石佛達

2025年09月29日 風の戯言

人は生まれ、やがて死ぬる。

生まれてすぐに、母親にゴミ袋に入れられて捨てられる児もいる。
若い夢を抱いて、未来だけを見ていた青年が事故に巻き込まれて命を失う人もいる。

「死んで来い!」とバンザイの声に戦地に送り込まれ餓死してしまった兵隊もいる。

お寺の墓地に、別れきれない人たちを、石佛にして涙を堪えている人たちがいる。

俺の大切な友人の一人は、3回の脳溢血を乗り越え3年意識が戻らなかった。
それでも子供たちは、遠くから物言わぬ父親に会いに通い続けた。
「ほら、石塚さんが来たよ」と呼び掛けると、閉じた目の瞼が微かに動いたと喜んでくれていた。

石の仏は石でしかないのかも知れない。
でも違うんだよ。

今連絡が入って、姉が亡くなった。93歳、
向うの方が賑やかになって来た。

人の命

2025年09月28日 風の戯言

全てのものに「命」がある。
命とは、生れて、燃えあがって、やがて終わる。

終わりはいつ来るか分からない。
今日であるか、明日であるか、いやもっと先になるのか。

司馬遼太郎は「峠」で、長岡藩家老河井継之助は「いつでも犬死するの覚悟」は出来ている、と。
いつ死んでもいい覚悟、解る様な気がするが、そんな気合で生きろと言うことか。

石塚の7人兄弟姉妹、残るは我と姉二人。
姉の一人が危ないと言うので東京まで様子を見に行って来た。
意識の無い姉に声をかけると、かすかに「ありがとう」と声が聞こえた。

今日が峠と言う時に、息の粗くなった妻に「解るか?」と聞いたら僅かに頷いた。
子供達が居るから俺は家で待っているよ、と言ったらコックリした。
息を引き取ったのはそのすぐ後だったという。

物理的にと言うのか、人の命の火が消えると何も残らない筈なのに、なにか違う様な気がする。

写真は朝の黒姫。
この山の裾で、我が石塚家は18代の命を繋いでいる。
朝行兼のお墓に、あそこに行けば祖先みんない合えるから、何も言えずきた。

戸惑い気味の夕陽

2025年09月27日 風の戯言

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山たちの寝起き

2025年09月26日 風の戯言

イワシ雲?  サンマ?

2025年09月25日 風の戯言