背水の陣 ….ピンチはチャンス….
地震の後3ケ月が過ぎて、ハッと気付いたら柏崎は崖っぷちに立たされていた。
無理も無い。3年にも満たない間にM6.8の地震に2度も襲われたのだから。中越地震で半壊になった自宅をやっと修理をしたのに今度は全壊、なんて人も多い。自分自身も鯨波事務所を綺麗に直したのに今回は地盤ごと揺すられ、建物はひび割れ傾いてしまった。残念ながら取り壊さざるを得ない。
本町通を行くと古き良き時代の建物が軒並み壊れていた。お寺も神社も、田舎町の文化的な渇きを癒してくれていた市民会館も、みんな壊れた。公園やテニスコートは仮設住宅で埋め尽くされ、街中の市民の憩いの場は消えてしまった。
エンマ通り商店街からは今もうめき声が聞こえそうな気がする。この町はどうなってしまうのか・・・。
「がんばろう! 輝く柏崎」、「頑張ろう! 柏崎」、「まだまだ! 柏崎」、「立ち上がれ! 柏崎」・・・スローガンが乱立している。町人文化の町だから価値観は多様でいいのだ、と吐き捨ててみても、言葉が一つにならなければみんなの心は結ばれない。
地震直後、目茶目茶になった工場で呆然と立ち尽くしていた社長と社員も、日本中の自動車産業から押し寄せた助っ人達の手際のよさに今度は唖然とし、やがて自分達の仕事の大きさに鳥肌が立つほど感動し、文字通り死に物狂いで働き出した。柏崎の基幹産業であり、2度の工業メッセをやり遂げた人の和が平成の大苦難を間違いなく乗り切っていくはずだ。
同じく、地震直後、柏崎刈羽原子力発電所は黒煙を吐いて止まった。テレビや新聞、週刊誌などのマスコミは恐怖心をあおり、風評被害を報じ、この町に住む人たちの心をズタズタにし嵐のように去っていった。
俺達はどうすればいいのだろう?
俺はこの町が好きで、この町に住んでいる。雪が深くても、新幹線が通っていなくても、洒落た店が少なくても、それでも俺はこの町が好きだ。歴史や文化やいろいろいいものがあるのだろうけれど、そんなこと関係なしに俺はこの町が好きだ。だから、この町で死んでいくことに何の躊躇いも無い。この町の土に返る・・・素晴らしいじゃないか!
この先、原子力発電所は廃墟となるのかも知れない。今回の地震で原子炉は自動停止した。そのことの技術力は評価すべきものなのか、当然なのか俺には判らない。想定外の震度と言いながら安全係数を高く取っていた事の効果なのだろうと思う。
東京電力の年間売上高は約5兆円、その20%が柏崎刈羽原子力発電所によるものだという。約1兆円。製造原価を30%と考えると約3,300億円。働いている人は東電職員1,000名、協力会社約5、000名 総労働人員6、000人、家族を含めると約2万人が関係していることになる。
柏崎の従業員4人以上の会社総数 社、労働者10,000人、工業出荷額2,380億円。
自然の中でお天道様と共に働き日が落ちたら眠る、そんな心安らかな生活もあるのだろう。冬は年の余り、雨は日の余り、夜は時の余り、三余を大切にしながら桃源郷で暮す。東洋の知識人の渇望した夢でもある。そんな暮らしがしたい。小和田恒さんは柏崎高校の講演会で「明治以来、日本人の精神は開放されていない」と言った。グローバリズムの招聘で日本人の心はズタズタになっている。
しかし、この日本の経済社会は自分達で選んだ現実であり、この現実の中で生きていかざるを得ない。
俺は今50人の社員が働く会社の社長をしている。若い社員は結婚し、子供を育て、家を建てて自分達の未来に挑んでいる。会社は社員のものであり、一生懸命に働いて生活の糧を得て豊かな人生を築いて欲しいと願っている。
今、東電が再開できず廃炉が決まったら、柏崎の経済はどうなるのだろう? 経済の語源から共同体が生きる仕組み、として考えている。既に10万人市民の間に深く根を下ろした原発と言う経済体をどう考えるべきなのだろう?
