9月になれば・・・

2009年09月01日 風の戯言


 今日から9月。
 国政選挙の民主党の大勝、というより自民党の大敗なのだろうが、1993年の野党連合の細川政権とはかな違う感触がある。多分、国難に立ち向かう若手の志士達の様な熱気を感じさせる議員が多いことにも因る。時代が大きく変転していくのだろう。

 最近、身体でもなく心? 脳?でもなく、不快なものが何処からともなく何処かを走り抜けて行く。ハリ治療の先生によれば、年齢を無視した動きをしているからだ、そうだ。何を勝手なことをヌカシているか ! とも思うが、やはり年齢的な何かがあるのだろう。そうなら、クタバルまでもう少し好き勝手をやってみるか。

 時折、誰かにおいでおいでと呼ばれたような気がしてに、ぶどう村に上がってみる。
 誰かが俺に、何も言わないけれど、何かを言いたがっている存在を感じる。何をせい、とか?

実りの予感

2009年08月28日 風の戯言


 天候不順の夏、秋の実りが心配だ。
 晴れた日が少なく、日照時間の不足が「実りの時期」に大きく影響をするのではないか?・・・明神沖では刈入も始まった。ただ、例年の咽返るような穀倉の匂いはしてこない。

蓮池 薫さん

2009年08月25日 風の戯言


 夕陽に吸い寄せられて、海に行って来た。
 昔のユースホステルの海。いろいろな思い出が蘇ってしまつた。

 蓮池薫さんとは何度か出会っている。市役所でまだピリピリしているころ。新潟産業大学で見かけたこと。そして八幡開発が韓国将棋連盟の人たちを招いた晩餐会で〆の挨拶を託され、「どうすればいいんだ?」と蓮池さんに聞いたら「任せてください。何を言ってもかまわない、後は私が良い様に通訳しますから]って、いやぁ、参ったね。二人で大笑いしてしまった。それで亦彼が大好きになった。

 「半島へ、ふたたび」はそんな彼の魅力を余すところなく表現している。あの苦難の中で、どうしてこんな純な心が残せたのだろう、と感動的でさえある。最初の訳である「孤将」の背景が見えたりして、本好きとしては久方ぶりの良い出会い、という感じ。

神が人間に与えた最も偉大な力

2009年08月22日 風の戯言


 「偽りのホワイトハウス」より
(スコット・マクレラン 水野孝昭監訳 朝日新聞出版)

 「おそらく、神が人間に与えた最も偉大な力とは、経験、とりわけ失敗から学び取り、善人へと成長していく力だろう。これは、自由意志が認められ、知識を享受できるからこそ発揮できる能力だと言える。
 但し、真実—想像でも願望でもない、ありのままの真実—を理解していることが条件だ。付け加えるなら、間違いを認識し、その責任を受け止めることも能力に含まれる。
 その際にともなう悔恨を通じて、人間は真実と自由を見出すのだ」

 ヨハネによる福音書

 「あなた方は真実を知るであろう。
   そして、その真実はあなた方を自由にするであろう」

耐久レース

2009年08月19日 風の戯言


 後期高速度長時間耐久レースが始まった。
 難儀なことがテンコ盛りだけれど、だけど、現場ってどうしてこうも楽しいのだろうか!
 第一線を退いて「会長」なんて呼ばれていると、何かユトリを感じるね、なんて公職にある悪友は好きなことを言う。自分では意識できないが、何かやはり違ってきているのだろうな、と思う。でも、現場が一番楽しい!

 浅田次郎の「天切り松」を読んでいたら(誠に乱雑な本の読み方なのだが・・・その上最近は何が書いてあつたかテンデ覚えていない)
 「改革をなそうと思うものが命を惜しんではなりますまい。生きながらえて志を遂げるも天命、道半ばにして斃れるもまた天命」
 とありました。結果の評価を恐れて何もせん者は男の生き方を生きていない。男は自分の信じた道を突っ走るだけ。テーラワーダ仏教の本にもそんなことが書いてあった。そんな乱暴な書き方ではなかったろうが・・・。人間は長生きする為だけに生きているわけではなかろうに。人生を見切る、という言葉を使っているけれど、それが大切なのだろう。