情報とは何か
西暦2001年はIT革命の時代と言われています。何しろ森総理が「IT」を「イット」と言ったとか言わぬとかで、国中が「IT」なければ夜も明けぬ国の様相を呈して来ている。
本来「革命」とは社会体制と価値観のドンデン返しでありとんでもない意味を持っているはずなのに、いとも簡単に使われている。少し冷静になって考えることが必要なようです。
情報化の波は80年代末の「ニューメディア」の時代から90年代半ばの「マルチメディア」の時代を経て現在「IT」に到達した。「IT」をどう読むかにも寄りますが「インフォメーション・テクノロジー(情報通信技術)」あるいは「インターネット・テクノロジー」と読む場合はハードまたはインフラであり、「インテリジェンス・テクノロジー」あるいはもっと「インスピレーション・テクノロジー」と読む場合はソフトよりと言えるのではないかと思っています。簡単に言えば「創る技術」か「使う技術」かと言う事であり、どうやらこの手の技術水準が一般的に使える「経済レベル」に達した時代なのかなと思います。
「情報」と言う言葉は明治の初めに福沢諭吉が最初に使ったということですが確認してありません。孫子の兵法以来どうも戦争に纏わりついた言葉のようですが、中国のように陸続きの隣あわせに騎馬民族がいる場合、敵の動静が自分の幸福(生存)に直接関わってくる。
そして危機が目に見える「動静」となる前に敵の首領の頭の中あるいは心を読み取ることが肝要となる。幸福の根源は相手の心のありようを知ること、それが「情報」の本来の言葉の意味だと、そんな観点から「三国志」を読むとまた一段と面白いのかもしれません。無学勝手流の根拠の無い解釈ですが。
さて、また「屁理屈の石塚」と言われる所以ですが、人間の幸福は厄介なことに外的条件としての生存環境と内的な心の両方の満足が必要となります。今の日本は正にこの世の極楽のような世界で、アメリカでは日常茶飯事のような殺人事件が大騒ぎになり、アフリカでは当たり前のような飢えも無い。何が不足で危機的状況にあるかといえばそれは未来に希望がないからだと言う。「希望」の他は何でもある(希望の国のエクソダス-村上龍)。人類には未開の荒野を切り開く事を宿命とするDNAが組込まれているのかも知れない。金が無いのは金持ちになりたいと言う希望があるから幸福なのか・・・苦しいところだ。
わぁー、話がメチャメチャ外れてしまった。
コンピューターは近代合理主義の帰結みたいな産物ですが、人間の素晴らしさは人間不信による効率的な生産性と自ら安全圏にいて効率的な大量殺人マシーンをコミュニケーションの道具に変えたことだと思う。
現実の世に戻ると不況と政治の混迷で新世紀も閉塞感が覆っている。世界一の金持ち国が何のいわれでこんな苦渋を味わなければならんのか。世の中訳わからないけど・・・面白いや。
新聞投稿原稿
鯖石
柏崎市加納 石塚 修
眠れぬままに早暁の鯖石川の堤防を散策しているとまだ遊び足らない妖精たちが賑やかに塒に帰っていくのに出会う。
西半分の空には未だ星が輝き、上流の方から川のせせらぎが頬を撫でる風に乗って伝わってくる。八国の山頂は霧に覆われ、黒姫は雲に浮かんでいる。やがて東の空を染めて今日が始まり、逃げ遅れた山霧が山麓をゆっくりと下って行く。何という美しさだろう。
夕方は金色の雲と微かな音を牽きながら旅客機が西に向かっていく。夜は星たちが瞬き、時には流れ星に出逢うことも出来る。そう言えば最近は人工衛星を見てないな。遥かな宇宙と人間の営み。遥かな時間の流れと通り過ぎてゆく風達。鯖石の地はいつも美しく、いつも温かい。
庭の椅子に凭れてボーとしてそんな風景を眺めているのが俺には何よりも好きな時間なのだが・・至福の時は痴呆症と紙一重。
