永遠のオールディーズ
久し振りに、古いCDに浸っている。
ナット・キング・コールやトム・ジョーンズや・・・「朝日のあたる家」のエリック・バードンなんて、もう自分の魂が地上を離れたような錯覚を覚える。
電気を消して、パソコン画面の明かりとローソクの灯が妙に気持ちを落ち着かせる。思わず「百年の孤独」焼酎のお湯割を作り、少しづつ、少しづつ心に流し込む。懐かし過ぎる時間が流れ、窓辺の椅子に佇むと・・・通り過ぎてきてしまった時間が体のどこかの記憶を伝って甦ってくる。
ルイ・アームストロングの「この素晴らしい世界」なんてせつな過ぎて熔けてしまいそうになる。
暫らく本からも、音楽からも遠ざかっていた。少しづつ戻ってきたようだ。粋なスタンドバーで地の顔で酒が呑める店を探しておかなくちゃならんな・・・・
夜は只一度しかない人生のために魂が浮遊する場所を探さなくちゃ・・・ 時間が過ぎていってしまうよ。
音楽を聴いていて、人は豊かな時間を生きてきたのだなぁ、と思う。
コスモスの向こうに
テレビCMで取り寄せた「Healing Classics」のチェロ名曲集に魅せられて聴き続けている。何年も聞いているのに些かの飽きも来ない、というより次第にこの1枚のCDに嵌りこんでいる。何回聴いても、新たな感動が込み上げてくる。
単純に記憶力が大減退しているに過ぎないのだろうが・・・心が和らぐのを感じる。
先回も書いたが、やたらに何かに感動する自分にビックリしている。そろそろ、近いのかなと思い今までやれないで心に蟠っていた事を一つ一つ実行に移している。といっても些細な事が多いのだけれど。
来月の末には「生前葬」を企んでいる。この仕事に突入する前に熱気球と政治活動にのめり込んでいた。創風システムの名前も、「明日の鯖石を創る会」と「風船野郎」を決して忘れるわけじゃないぞ、勝手に命名したものなんだ。多くの仲間を裏切って、自分でもどうしょうも無く時代の風に押し出されるようにコンピューターの世界に入り込んでしまった。多くの人たちに助けられ、多くの人たちの期待を裏切って、現在こんな状況の中にいる。
そんな仲間と、許してくれたなら、一晩呑み明かし語り合いたい。生前葬、なんて茶化しでしかないが・・・。
新潟県経営品質賞申請書の編集も最終段階を迎えている。創業者として語り伝える、或いは願いを書き連ねている。皆がどう感じてくれるかは脇に置いて、思いの丈を整理し残しておきたい。もう少しだ。
時折、友人の M さんと呑む。
読書量と記憶力がすごく、今話題の「中国ネタ」も楽しい。そういえば、尖閣以来マスコミの中国報道がゆれている。ノーベル賞も大変化に兆しなのかも知れない。どんな時代が始るのだろう。自分達でも命を掛けた通信の世界での動きで、ただ一度の生を精一杯に生きている人たちにとって、自分で納得し、自立した生き方がしたい、というかそれしか納得が行かないだろう。社会は変っていく。
秋らしき夜に
満天に星達が瞬き、暗闇の庭に金木犀が匂い立つ。
夕方まで賑やかだった虫たちのパーティも幕が下りたのか誰もいなくなった。
夜空を見上げながら佇んでいると様々な過ぎ去った日々が去来する。俺はもう過去は振り返らない。後ろを振り向けば寂しくなって生きていられなくなる。でも、最近は妙に懐かしい、暖かい思いに包まれる事が多くなった。先が短くなったのかな、なんて思いながら、不思議な感情の中で遊んでいる。
後ろを振り向くな !
前だけを見て生きろ !
大らかに、笑い飛ばして、自分も人も明るくしろ !
それが「石塚修」という生き方なんだろ?
後ろを振り向くな !
前だけを見て走れ !
満天の星に吸い寄せられるような夜が更けていく。
秋桜
ぶどう村の秋桜はまだ3分咲き。
もう少ししたら、畑一面がコスモスの花で埋まる。楽しみだなぁ。
最近は御野立公園で海を見ながら昼寝をしたり、ぶどう村で黒姫と雲を見ながらリクライニング・シートで寝ぼけたり、すっかり高齢者の様相を呈してきた。
道路脇に車を止めて、草叢に椅子を持ち込み寝た振りしていると通りかかったおっさん達が不思議そうな顔して通り過ぎていく。「バカヤロ」なんて小さく呟きながら、愉快。
経営品質申請書は残すところ1ケ月。
いろいろ見えてきて、中々楽にならない。ノメシコキが急にかき始めたって簡単に纏るわけないけれど、最近は楽しみになってきた。
早く完成させて、皆とセミナー開いて議論して、知恵を共有させて、俺は放浪のたびに出たい。楽しみだなぁ。