俺達に「昨日」はない
田圃の稲は主人の足音を聞いて育つ、と言う。
朝の出勤前に自分の田を見回る、それが楽しくてねぇと言っていた仲間がいた。稲たちに声をかけながら水や病虫害の世話を焼く、言葉にならなくても表情で判るようになるのだろう。
庭の芝生が思うように育たない。
7月の長雨の後元気が出ていないようなのだ。何が足りないのだろう。今日は一日三度も散水し頑張れ頑張れと声をかけている。心なしか元気が出てきたようだ。
庭の片隅に家を建てた時植えた万年青がある。30年、見向きもしなかった。今年の春何気なし二手を加えたら素晴らしい光沢の葉が蘇った。依頼毎日手入れをするようになったら益々可愛くなった。植物も心が通うんだ、と思った。
草木と話しているなんて痴呆の始まりかもしれない。最近語彙が乏しくなった。元々言語中枢に疑問があるので症状が進んだだけなのだろうがこの先あまり長くないのかも知れない。元々生命への執着心は薄いので、何時途切れたとしても悔いはない。最近は生きることに厭いてきている。中谷が自裁したとき「みんな許せるし、もういいんだ」と言っていたことを思い出す。そんな感じなのだ。
軽挙妄動は慎むが、その程度の自制心はあるが、少し生き方を変えてみる必要がある、のかも知れない。人生に昨日はない。生きていることは汚物を撒き散らしながら這いずり回っていることだから、過去は見るべきではない。心を暗くして未来を失ってはならない。笑顔とは、その心の迷いを封印した未来に向かう決心のように思える。
夏季賞与
会社の18年事業年度前半期が終わった。
半期目標額の107%達成は見事である。自分の会社ではあるが「よく頑張っているね」と褒めたくなる。田舎のこととてずば抜けたヒーローがいるわけでもない。いわば全員野球。額に「真面目印」を刻み込んだ社員がISO2700やISO9000の認証を取るために眼の色を変えて取り組んでいる。膨大な会議に要するエネルギーを考えると、売り上げは当然落ちるものと覚悟をしていた。最終赤字も覚悟の上だったが、面白いもので17年度は目標額を超えた。18年度も多分大丈夫だろう。
今年はもう一つ「経営品質アセスメント」に取り組みたいと考えている。これも大変な事業だ。しかし、若い人たちは自分達の価値観、自分達の方法論、自分達が作り出す価値の面白さに魅せられたようだ。
多分これを乗り越えれば当社は強くなり、俺の理想的な会社に近づくはずだと思う。価値観を共有し、ルールを共有し、異端を素直に評価できるユトリガできて、それを飲み込んで新しい価値を創造できる仕組みが完成してくるはずだ。
若い人たちの成長、あるいは自分を乗り越えてゆく姿に感動している。
きっといい会社になる。そう思う。
宴の後
全国の花火を見ている解説者(自身も花火師)によると柏崎の花火は全国7位だそうである。何を評価基準にしているのか判らないけれどスケールや豪華さから言えばそうなのかも知れない。嬉しい話だ。
風邪が治りきらず、残念ながら昨日の花火は遠目からだった。しかも尺玉100発同時打ちしか見れなかった。花火狂としては火の子の飛んでくるくらいの所が良いんだが・・・。
20年ほど前の話になる。
片貝は浅原神社の花火を本部席で見ていた時、刺し子にヘルメット、カンテラ姿の花火師たちが火薬の匂いを撒き散らしながら四尺玉の本田善治さんと何やら話しては目をキラキラさせて打ち上げ場に駆け戻ってゆく。
「男だ!」 自分の中で何かが弾け、本田さんに頼み込み、翌日俺は「花火師」になっていた。花火筒に火種を投げ込むと目の前で吼える青白い火柱、頭上で炸裂する花火達。全身の毛穴が逆立つような興奮の中で、俺は果てた。
静かな夜が更けてゆく。
久し振りにかけたロスラティーノスのフォルクスローレが放心状態の魂を吹き抜けていく、宴の後・・・
写真は小嶋毅氏
共産主義の理念
ソ連邦が崩壊してから共産主義は影が薄くなった。資本主義が絶対的な正しさを誇っているかのように見える。
はたしてそうなのか?
人間の平等と尊厳を求める共産主義は全く価値を失ってしまったのだろうか。
人間が欲望のままに生きる資本主義は格差を次第に大きくしているように思う。人間は何時まで耐えられるのだろうか。需要と供給のバランスをインターネットの任せたら世の中もっと無駄がなくなるのかも知れん。
環境問題を声高に叫び、森林が消えてゆく自然を嘆き、読むとこもない分厚い新聞が届く度に新聞社に呪詛を投げつけている。本や雑誌の洪水、人間がもう少し欲望を抑えたら世の中もっと良くなるのかも知れん。
佐藤優の「自壊する帝国」を読みながらいろいろなことを考えていた。