我が家には少しばかりの芝生の庭と小さな農園がある。黒姫以北、東は八国が峰境、言えば佐橋の庄、それが俺の精神的領土。
その広大な領地の中の三十五坪ほどの農園にトマトやキュウリ、採り損ねた巨大なナスや牛の角みたいなオクラ、イチジクや柿などが実り、それが争いのもとなんだが、畑で取れる収穫物を巡って俺とカラスの熱い戦いが続いている。悪戯にロケット花火を用意していたが、どういう訳かそんなときには奴等は来ない。テロに対する危機管理はスゴイのかも知れない。久し振りの休日、芝の手入れをしていると隣りの樅の梢でまたあのバカガラスが喚いていた。
「うるせえーな、間抜けガラス! あっちへ行け」
「珍しいじゃないか、芝の手入れなんかして、カァチャンはどうしたんだ」
「喧しいっ!また俺のイチヂクを盗っただろう」
「お前んのか、いやさ、お前が作ったんか」
「当たり前だろう、俺が作ったんだ。俺の畑でだ」
「お前は木を植えただけ。作ったのはお天道様と大地。お前じゃない、分かるか?」
「うーん、そう言うことか」
「そうだ。トマトもだ。それともうひとつ、土地はお前のものじゃない」
「馬鹿言うんじゃない、土地は俺の名前で登記してある、俺のもんだ」
「それは税金取るシステム。大地はみんなのもの、分かるかな?」
「バカ・チンドン、お前のかぁちゃんデベソだ。ここは日本国だぞ、文明の誇り高い・・」
「カラスに臍があってたまるかよ。土地は虫や動物や鳥たちみんなのもん。境なんて、人間だけだ」
「うーん・・・」
「第一お前たち人間も動物の一種にしか過ぎないだろが。判ったらカァーと鳴いてみろ」
「カァー・・・」
「よく出来た。やればできるじゃねぇか」
「うっうっ・・・」
「カラスはな、頭がいいんだ。脳の体積比率から言えば俺らがトップ。人間なんか予選落ち」
「・・・・・・」
「それとザイゴモンよ、街の連中には気を付けろ」
「意地が悪いって、そう言いてぇんだろう」
「そんなこと言ってない。ただ、本当の自然を忘れている。危なっかしいんだ」
「ふぅーん」
「お前の相手してると頭がおかしくなる。俺は帰る。イチジク取るな、アバヨ」
好きなことだけを言い残してカラスは行ってしまった。田舎暮らしは不自由だけれど、不思議な充実感がある。そうだ、今年は柿が豊作だから鳥たちに残しておいてやろう。唐辛子を注射しておいて、だ。カラスが赤い顔で「ペッ、ペッ」なんて、アハハ・・。
今日もいい天気。
「パソコン村」のころ
新年おめでとうございます。
今年は西暦2001年と言う新千年紀の始まりなんですね。よく考えると凄い新年を祝っているのだなと思います。 さて、21世紀はどんな展開を見せるのか、未来を考えると何時も不安になるけれど、過去を振り返ると今ほど幸せな時代は無いように思います。
人類の歴史に進歩と言う概念があるとすれば、私は個人が自分の可能性を追いかけられる自由を手にしたことだと思うのですが・・・。
21世紀は「IT革命」の時代だと言われます。人間は農耕を発明し飢えから逃れ、産業革命を経て欲しいモノを手にすることが出来た。機械文明は人間より機械を信頼し、生産性を上げる為に効率よく「人」を排除し、効率的に相手を抹消する為に発達してきました。
コンピューターはその合理主義の帰結の産物ではあるけれど、人類の知恵の素晴らしさはそれをコミュニケーションの道具として使い出したことだろうと思います。
柏崎でインターネット・プロバイダーを始めたのは5年前。当時NEC系の接続ポイントとしては新潟県内でも初めてでした。通信速度は64Kbpsで、現在では一般家庭で使われているものです。たった5年前でしかないのです。今は光ケーブルが何本も入っていますが・・・。
多くの人達のいろんな思いが通信回線を行ったり来たりしている。それを考えると嬉しくなって、やはりこれは自分の天職だなと、傍の迷惑も顧みずに自分でそう思っています.
