終戦記念日
戦争が終わって64年が過ぎたことになる。
64年が過ぎて、歴史と言うものが勝者のものでしかないという事実が少しづつ明らかになってきている。
日本のアイデンティティが何処にあるのか、この流離の旅もそろそろ終わりにしなくてはならない。冷戦構造による歴史観と日本民族古来の歴史観、三方向に分離し明日に向かう日本のエネルギーの方向が集約されないできている。失敗の本質を見るまでもなく、国民を幸福にする為の戦争としての目的、戦略、戦術共にバラバラではなかったのか、と思う。
評論家的な視点でなく、自分がそのとき決断をしなくてはならない立場としたら、自分はどんな考え方をすればよかったのか。歴史の「if」を楽しんでみる。
日本だけでなく、あの戦争を境に新しい時代の価値観の安定を求めて未だに激動を続けている。応仁の乱以降徳川の平和が訪れるまでの戦国の世は約150年。諸行無常、安定なんてのはこの世の物ではないのかも知れない。
戦争を否定すれば戦争を否定する権力が生まれる。人間の幸福の基盤とされる「国」の存在に対する同意は、他国との利害の調節上批評家としても熱く成り易い。愛国心に依り得られるもの何か。どこかで何が一番大切なのかの価値観の同意を取り付け、全体をリードして行く現代の国論のまとめがいる。
悶々としながら野田の山道を走り「北向」集落に車を止めた。立派な石垣が残り、集落の在りし日の此処に住む人たちの屋号を彫った碑も見えた。大勢の子供達の遊ぶ声が聞こえてきそうな寂しさに文字通り胸を締め付けられる。祭囃子が聞こえてくる。牛の鳴き声が聞こえてくる。未来を信じ、労働の確かさを信じ、人の温かさと醜い欲が織り成していた山里の人間模様を、滂沱の涙とともに思い出している。
たった60年余の時間で如何にも遠くに来たもんだと思う。終戦時の縄文時代のような生活から、散歩でも蛇や蛙に出会うことも少なくなった現代。人間を含めた生物の生きる自然環境が静かに様変わりしている。これが正しいのか?
震災列島
梅雨が明けないうちに秋が来てしまいそうだ。時間100mmの雨なんて「またまた、ホントかよ?」程度で殆ど冗談でしかなかったのが最近のニュースではよく耳にする。
今日会った環境技術の工学博士殿は今年の作況指数が90代前半になるだろう、と予測していた。凶作である。
集中豪雨の続きは地震。もう心配ない、と学者さんは言うけれど信用できないね。M6.9、M6.5の地震が駿河トラフ上で35時間内で立て続けに発生している。東海地震と東南海地震が連動し、東海+中部を襲うと言うリアリティ溢れ過ぎる文学と科学の見事な融合、と絶賛?された石黒耀氏の未来小説を思い出した。世の中が倦んで来た時に、日本では昔から社会変動と自然災害が同時に進行し、苦難の中から新しい時代が誕生しているのだ、と言う絶望と希望の満ちた本である。
日本民族が、そんな神の御心にあるなんて、あまり褒めたものでもないように思う。
カキがつく
今日届いた「文春」9月号の阿川弘之の随筆は愉快だった。司馬遼太郎が元海軍大佐正木生虎に宛てた手紙の「カキガラ」が主題。多少成功した人には虚名と言う「カキガラ」が付着し、常にそれを削ぎ落としていないと船足が鈍る、自分の人生を生きていなくなる。そんな話。
ある時阿川の三男のお客が「君のお父さんは?」、「作家です」、「あぁ、Jリーグの・・」。この話を電話で聞いて、多少カキガラを意識していた阿川が、全く自分を知らない世界があったことで「ホッとした」気分と何か口惜しそうな気持ちを落着かせようとしていた心の揺らぎが面白かった。
誇りを持って、自由に生きる為には棄てなければならぬものも多い。取捨選択のルールは気分次第なので、大抵は後で苦労する。言い訳したり、訂正したら男の生き様に傷がつく。不器用に、肩肘張って生きるいる男が好きなのだが・・。
最近、つくづくと思うことがある。ビジネスや政治やスポーツは結果次第だ。しかし、人生は結果ではない、と。むしろ結果を意識したら本当のものにならない。航行の妨げにならぬ程度のカキガラを着けながらも、意識しないで胸を張って誇らしく生きる・・・そんなのがいいのかも知れない。
会社の後期スタート
21年度の半期決算(2-7)が間もなく出る。情報産業は納期が長いので、注意深く単月決算を積み上げて行くしかない。
例年だと後半が落ちる。ましてこの不景気で先行きが見えないのだが、「自社のアイディンティティを見つめ直し、自社の強み」を再確認することが大切だと思っている。
景況が苦しい時は顧客も眼の色を変えている。本音で経営を語れるまたとないチャンスになるのだ。「ピンチはチャンス」。昔の人の知恵は底知れぬものがある。
そんなこんなで、今日から現場に出始めた。長い間事務所にいる時間のほうが長すぎたな、と反省している。「穴熊」になっていたようだ。
営業本部長の名刺を持って得意先を回る楽しさはまた格別で、話が弾んでなかなか先には行けない。ある意味、これが俺の天職なんだなと思い、このスタイルを大切にすることにした。
皆が待っていてくれる、心の底から嬉しいと思った。年齢もあり、若い時のように飛び回れないが、でも命の限りいろいろな人たちに会いたい。