鯖石賛歌
人は俺のことを「ザイゴモン!」だと嗤う。
あったけぇの、お前さん達には鯖石の素晴らしさ知らんな。
鯖石には「「八季」があり、それぞれの季節に「朝」「昼」「晩」「夜」の風景が有り、魂に染みこむような物語がある。
今の季節だと、早朝八石山の空が赤く染まり出す頃、まだ遊び足りない妖精や出勤を急ぐ鳥たちが賑やかに飛び交うのに出会う。
ビッコを引きながら鯖石川の堤防を徘徊していると、川の中から寝ぼけたカモが慌てて飛び立って行く。「もうお前達なんか食わなくていいんだて、昔は食ったけど・・・」なんてぶつぶつ言いながらノロノロと歩く。
山裾には靄がかかり、郷はまだ静かに眠っている。なんと素晴らしい風景だろう。
お日様が昇れば、子供達の元気な声が聞こえ、鯖石街道には様々な車が行き交い、山の翠は深く、力強く育ち始めた早苗は田圃に満ちてくる。
夕方になるとジェット機が飛行機雲と音を引きながら空を行く。
重い荷物を背負いながら「おばんになりましたぁ~」と声掛け合いながら家路に急ぐ農家の人達の姿を思い出す。
夜には星が瞬き、人工衛星も見えたりする。正体不明の光が大空を彷徨い、多分祖霊だろう、公園の木々の間を通り抜けて行く。
鯖石にはたまにクマも出るが、何年か前山室の某市会議員達が溝に落ちたカモシカの子供を助け上げたことがあったという。「食ったろう?」と迫ったが「食ってねぇって、翌年そいつが集落の畑を荒らしに来たんだテ」。なんとも「いやはや」の話だこての。
藍沢南城三余詩集の巻頭を飾る「南条村」の世界は今も鯖石の地には生きている。
百戸の渓村 皆農を業とす
園園の桑柘 緑叢叢(そうそう)
山深くして薪木の資乏しきことなく
海近くして魚盬の利もまた通ず
慈母花を折りて幼女に簪し
孝孫竹を切りて衰翁に杖せしむ
土風淳朴 鄰(りん) 卜するに堪へたり
伍家を結いて耦功(ぐうこう)を謀らんと欲す」
都を去って帰郷した若き南城先生が南条の地に心を落ち着かせたこの詩に、密航の企てに失敗し、消え入るような挫折感の中で自分を迎えてくれたこの詩を今も思い出す。
2018FIFAワールドカップ ロシア
庭のチェアで夜空の星を眺めている。
俺には北斗七星と北極星しか判らないが、中に酩酊したような星が星座を横切っていく。
昨日の星はアレはなんだろう。
北から南西の空を目指していた星が頭上で東に流れ、八石の上で南に去った。
時折強烈な光を放ちながら踊っている。
昼間は朝昼晩とスズメたちが食事を待っている。
可愛い者で、食事時になると食事係が催促に来る。
窓を開け米粒を撒くと、警戒していた仲間が寄ってくる。
少し津津慣れてきたようだ。
サッカーは余り好きじゃなかった。
しかし、外国チームの動きの激しいサッカーを見ていたら少し見方が変わってきた。
体力と知力と運命の女神が強烈にぶつかり合う協議に魅了されてしまったようだ。
実に素晴らしい。
今日、糸満市摩文仁の平和記念講演でかい際された沖縄慰霊の日に中学3年生が捧げた詩「いのち」は実に素晴らしい。
嘘とフェイク
昔、ある町に「センミツ」と称された男がいた。
いや、奴は「マンミツ」だという人達もいた。
千に三つしか本当のことがないのだと。損得に関係の無い、たわいもない話にまで「嘘」が混じるのだという。
最初会った時は彼の話を喜んで聞いていた。
しかし、その話を他でやると、石塚さんそれは違うよ、嘘だよという。
でも暫く俺は彼を信じた。
しかし、ある温泉宿で、玄関に飾られた大きな四角い竹を物珍しそうに眺めていたら、彼は「ああ、この竹 ? 裏の山にいくらでも生えているよ」とのこと。
翌朝宿の主人に「そうだってねぇ」と聞いた話をしたら「とんでもない、外国からもってきたものだ」という。
さすが俺は目をパチクリさせて、その嘘を、その男が嘘つきであることを確認した。
確認してみると、彼が得意になって話していたことが全て嘘だった。
俺に平気で嘘をつく男を、俺は許せなかった。
俺は奴をボコボコにし、以後一切俺の目の前に現れないようにした。
町の人は「石塚を本気で怒らせた」とみんなが判ってくれた。
遠い昔の話しだ。
今、政府の頭目をはじめ官僚達は平気で嘘をついている。
こんな人達が日本に必要なんだろうか ?
「信頼」の元は「嘘をつかないこと」だ。
しかし、恐ろしいのは「嘘」を言っているという自覚のない馬鹿者達がいることだ。