FOFCトリプルコンパインド
ビジネスは人を幸せにするためにある。
宗教と違うのは、そのエネルギー源として人の欲を利用している。資本主義は人を幸せにする見返りに、自分の欲が達成できる。
全ての産業はそうなんだろうと思う。
だから、一つの産業を成立させるために「避難訓練」を義務づける、最優先させて実施をする、なんて俺には考えられない。
日本の産業を考えると原発は避けて通れないのかも知れない。
ただ、俺はフクシマの惨状が頭から去らない。震災の3ケ月くらい後、俺は南相馬の原発20キロの地点で、車を止められた。春なのに、農家の庭や田圃には草が伸びていた。
「原発難民」は死んでも嫌だ。
地域が生きていくために、電力は必要だ。だったら、原発の代わりないか? それを求めてビックサイトのセミナーを聞きに行ってきた。
得られたモノは
1.SOFCトリプルコンパインド
これは須田先生に聞いていた。その確証を得た。
2.このシステムが『地産地消』の可能性を秘めていること。
大型発電設備では送電ロス、費用がバカにならない。
いよいよ、コスト計算の領域に踏み込んでくる。
岸 博幸
商工会議所主催の講演会を覗いてきた。
柏崎の地方創生を考える時、原発再稼働による交付金しかない、という結論から問いを逆登りした、柏崎を舐め尽くした講演は、氏の標榜するクリエィティブな視点が何処にもない。
ハッキリ言って「バカ」だね。
生活が大事なのは誰にでも判っている。ただフクシマのような『原発難民』だけは死んでも嫌だ、という地元の不安が何も判っていない。
アホみたいな馬面には2度と会いたくない。
石川和男のように、油やガスの輸入に1日100億円かかるのだ、このお金があれば・・・さぁ、どうするのだ ? と開き直られた方が本気になって考える。
俺は絶対に他の方法を考える。任せといて !
蕗の薹・・・まだ早いか ?
無罪判決
介護者が電車にひかれ、その事故で損害賠償を求められていた裁判で無罪判決が出たようだ。
他人事でなくなってきた。
と同時にいろいろ考えさせられる事故でもある。
世の中の全てが変わりつつある中で、「長寿」は既に幸福ではなくなってきている。問題発言であることはわかりきっているが、死の価値が変わってしまったのだ。「惜しまれつつ逝く」というのが本来の『幸福な死』なのだろうが、介護に疲れ果て、自らの死を選ばざる末期というのは当事者双方にとって哀しすぎる。
「70歳死亡法案可決」なんてバカな話も書いた。「ソイレント・グリーン」の背景のような人間の終末処理場も必要なのかも知れない。
哀し過ぎる話になった。
人間とは何か?
今まで「正」と信じてきた倫理と価値観が変わらざるを得ない時に来ている。
十字架を背負ってでも、人を救う宗教が必要なのだろう。
自然の中で生きてきた日本人古来の人生観が人を救うのかも知れない。