間だった。こんな温かい心を一人でも多くの人たちに伝えられたら柏崎はもっともっといい町になるだろうとしみじみと思った。いい町になって欲しい。