前兆?

2006.03.05 風の戯言

 最近、身体の深いところから時折不吉な微弱電流が流れる。

 今まで経験したことのない不快感があり、身体のどこかで異常が発生している信号-前兆なのかも知れない。要注意だ。
 年齢を重ねてくる毎に、健康には細心の注意するようになった。と言うより毎日毎日が未だ闘いの連続だからファイテングポーズを解く訳には行かないし、自分の健康、と言うより元気、闘争心を奮い立たせることが何よりも大切になっている。

 戦場で死ぬのは武家?の習いなので、病気を理由に戦線離脱したくないし、無気力な決断をしたくない。
 ただ、命だけを永らえる為の手当てを受けたいとは思わない。自分の中では65歳を過ぎたら治療は受けない、と規定している。
 悪い癖で、自分の人生にそれほどの価値を見つけられないでいる。だから修理して乗るほどの車じゃない、とも思っている。あまりいい考えとは言えない。

 唐突だけれど、人間には命より大切なものがあるように思えてならない。動物の一種である限り、命はやがて尽きる。
 遅かれ早かれ、人間は死ぬものである限り、人は命より大切なものを持つべきなのだろう、と思っている。

 自分の身体に耳を澄まし、養生を重ね、ファイティングポーズを崩さないように生きたい。それと、不健康なことを楽しむために、健康には気をつけよう。そういうことかな。
 
 

知足

2006.03.04 風の戯言

 「知足は第一の富なり」

 お釈迦様の言葉に一番近いと言われる経典「マンダパタ(法句経)」にこの言葉がある、と言う。
 確かに「足(たる)を知」らなければ常に飢餓感に苛まれ、心が満ちることはない。
 現代資本主義経済はその「飢餓感」に立脚した社会でもある。実際「生活を豊かにする」新商品・サービスの誘惑に抵抗するには努力が要る。「お金が無い!」と叫びながら、目はテレビCMに釘付けになり、知らず欲しい衝動に突き動かされている。
 手の届かない価格の時には「諦める」ことも出来た。しかし今はどうだ、「えっ!」と思うような値段で目の前にある。
 一点豪華主義から欲望拡散時代になり、今も「足を知る」こととはほど遠い所で喘いでいる。飢餓地獄とはこのことなのか。

 足を知るは第一の富なり、と言う。
 莫煩悩、欲を捨てろと言う。
 確かにそうなのかも知れない。
 だが「欲を捨てた」人生とはどんなものなのだろう。
 よく分からない。

バリの浜辺で

2006.02.28 未分類


 バリに旅してきた。
 友人がバリに医者を開業したのを祝い、ついでに久方ぶりに浜辺で眠りたかった。疲れていたのかもしれない。
 彼とは熱気球の製作を手伝った縁で、中国河北省石家荘でのフライトや、アキノ大統領就任一周年記念式典のお祝いの係留などに私を連れて行ってくれた。彼は私の人生に大切な彩を与えてくれている。

 バリは3回目になる。ウブドゥやバリダンスに特別な想いがあるわけではない。ただ、バリの浜辺で波の音を聞きながら眠るのが堪らなく好きなだけだ。最高に贅沢な話なのだが、HISの格安旅行を見つけると驚くほど安く行ける。

 英語も、ましてインドネシア語なんて出来るわけはない。旅行中は日本語だけで通した。一人旅なのでどこまで通じているのか不安になるが、タクシーも食事も買い物も不自由することがなかった。
 どこの国も白髪頭の老人には親切なようだ。ただ痴呆症を気取っていると支払いのときに「計算違い」の請求が出たりする。電卓叩きながら、何故か大阪弁でまくし立てると、大抵は「計算違い」は解決する。面白いね。

 自爆テロの影響から町はまだ癒えていないけれど、運命をそのまま受け入れてしまう土地柄か、ここかしこの神々に供物を配る女性達の姿が美しかった。

おぢや風船一揆 30年・・・

2006.02.28 風の戯言


 平成18年2月25日朝
 小千谷市西中の雪原にダイヤモンドダストが煌めいていた。
 山本山や周囲の山裾は朝靄に包まれ、空は青く雪山は朝日に輝き、今年30回目を迎える「おぢや風船一揆」は神様の贈り物としか言いようのない、夢のような快晴の中でスタートした。
 全国から集まってくれた39機の気球、ドラエモンやワンちやんの形をした熱気球、それらがゆったりと雪原を離れ大空に舞ってゆく。無風に近い雪原を空一杯に熱気球が広がってゆく。
 子供のように、30年同じ夢を見て、そして今年はその30年の良い所だけを繋ぎ合したような感動的な一日だった。

 私は既に老いて、祭りの何の手伝いも出来ない。それは悲しいことだけれど、遠くから来てくれた仲間達と無駄口を叩き合い、雪原に吼えるバーナーの音を残しながら翔びたってゆく一つ一つの彼らを見送ってゆくのはとても楽しく幸せなことなのだ。

 「嫁よこせ」なんて大書したムシロ旗をおっ立てて、「風船一揆」を始めた30年前が妙に懐かしい。 いい仲間と酒、人生にこれに勝るものはないのかも知れない。

 

柏崎の未来

2006.02.15 風の戯言

 柏崎の町について考えている。

 人は顔を合わせると柏崎の未来が心配だ、と言う。上越と長岡に置いてけぼりを食ったような感じがするのかもしれない。合併しても人口10万に届かない。少子高齢化、心配だ、って。
 不思議なのだが、個人がどう頑張っても解決できない問題を心配したってどうしようもないのだけれど・・・。

 柏崎は豊かな町だと思う。縄文人の末裔らしく豊かな自然環境の中で、揺ったりとして生きている。柏崎を罵倒している人たちに「どこに不足があるのか」と逆に聞いてみたい。

 自分のことになるが、俺は25歳のときに都会での夢に破れ、ボロボロになって田舎に帰ってきた。兄貴が「戻って来ないか」と言ってくれなければ、俺は都会のゴミ箱の中でくたばっていたかも知れない。
 改めて此処が俺の永久の住処か思った時に、俺は絶望の中から柏崎の宝探しを始めた。探してみるといろいろなことがいっぱい出てくる。誰もいない海。細々と続く山道。静かな農村の風景。そして愉快な仲間達。いったい何の不足があるのだ?

 柏崎はいろいろな問題を抱えているし、課題も多い。しかし、現に俺達はここに住んでいるし子供達もいる。自分の住んでいる土地を好きにならなくてどんな幸福が見つかるのか。
 10万人と言う人口は、町の規模としてはちょうどいい。人の顔が見えるし、温かさが通い合う。昔と違って、気が向いたら旅に出る自由もある。だけど、ホームグランドとしては此処以外は考えられない。山も川も、森も風も、祖先たちと生きてきたところだものな。