新しい散歩道-安田明神

2018年05月14日 風の戯言

昨年、明神の農道に迷い込み、恒炎窯の片桐さんに出会った。
山裾まで田圃の広がる小さな沢の奥は魅力的だった。
人家も電線もない、人工物が見えない風景は人の心を落ち着かせる。

仕事の帰り、夕陽が綺麗だったので、背広のママ山裾の狭い農道を、俺の細やかな夢を歩いた。

いいもんだね。

片桐さんの仕事を邪魔しないようにパスして集落に近づいたら女性にいきなり声を掛けられた。
「石塚さん !」

聞いたら4つ違いの姪の親友だった。

いやいや、ビックリしたなぁ、、、!

姉の納骨

2018年05月13日 風の戯言

昨日は晴れていた。

西の入安住寺でお経を上げて貰い、堀のお墓に納骨。
義兄が53歳で亡くなり、43年が過ぎた。
久し振りに一緒の家に住み、過ぎ去って日々の思い出を語り合っていると思うと嬉しい。

生き残った兄と2人で、2番目の姉と兄貴のお墓に花を供えてきた。
そう言えば今日は母の日だった。

写真は安住寺の庭の石仏。
隣の忠魂碑は飯田直固中将の揮毫。
子供の頃から寄せて貰っているのに気が付かなかった。

ある小さなスズメの記録

2018年05月11日 風の戯言

書棚の陰から「ある小さなスズメの記録」が出てきた。
副題には 「人を慰め、愛し、叱った、誇りたかりクラレンスの生涯」とある。
生まれ落ちたときから羽と足に不具合が有り、巣から放りだされた瀕死のスズメと彼を助け、共に暮らした女性との奇跡的な物語。

発行は2010年11月10日、とある。
何時、何でこの本を買ったのか覚えていない。

少し前から、窓先のスズメたちと遊んでいる。
古米を一掴み芝の上に撒いておくと、スズメたちが寄ってくる。
警戒して、直ぐには来ないのだが、部屋にいなくなると来て餌を啄んでいるようだ。

何日かそんなことを繰り返していると、彼等は俺の帰りを待ち始めた。
少しつづ慣れてきたのかな?
窓から米を撒くと、何処からか数羽集まって、こちらを見ながら米を食べている。

野生の鳥だから餌如きでは彼等のプライドを売りはしないだろうが、楽しい。

春の大型連休 終了

2018年05月06日 風の戯言

翠の風の中を、飛行機が夕暮れの空に一筋の雲を引いて翔けて行く。

ここは鯖石、加納。

子供達、孫達も帰り、さて、明日から本勝負かな。

君子豹変す

2018年05月04日 風の戯言

知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は恐れず。
 本間教育長の若い人に送る言葉。仁者は憂えず、とは何だろう ?

知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。
 知恵のある人は自在に動き、徳の高い人は動じない。勇者は空を楽しむ ?
 知者も仁者も自然の山水を楽しんできた、ということらしい。
 
枯れ枝に僅かな花を付けていた梅が若葉を茂らせていた。
 いつの間に、そんな並の表現しか出来ない。
 根元に古米を撒いて、下だけ見てスズメと遊んでいたが・・・梅にスズメ ?

閑話休題

トランプの出現以来、世界の動きが予測が難しくなった。
今までの「アメリカ」に対する価値観、大らかな自由への信頼が崩壊してしまった。
ナンダ、アメリカってこんな程度の国だったのかという「現実」の再確認。

しかし、また何かが変わり始めている。しかも急激に。

急激な政治変化には民主主義ではスピード対応できなく独裁制が有効になる。
しかし戦争の価値観が冷めてきているようだ。
「国のため」と叫ぶ指導者の危うさを民衆が気づき始めている。

日本の和の政治では中選挙区制の多様性が必要なのだが、残念ながら小選挙区制。
付和雷同型の無責任体制では山は簡単に動いてしまう。
だけど、日本の民衆は思いの外賢いようだ。

前回の失敗の本質は見抜かれているらしい。