9月になれば・・・
今日から9月。
国政選挙の民主党の大勝、というより自民党の大敗なのだろうが、1993年の野党連合の細川政権とはかな違う感触がある。多分、国難に立ち向かう若手の志士達の様な熱気を感じさせる議員が多いことにも因る。時代が大きく変転していくのだろう。
最近、身体でもなく心? 脳?でもなく、不快なものが何処からともなく何処かを走り抜けて行く。ハリ治療の先生によれば、年齢を無視した動きをしているからだ、そうだ。何を勝手なことをヌカシているか ! とも思うが、やはり年齢的な何かがあるのだろう。そうなら、クタバルまでもう少し好き勝手をやってみるか。
時折、誰かにおいでおいでと呼ばれたような気がしてに、ぶどう村に上がってみる。
誰かが俺に、何も言わないけれど、何かを言いたがっている存在を感じる。何をせい、とか?
蓮池 薫さん
夕陽に吸い寄せられて、海に行って来た。
昔のユースホステルの海。いろいろな思い出が蘇ってしまつた。
蓮池薫さんとは何度か出会っている。市役所でまだピリピリしているころ。新潟産業大学で見かけたこと。そして八幡開発が韓国将棋連盟の人たちを招いた晩餐会で〆の挨拶を託され、「どうすればいいんだ?」と蓮池さんに聞いたら「任せてください。何を言ってもかまわない、後は私が良い様に通訳しますから]って、いやぁ、参ったね。二人で大笑いしてしまった。それで亦彼が大好きになった。
「半島へ、ふたたび」はそんな彼の魅力を余すところなく表現している。あの苦難の中で、どうしてこんな純な心が残せたのだろう、と感動的でさえある。最初の訳である「孤将」の背景が見えたりして、本好きとしては久方ぶりの良い出会い、という感じ。
耐久レース
後期高速度長時間耐久レースが始まった。
難儀なことがテンコ盛りだけれど、だけど、現場ってどうしてこうも楽しいのだろうか!
第一線を退いて「会長」なんて呼ばれていると、何かユトリを感じるね、なんて公職にある悪友は好きなことを言う。自分では意識できないが、何かやはり違ってきているのだろうな、と思う。でも、現場が一番楽しい!
浅田次郎の「天切り松」を読んでいたら(誠に乱雑な本の読み方なのだが・・・その上最近は何が書いてあつたかテンデ覚えていない)
「改革をなそうと思うものが命を惜しんではなりますまい。生きながらえて志を遂げるも天命、道半ばにして斃れるもまた天命」
とありました。結果の評価を恐れて何もせん者は男の生き方を生きていない。男は自分の信じた道を突っ走るだけ。テーラワーダ仏教の本にもそんなことが書いてあった。そんな乱暴な書き方ではなかったろうが・・・。人間は長生きする為だけに生きているわけではなかろうに。人生を見切る、という言葉を使っているけれど、それが大切なのだろう。