最近になって、この業界の人達と文明と文化、都市空間と田園、ビルゲーツと良寛等について話すことが多くなりました。ITの時代に人間の幸福が何処にあるか。アメリカよりも北欧にその問いの答えがあるのかも知れない、そんな人も増えてきました。
全ての文明、文化はその絶頂期に次の時代の予感を孕んでいます。コンピューターが全ての人を幸福にするわけではないけれど、しかし、その道具を使って人間はもっとハッピーに成れるのかもしれない。
今の私の夢はコンピューターを使って動物や植物と話をすること。古い大きな樹から昔話が聞かれるかもしれない。野生の動物から人間の知らない世界の面白さを教えてもらえるかもしれない。
その技術が進めばいろいろな機能障害の有る人達も社会参加できるだろう。何よりも、コミュニケーションが足りないばかりに小さな事で争っていることもなくなるだろう。
ただ一度の人生をもっと素直に生きられるかも知れない。そんな夢が60歳近くなった変な男を熱くしています。
藍沢南城 三余堂
鯖石郷土史クラブ 会員 石塚 修
平成6年11月6日、「藍沢南城を語る会」が市内中加納光賢寺で開催された。没後130年、遅すぎた嫌いはあった。
しかし、内山知也先生が「南城 詩と人生」、目崎徳衛先生が「南城三余集私抄」を相次いで刊行されたのはやはり何かの奇縁なのかも知れない。その縁に繰られて「鯖石郷土史クラブ」(長谷川文夫先生主宰)は藍沢家墓地、三余堂跡、坂の登り口や南条集落の入り口に木碑を建てた。
午前中は現地を訪れ、午後の「語る会」は盛会であった。地域の教育者を偲ぶ会は温かい雰囲気に包まれていた。近所の人、南城の血筋に連なる縁者、研究会の方など約100人。講師は内山先生と目崎先生。本堂のご本尊に見守られて、お二方の講演に熱が入った。
「先生浮名を求めず、教育を以って任となす。我ら幸せなり」。
700名を超える門弟を育て、やがて「地の塩」となって郷土を支える人材が輩出していった。その門人達の先生評だ。
近づいている幕末の激動に振り回されることなく、冬の寮で炬燵を囲みながら子供達と語らう先生の背中が見えるようだ。「人はどう生きるべきか」。三余詩集の巻頭を飾る漢詩「南条村」は私の大切な宝である。
南城の学統から「大漢和辞典」の諸橋轍次が生まれてくる。私たちはもっと藍沢南城を知っていい、と思う。
風船一揆
風派同盟 祭酒 石塚 修
「越後風船共和国」は「Balloon Republic」の和名である。
酒と夢の混濁の中から生まれた新潟県内の熱気球クラブの集まりで結成30年の歴史を持つ、らしい。年に2度ほどお祭りをしている。
春は小千谷で豊作祈願の「風船一揆」、秋は新潟平野で収穫感謝の「風船一揆秋の陣」。
酒と米とカニを祭壇に供え、空を飛んで神と共に食す。山と平野と海と、越後は限りなく豊かであり、友の心は温かい。
一昨年10月23日、その大地が揺れた。中越地震である。引き裂かれ、傷ついた大地と天変地異に慄く人々の心を鎮める為に、全国の熱気球の仲間が企画し、集まってくれた。
「風船一揆復興の陣」。
祈りを込めて雪国小千谷の空を舞い、直会(なおらい=神事の後のパーティ)は夜遅くまで続き、些か調子の外れた「春よ来い」の合唱が寝静まった街の通りをリフレインしていた。
今年また、雪の小千谷で風船一揆が開催される。遠くから仲間が集まってくる。
天と地と風と、一杯の酒を酌み交わす。まるでモンゴルの祭りのようだ。