朝霧の中で

2009年12月26日 風の戯言


 諸々有って、4月に就任して貰った社長の辞任届けを受理し、また元の体制で再スタートをすることになった。来年は新・5ケ年計画の2年目。激動期の経営計画を議論している最中ではあるけれど、前に進むことしかない自分達にとって決意を新たにするいい機会にしたいと思っている。

 24日、クリスマス・イヴに東京に営業に出かけ夜は柏崎に戻ってイッパイ。25日は悪友達とイタリアン・レストランで賑やかにイッパイ。キリスト生誕を祝う恋人達の雰囲気をぶち壊してしまったようで、何とも楽しい会ではあった。いい加減にしろ ! と言われてしまいそうだが・・・。

 写真は25日、雪景色を包んでの朝霧・・・靄(もや)と言うのかな・・・デジカメでは表現できない光景だった。
 片田舎に住んでいると、時々神と隣り合わせに生きているような風景に溶け込んでしまうことがある。

冬の晴れ間に

2009年12月22日 風の戯言


 もう直ぐ「平成21年」、西暦「2009年」が終わる。
 日々戦いに明け暮れ、時間に終われ、この年に何を為したのか・・・記憶に残るものはない。もう少し意味のある生き方もあるのだろうけれど、まぁ、こんなもんだ。

 今夜は建設業の時代とパソコン村時代の「仲間」というか、昔にお世話になった何人かの仲間と楽しい酒を飲んだ。本音でぶつかりあった関係と言うのは、心が通じ合っていて、涙が出るほど嬉しい。
 「またやろうよ! 」別れ際の挨拶に男同士の付き合いは良いものだな、とつくづく思う。

 年末までもう少し、頑張ろう !

ぼんやりした不安

2009年12月20日 風の戯言


 納得できない降雪に戸惑っている。
 「挨拶」程度の雪だとタカを括っていたら一丁前の雪になった。でも、今日は青空が見えたりして、やはり不思議な気候だ。

 芥川が「ぼんやりした不安」と自殺した昭和2年は1927年。大恐慌はその2年後に爆発する。サブプライム問題の分析も対策もないままに、ジョーズ・ソロスの警告を嘲笑うように商業用不動産バブルが弾けようとしている。穴吹工務店の倒産劇の裏側には複雑な人間模様がありそうだけれど、これも単なる「1件」に過ぎなくなりそうだ。
 経済は「新しい経済学」が出現しないと救いようのない時代に突入しているのかも知れない。ケインズ以来、それは見えていないのだろう。となれば、自分の身は自分で守る知恵と力を備えておかなければならない。
 「ぼんやりした不安」が情報化により未来が見えるような不安に変っている。未来に挑むバカさ加減が今ほど必要な時期はないのかもしれないが・・・勇気と知恵。
 

人間の幸せとは何か

2009年12月14日 風の戯言


 「ものやお金があると幸せだと思いますか」住職は続いて
 「人間の究極の幸せは四つです。
   愛されること、ほめられること、役に立つこと、必要とされることです。
   働くことによって愛以外の三つの幸せが得られるのです。
  その愛も働くことにより得られるものだと思います」

 鳩山総理の所信表明演説の一節です。
 法政大学坂本教授の「日本で一番大切にしたい会社」で紹介されている、障害者を受け入れて高い業績を上げている「日本理化学工業株式会社」のことを感動的に述べています。

 働くことは生活の資源を得ることですが、仕事を一生懸命にやることで得られることの大きさと多さを改めて感じます。至誠天に通ず・・・そうなのかも知れません。

 雪が降り始めた。
 長い冬が始る。

坂の上の雲 (2)

2009年12月13日 風の戯言


 今日もNHK「坂の上の雲」を夢中になってみた。
 多分、歴史的なメッセージをこめているのだろう。最近にないドラマ作りの真剣さが伝わってくる。嬉しいね。
 『文芸春秋にみる「坂の上の雲」とその時代』を読み始めていて、司馬遼太郎が大東亜戦争の軍部の失敗を日露戦争の勝利を勘違いしてしまった悲劇、教訓として捉えていることを改めて感じた。
 戦争、或いは競争は自らの眞の姿を知ることによる恐怖感から出発しなければ、いや、そうしないと情報の価値を深く感じることなく自らの妄想に突き進んでしまう危険を避けられなくなってしまう。
 経営にも言えることだ。
 いろいろ考えると臆病になってしまい、時代に対応した一歩が進めなくなる。情報が多いと迷いの中に疲れ果ててしまう。しかも、選ぶべき、選択し得る道は一本しかない。
 頑張るより他はないのだろう。