台風18号来襲

2013年09月16日 風の戯言


 15日は甥の佐藤茂樹さんが同級会と墓参りで帰郷。
 兄貴の所に行き、堀のお墓に寄った。何という偶然なのか、亡義兄の導きとしか思えないが、高桑医師会長一族と遭遇。義兄は元医師会長、茂樹は長男で成田日赤の医長。親の代に親交があったとしても息子達にとっては異次元。
 同じ並びにお墓があることは知ってはいても、ここでお会いできるなんて、やはり義兄の導きとして思えない。
 義兄とはいいながら、子供の頃は「親代わり」であり、3人の兄妹弟のように育ててもらった。
 俺の文化の大半は義兄の家庭のお陰だと思っている。

 16日は一転して台風18号の来襲。
 柏崎の現在まで納涼は 88ミリ 。鯖石川も氾濫一歩手前で、加納地区では避難勧告も出た。現在、雨は小止みになり、予報では、明日から晴天が戻ってくる、とか。

 音楽を聴きながら、この休みの余韻に浸っている。
 茂ちゃんが語ったポルトガル、スペイン、イタリヤの旅の魅力に心が揺れている。

 月は中天に輝き、過ぎ去った台風の欠片もない。京都・関西は酷いことになっているようだが、何事もなかったような夜を迎えることが出来、この地方を守る神々に感謝している。

稲刈り最盛期

2013年09月14日 風の戯言


 今日は隣町「安田」の秋祭り。
 花火の音が絶え間なく、部屋の中まで響いて聞こえてくる。

 秋になると、庭に隣接する種籾用の乾燥施設から騒音が酷く、この時期は体調が崩れてしまう。
 暑い季節から、花火の音に送られながら、秋に移っていく。

 家の裏の田圃の稲が刈り採られていた。

天野尚 写真展

2013年09月12日 風の戯言


 朱鷺メッセで開催されている「天野尚写真展」を見てきた。と言うより、時間がないために広い会場を走り回った感じ。
 それでも、天野尚の世界を堪能してきた。
 出発点のアマゾンの写真ではなく、故郷新潟全域、特に佐渡に残る自然を8メートルもの超大型パネルで突きつける迫力は他に例を見ない。「視力6・0の世界」と銘打たれた展示会に並ぶ壮大な「故郷」は圧巻である。

 たっぷりと時間を作り、天野尚の世界に遊んでみたい。

 彼の世界「AMAZON」のDVDをこの記事を書きながら見ている。

遅咲きの朝顔

2013年09月07日 風の戯言


 春、畑の南側の垣根に数本の朝顔を植えた。
 それが今は垣根を越え、バラの木に覆い被さり、生い茂ったゴーヤを飲み込み、お化けのような「朝顔の林」になっていた。

 人間世界の生活の営みは、星達の輝きの中で考えると不可思議、と言うか正に神の悪戯としか思えない。宇宙に星の数がどれだけあるのか考えてみる気にもならないが、未だ他の星達に生命の欠片も確認できていない。

 そんな宇宙の広がりの中で、やがて同じような生物に出会う緋もあるのだろうが、地球と呼ばれる星にこんなにも多彩な生き物が生きていることは不思議を通り越した大感動であることに違いはあるまい。

 地球という球体の温床が無限の時間を流れていく。この歴史の変遷を動画でとり続けたらどんな未来の知恵が生まれてくるのだろう。
 1人の人間の不思議さを眺め続けていると、この世が本当に純粋で可愛いものに見えてくる。

風立ちぬ

2013年09月06日 風の戯言


 高度の精神障害と情緒不安定に陥り、東京でフーテンの寅さんを楽しんできた。
 「終戦のエンペラー」と「風立ちぬ」見、目黒の自然植物園を誠さんと散策し、上野で「ルーブル美術館展」を流し見して来た。
 「終戦のエンペラー」では新しい発見もあったが、「風立ちぬ」は宮崎駿が何を言いたかったのかよく分からない。感動もなく、彼が引退を表明したのも判るような気もする。
 「ルーブル美術館展」もイマイチで、なにやら「消化試合」のような雰囲気。どうも自分に「感動」という妄想が消えかかっているようだ。
 せわしなく、追いかけられるような時間を過ごしてきたために、何か大きな、大切なものを忘れてきているようだ。

 まだ、暫く旅を続けなくてはならないようだ。

 本当は八丈島を考えていたのだけれど、台風のために断念。これで台風に止められたのは2回目。しからば、富士山を見ようと想ったが天候がメチャメチャ。

 局地的豪雨に竜巻。最近の天候は少し変だ。