安全と安心を脅かされても、黙って生活していろ、と言うことでは勿論無い。
かつて、武黒所長(当時)が柏崎を離れる時に「築城三年落城一日」と言う言葉と共に「地元に信頼されない企業は存在する価値が無い」と言われたのを明確に覚えている。副社長になってもその心に変わりはないものと信ずる。
過去において、一番パワーを持っていたのは多分政治家だったろう。二番手は地元商工業者であったことも間違いないと思う。しかし現代パワーの主は一般民衆、市民、地域の生活者である。この信頼を得ないと、一見風のように価値観が移動し掴みどころの無い大衆の信頼を得ないと、全ては始まらない、のだと思う。
大衆の心を味方につけるのにはどうするか。誠心誠意、徹底的に真正面から向き合うほかには道が無い。どんなに苦労しても、信頼を得られたと言うことは心地いいものである。
活断層等の問題もある。簡単ではない。しかし、この苦悩を乗り越えた時、柏崎は素晴らしい町になると信じている。
頑張ろう! 柏崎
朱筆をいれ、校正後新聞投稿の予定
フルベッキ集合写真
フルベッキという一人の宣教師を取り巻く、幕末を駆け抜けた志士達の群像、いわゆる「フルベッキの集合写真」にまつわる話はネタとしては面白いが多くはトンデモ本なのだろう。
しかし、加治将一の「幕末維新の暗号」は歴史の裏面好きとしてはタマラない小説だった。
幕末の長崎、アメリカ人宣教師フルベッキを囲んで総勢46名の群像、龍馬、西郷、高杉、岩倉、大久保、中岡慎太郎、伊藤博文・・・幕末の英雄達が一枚の写真に納まっている。
馬鹿な、と思う読者の興味を次から次へと資料を並べながら明治維新後の不可思議な天皇家の謎解きをしていく。
特に北朝系の孝明天皇の後継たる明治天皇が何故南朝の楠木正成を新生日本の精神支柱に持ってきたのか。本当の明治天皇、孝明天皇の子供睦仁親王は大室寅之祐に摩り替えられたのだというヨタ話は以前から聞いていた。その大室が南朝の血筋を引き、フルベッキ写真の志士達はその事を企んだ一党であり、佐賀の乱も西南戦争もみんなその「知った者たちの口封じ」であり、維新後の日本が南朝の価値観の中で動かされてきた、という「解説」は面白すぎる。
政治の裏側は何時も謎に満ち、生身の人間の欲望を抉り出し、真実を遥か彼方に置いて来ていて野次馬にとってもう嬉しくてしょうのない話の種になる。
今日は十三夜、いまは雲に隠れているが帰宅したときは綺麗な月が見えた。
写真は朝の八石山。なんて美しいふるさとなのだろう!
八石の向こうは小国。南北朝の頃小国氏は南朝により、落ち延びてきた以仁王を匿ったという伝説を今も大切にしている。
小さな鯖石郷にも幾つかの城跡があり夫々に新田方、足利方に分かれて闘った昔話を聞かされてきた。ここに来て途絶えてしまったけど・・・。直江兼継の「天地人」でそんな昔話が又語り継がれるといいな。
風船一揆
「がんばれ! 柏崎」の垂れ幕を下げ柏崎の空を飛ぼうという計画は、天候の為残念ながら・・・であった。全国各地から50名近い仲間の参加があり、多分飛べたら壮観だった楼にと思うと、やはり残念だ。
でもおおよそ退屈と無縁の仲間なので、米山観光に出かけたりSLを見たり、東電の視察をしたり、後は広田鉱泉の中山館ゆっくりとゆに浸かり、その後の宴会も楽しく、いい空の仲間を持ったことを何よりも嬉しく思う。
もう35年も昔になるのか、日本で2番目の気球作りに燃え、完成した気球を柏崎青果、魚市場の駐車場で係留実験を繰り返していたことをつい先日のように思い出す。気球を揚げるたびに女房の母が赤飯を炊いてくれ、それが今も日本熱気球連盟の中に柏崎熱気球苦楽部の話として語り伝えられている。
会社のカレンダーのカメラマン高本氏が何よりもその話を大切にしてくれていて、今回も妻の手作りのお赤飯をお重を離さずに美味しそうに食べていたのが嬉しかった。ちなみに、彼の奥さんは京都美濃吉のお嬢さんで東京美濃吉の女将である。女性パイロットとして世界的に有名に人でもあるのだが・・・。
ジャカルタ「タケノコ診療所」の山田院長が日本に帰ってきていて、倅が一緒に遊んでいたらしい。ホントは俺の大事な友達なんだが・・・可笑しいね。
東電 中越沖地震の影響について説明会
どうやら明日の風船一揆は飛べるかも知れない。雨は上がったし、風はどうなるか・・・。
17日16時30分、柏崎エネルギーホールで東電の中越沖地震の影響について説明会が行われ傍聴してきた。結論から言えば面白くない、の一言に尽きた。初めてこんな会に行ってみたが10年一日の噛み合わないやり取りが繰り返されるだけ。そんな感じ。柏崎が地域として存亡の危機にあるときに建設的な、未来に向かっての議論は出なかった。
一言も発しなかったのは卑怯かもしれないが、攻める何かが見えた気もする。俺の出番が近づいたのかな?
風船一揆 柏崎復興の陣
双子座は風性の人、らしい。
地震の後、空の色が秋らしくなった時、柏崎の空を飛びたくなった。被災者の人たちに空の上から元気を呼びかけたい、そんな企画に全国から大勢の気球の仲間が駆けつけてくれることになった。
20日と21日、蓮池さんが拉致された浜から10機の気球を飛び立たせる。お天気が良くなってくれればいいのだが・・・。
木犀が星明りの庭に強い香りを漂わせている。何かの間違いで春に枝を摘め、秋に又枝を詰めさせられて散々な目にあった木犀が、怒りを抑えて義理の花をつけているようで何とも痛々しい、のだ。
木は本来、小賢しく手を入れられた木よりも自由に伸び伸びとした姿が一番美しい。雪に枝を折られ、風に幹を傷められ、文字通り風雪に耐え曲がりながらも天に向かう木を、俺は好きだ。
ド素人が、雪囲いが楽だからとメタメタな枝の剪定をしてしまい、我が家の庭は見るも無残。以来、木に語りかけることもなくなり、庭に出ることも、自分の部屋から外を見る気力も失せた。可愛そうな木たち。
自然のままの木をみているのが一番性分にあっているのかも知らん。自然の中で、風に吹かれていると気持ちが安らぐ。