秘すれば花・・・
瀬戸内寂聴の本を始めて買ってみた。「秘花」世阿弥が佐渡に流されてからの生活を前半は世阿弥自身の語り、後半は佐渡で身の回りの世話をした紗江の語りとして、全編を静謐な世界が包み込む。
俺は「世阿弥」も「能」も何もかも知らない。しかし寂聴の世界に沈殿している時間は至福だった。こんなに静で激しい心の時代があったのかと・・・・。
薪こる遠山人は帰るなり
里まで送れ秋の三日月
順徳院の御製だそうだ。なんという美しさか!
天皇から防人や庶民まで和歌に映したこの国の心根の優しさを改めて思い起こさせてくれる。余分だが、この時代の欧州などでは「庶民」は動物に近い生活だったとされる。
浅田次郎は定番。今回は「月下の恋人」。ストーリーの豊かさと表現の確かさ。
「夜が闇の権威を誇っていた時代」上野駅から直江津行きの汽車に乗った「列車は何の前ぶれもなく、私の日常をぐいと押しやる感じで動き出した」
不意にこんな表現に出会うと泣き出してしまいそうになる。どうしてアイツは俺の心を掻き毟るのだろう。
台風は上手く柏崎を避けて行ってくれた。それにしてもにぎやかな年だネェ。
写真は高柳町荻の島 松尾神社
9月になれば
9月になれば・・・て言ったって、もう3日になるんだけれど・・・
9月になれば、夜の深さが違ってくる。
雨上がりの庭は虫達の声で静まり、シンシンと鳴る頭の中がうるさく、ただ黙して闇を見つめる。
全ての愚問は影を潜め、賢き答えは姿を消す。
心を留めて、ただ過ぎ行く時を楽しむ。
明鏡止水。
9月になれば、
誰だって、静に時を見つめる時間が恋しくなる。
奇妙な結婚式
9月1日、娘の結婚式が無事に済んだ。
1月の入籍、3月の新婚旅行、9月の結婚披露宴・・・
順序が少し変じゃないかな、とも思うし、1年かかりのイベントにしてしまうのも・・・まぁそんなもんかなと思いながら一緒に楽しんでしまった。
大勢の人たちに集まってもらい、みんなの祝福を受けて、幸せな子だな、と思う。
入籍が済んでも、新婚旅行から帰っても、嫁ぎ先と実家の間を行ったり来たり。それでも少しづつ実家に帰る率が少なくなってきたのに、披露宴の夜は当然のように遅くなって我が家に戻ってきて、家族みんなが「もう出てきたのか!?」
聞けば新郎は無制限一本勝負の3次会へ、娘は翌日、つまり今日は「嵐」のコンサートに親友のさっちゃんと出かける事になっていたのだそうだ。
大勢の人たちに祝福してもらい、又地震後の大変な時に散在させてしまった。なにか、親の立場として申し訳ないような気持ちもするけれど、とにもかくにも、奇妙な披露宴が終わった。新しい人生のスタートを喜んであげたい。
何の心配もしていない。
リサ・ランドール
昨日、何気なしにNHK-BS1を視ていて「美しき知性 リサ・ランドール博士 異次元の謎」に引き込まれてしまった。難しい理論物理学の世界を魅力的に、判りやすく語るその姿に、本物の知性に触れたような気がした。
理論物理学と言うのは数学により組み立てられた仮説であり、それを実験により証明されて世の中に出て行くものだろうと思う。博士が言うように、最初は電気理論は多分仮説であったろうが実験と応用物理学により電気は我々に計り知れない利便をもたらせてくれている。
異次元世界とは、多分我々が時たま感じる「霊感」みたいな世界のことなのかもしれない。博士の仮説では3次元世界がパンの一片のような世界が何枚かあり、通常はその一片から出ることはできないが、その何枚かの宇宙を行き来する何かが存在するのではないか、とまあそんな仮説のように思った。
考えてみると「共時性現象」なるものをいろいろ感じることが多い。また日本文化の深層にある「あの世とこの世」は遺伝子学で説明できるのではないかと思っていたが、何となく「あの世」が存在するのが正しいような思いになる。由緒正しき仏教徒?としては疑問が多いのだが・・・。
全てのものに始まりがあれば必ず終わりがある。それが生命であり、人間もあらゆる生物も地球も宇宙も同じ存在であると考えていたものとしては、この仮説には不安がある。しかし、自分の小さな頭で理解できた知識なんてほんの僅かなもので、気の遠くなるような偉大な知性と言うものが実在することも、俺は知っている。
夏の終わりに、俺はブラックホールに魅せられてしまったのかも知れない。
ひまわり?
デジカメ片手に別俣の水上集落を歩いていたら小さなひまわりの畑があった。畑に入り込み写真を撮っているうちに「おやっ?」と思った。ひまわりの花は太陽の方向を向いているはず・・・? なのにこの花は背を向けている・・・!
どっちが正しいのか分らなくなった。
フラフラと散歩していると痴呆症との違いは見えない。外観は勿論だが最近は自分でも本物と贋物の見分けが出来ないまでに進歩した。だから、たとえそれがポケットデジカメであろうと、「写真を撮っている」風であればそれだけでよそ様は安心している。ありがたいもんだ。
ところで、今日の東京は暑かった。35.8度。体温に近づくと熱暴走が起き、機能が止まる。東京に住む人たちは大変だ。この暑さが続けば電力不足から家庭用クーラーが役立たずになり、人間の干物が大量に出来そうだ。ミイラと見間違うほどの「安い干物」と3サイズバッチシの「特選物」からメタボっぽいものまで・・・冗談ともかく、柏崎原発が泊っている現在、福島に何事か起きれば「東京」は干物でなく煮物が出来るようになる。こりゃ大変だ!
もう少し何かを考える必要がありそうだ。