いきなり、秋!

2008.08.23 風の戯言


 そこを退け己が気分で秋が行く

 いきなり秋が来たようでオロオロしている。
 昨日まで、西と南の窓は網戸だけにして布団も蹴飛ばして寝ていたのだが、原始人のような生活もこれにて千秋楽、かな? 
 今年の夏は少し変!だつた。毎年庭に湧いて出るような油蝉が極端に少なかった。蝉を食べることに執念を燃していたランちゃんも今年は手持ち無沙汰。我が家への来訪者はヤマトンボと蛇一匹だけ、青蛙は多少いるようだが、確実に生態系が壊れかけている。
 倅の話だと、鳥葬の国も農薬の被害で鳥さんが激減し、棄てた遺体を食べてくれないのだそうだ。身体に残る多くの神が天に戻れなくなる・・・我が骸を野良犬に食わせろと辞世に残した小野小町もフクザツな気分じゃろうね。ま、ヒマラヤの話だ。

 21日は善くして頂いた若き女性記者の送別会。リゾートのレストランで洒落込んで見たけれど喜んで貰えたのかどうか不安。30歳以上も年の違う彼女に、ふるさとを見る目を洗いなおして貰ったような気がする。愉しいひと時だった。
 22日は幼馴染の高橋和子さんの写真個展の手伝い。極寒期の北海道の自然を撮り続けていて、その写真たちはとても暖かいのだ。多分生命の極限に身をおいたことのある人の、神を見た人だけが感じる「何か」を見つけたのだろうと思う。
 高橋和子コテンコテン「地球・・・そして愛」は楽しみなんです。

 夜は銀行さんの納涼会にOGを連れて参加。地域に密着した銀行さんの生きる道と自社のそれとは同じこと。あまり出ない会だったので懐かしい顔に話が弾む。2次会は新花町。客が多く追い出された。常連、ってのは都合のいい客ってこと・・・でもないだろうが、早い帰宅は健康の為。年寄は健康第一・・・しゃくなんだなぁ。

 写真は刈入の始まった佐藤ケ池の風景。気早の柏崎は越路早稲を県下いち早く収穫しご祝儀相場を得ている。

不思議な生命体

2008.08.20 風の戯言


 今朝早く娘に娘が生まれた。
 名前を「千里」にしたそうだ。「千」は千歳おばぁちゃん、「里」は古里を愛する女の子になって欲しい、と言う意味だそうだ。泣かせるね。
 仕事が一段落した夕方、顔を見に行ってきた。不思議な生命体が身動きもせず、洗い物カゴみたいな容器に入っていた。「ふぅーーん」だ。よく分らない。少しづつ可愛くなって行くんだろう。
 気のせいか、風景も音楽も少し奥行きが出てきたように思う。俺の戦いはまだ始まったばかりなのだが・・・年齢不同一障害・・・?

実りの予感

2008.08.17 風の戯言


 お盆も過ぎ、そう言えば7日が「立秋」だった。
 暑かったり、雨が降ったりでお米の神様は御機嫌良かったのかな。漁業関係者は派手なストライキを打ったりして価格高騰に持っていくのに上手い手を考えたな、と思ったら実は海面が暖かく下は冷温で魚が岩の中で動かない、のだそうだ。だから漁獲量は激減、お盆前の市場は通常の2−3倍、お盆はどうすればいいのか、と割烹の親父が心配していた。

 原油価格が高騰し、煽りでバイオ燃料がモテテ、食べる食料品原材料が値上がりし、やがて空気と水も高くなるだろう、と言われている。空気と水はタダだと思っていたのだが、なる程ペットボトルの水はガソリンより高い。
 空気も、そのうち身体にメーターを付けられて「ハイ、酸素と水素の使用量はいくら、CO2の排出量はいくら・・・・で今月の請求書はこれ、カードで入金してくださいね。払えない? じゃ酸素止めますよ。エッ、死んだ? あら、ごめんなさいね」なんて時代が来そうな雰囲気。
 生きている内に精一杯の恋をしとかないとねぇー。

 写真は新道から黒姫山を望む。稲が色づいてきた。

雨のお盆

2008.08.16 風の戯言


 娘の出産を間近に控え、今年のお盆は自宅でのんびり過している。予定を立てないで、気分のままに時間を過すのは性分に合っているようだ。要は気まぐれ、ということ。
 それにしても雨の近いお盆で、毎日どこかの時間で雨が降っていたようだ。お蔭で庭と畑の水の心配も無く、窓から入る涼しい風に身も心も爽やか。

 この風景はノーベル賞経済学者スティングリッツの米国経済の告発には、同じ時代を生きているとは思えないほど危機感に乏しい。遠くで雷の音はするけれど、自分のいるこの場所にはこないだろう、そんな感じ。世界経済の動乱と縄文時代が同居している。それもまた幸せのことなんだろう。未来さえなければ、の話だが・・・。

 写真は八石山石川峠から米山方向の鯖石の谷を望む。この小さな谷に先祖代々の人生がある。インターネットのレーダーサイトでは強烈な雨雲が近づいている。

ぶどう村 2008夏

2008.08.11 風の戯言


 気になって、時折「ぶどう村」を覗きに行く。ぶどう畑は文字通り草蓬々で、見放され愛が無くなった寂しげな風景が広がっていた。夏草や兵者共が夢のあと・・・か。
 畑の隅の植えられたバラの花が心に残った。

 富士子さんが朝日新聞の記事をコピーしてくれた。
 サトウタツヤ(立命館大教授)の「心・体 観測」より少し長文だけど引用させていただく。

 「最近では感情的知性(いわゆるEQ)が重視されている。例えば仕事が出来る人は–アタマが良いことは大事だが–それ以上に壁にぶつかった時にヒントをたくさんもらえるような人だという。もっと大事なことは、普段から人を助けているような人こそが、自分がピンチの時に助け舟を出して貰えると言うことだ。相手が困っているかどうか見抜く力、これが感情的知性であり、困った時に助け合う関係性こそが、優れた仕事をする条件だというのが最近の考え方である。
 自分が正当に評価されていない、困った時に相談する人がいない、と悩む人は多い。だが自分はどうだろうか。誰かが困っていることに気付くだろうか。IQ 等という数値ではなく、そういう敏感さこそがアタマのよさを作って行くのである。

 知識社会を超えて行くものは、やはり人間の心か ?