3.11 6年
無性に海が見たくなり、刈羽と西山を走り海を見に行ってきた。
海カフィでコーヒーを飲んでいると空は晴れ米山が覗き始めた。
店を出て写真を撮っているときに丁度「黙祷」の時間になった。
3.11の春、神主の社員と南相馬の海に祈りを捧げに行った。
祝詞をあげ、人の声に振り向くと、そこにお婆ちゃんが立っていた。今まで誰もいなかった場所に・・・。そこに街があったのだという・・・。
何事もなかったように、その日の太平洋の海は蒼かった。
船が道路脇に乗り上げ、無人の家や田畑に無残な草が伸び始めていた。
津波に命を奪われた人達、未だ行方の分からない人達、故郷を追われ各地に避難している人達、多くの人達がいる。
現実を直視し、失敗を資産としていかない限り、未来はないのだろうが・・・。
不老不死
レイ・カーツワイルの「ホスト・ヒューマンの誕生」-コンピューターが人類の知性を超えるとき−を読んでいると2045年「シンギュラリティ」に到達すると、エネルギー問題が解決し、食糧問題も解決、その上人類は「不老不死」の体を得ることが出来る、という。
ナンジャラホイ ?
少し見えてきたことがある。
「ある科学者(名前は調べてない)が、ある線虫から老化プロセスのスイッチをオフにする、つまり不老不死の方法を発見したそうです。」との情報がある。
昨日の宇宙飛行士山崎直子さんも講演の中でその話をしていた。
最近読んだ本の中にもその記述はあった。書名を忘れ他が・・・。
肉も人工的に作れるようになった。
多分、海からエネルギーを取り出せる時代が近づいているのだろう。
俺の夢の世界。
下宿人仲間
「3人寄れば文殊の知恵」
山本夏彦は「バカが3人寄れば3倍バカになる」の喝破した、そうな。
国際会議の議長は、インド人を黙らせ、日本人に喋らせれば、その会議は成功」とされているそうだ。もちろん、きついジョークだが。
その会議等で各自が十分な知識と教養が無い限り、時間の無駄だ。会議に出席した ただそれだけよりも悪いかも知れない。
情報ならインターネットやスマホで事足りるが、知識や教養は新聞を読まねば身につかない。人間の評価の対象となるのは内容であり、教養や見識だと藤原正彦さんは言っている。
他人の真似ばかりしていると、節操も自信もない、中身のない口舌の徒にしか過ぎなくなってしまう、とも。
生きている限り、誰もが終末時計が時を刻んでいる。
何時、針が止まってもいいように、覚悟を決めて生きることが大切なのだろう。
春になって、この家の下宿仲間が戻ってきた。
嬉しいけど、少し疲れた様子が気になる。
生き恥を曝す
昨日朝は雪がちらついていたがお昼近くに青空が覗き、素晴らしい気球日和となった。家の近くを散歩し、この写真を撮っていたら片貝の友人から「小粟田原に気球が浮いているぞ。22機だ !」と携帯に電話入った。
もう30数年前、雪が少なく開催が危ぶまれた時、兄弟に雪乞いを頼み、彼等は朝方まで酒を飲み続け、窓を開けたら雪が降っていたと泣きながら電話してきてくれた生涯の友人達。
風船一揆は遠くなったけれど、やはりまだ近いのだ。
祭りの前日、金曜日は高本さん夫妻と黒ちゃんが小千谷に来てくれて金子と「いこい」なる居酒屋で飲んだ。10人も入れないカウンターだけの店だけど、カジカ酒が売りのいい店だった。
高本さんの奥さんは新宿「美濃吉」の女将。こんなゴールデン街を彷彿とさせる店には似つかわしくないが、すっかり寛いで話の花が咲いていた。いい時間だった。
閑話休題
長生きをし過ぎたせいもあるけど、色々なことで「ガックリ」することが多くなった。
友人達と話していて、全て自分の不徳の致すところだけれど、爆笑の中の一言が、自分の言動に違和感を抱いていた部分を掘り起こしてしまう。
友人達の話に棘があったわけではない。
「ああ、そうだったのか」と思い至る。もう一つ竹の節にする機会を得た、優等生的にそう考えるべきなのだろう。
何かと言えば、年齢と共に後期高齢者は昔の思い出を語る。
生き証人がいなくなった過去の話なんか「ホラ話」にしか過ぎないし、聴く人達にとって何の意味も無いことなのだ。むしろ不信感を生むことになるのだろう。気が付かなかった。
落ち込んではいられない。俺にはまだまだ竹の節が必要なんだ。生きている限り、俺は何時も夢を語っていたい。それが俺なんだ。
愛も欲しいのだけれど・・・