インターネットの高速化

2007年11月28日 風の戯言


 味気のない表題になってしまった。

 パソコン通信、インターネットは趣味の領域から職業になって10数年、全国的なレベルから見ても地方都市としては素晴らしい通信環境が整備され、そのことに少しは役に立てたのかなという自負はある。
 しかし、合併により新柏崎市となった地域にはまだまだ整備されていないところが多い。
 青空の下、何か対策はないかと西山、高柳地域を一日がかりで飛び回ってきた。
 実は最新の技術で架線上で光を電話回線に受け渡すFTTRという技術がある。まだ実験レベルかも知れないが、新しい技術には未来の夢がある。当然まだ高価であり、悩ましいところが多い。しかし、高速回線の未受益者に一日も速い最適な通信環境を楽しんで貰いたい。
 暫らく、またこんな夢に、文字通り夢中になれることを嬉しいと思う。

佐藤秋雄師命日

2007年11月25日 風の戯言


 三男坊には、本来お仏壇はない、はずなのだが小さな仏壇がある。両親や祖父母、お世話になった兄貴やおばの位牌と写真が飾られている。本当は大きな写真があり、みんなに囲まれている場所があったら、心が休まるのだろうな、と思う。
 分家初代として自分の墓の心配もしなくてならないのだが、自分が存在した記憶なんて早めに全消去をかけてもらいたい、と考えている。自分の存在の価値なんて、何もないんだ。
 徒然に藤沢周平の「海鳴り」を寝読した。神問屋の小野屋新兵衛が自分の老境にふと気付いた時に不確かな死までの道程が見え、寂しさと焦りは、分りすぎるほど分る。このまま朽ちてしまうのか。当時感じた寂しさと焦りはどこかに消えてしまった。諦めの中に深く沈んでしまったようだ。

 秋雄兄貴は54歳。いくらなんでも早過ぎたよなぁ。

畑終いの儀

2007年11月22日 風の戯言


   雪の夜に人切る闇の深さかな      蒼風

    雨に白いものが混じり、闇の中を降りてくる。
     世の中が己の思うままになるはずもないけれど、    時に経済は無常に行動せざるを得ない。

霜月の風が蹴飛ばす残り柿       蒼風

     残った柿はカラスのご馳走になる。妻は怒りもせ    ずに「いいの、いいの、カラスが半分、私が半分」
     一年間お世話になった畑に感謝と来年の豊作を祈    願し、蝋燭を灯し酒を畑の四隅に播く。畑が満足そ    うに冬の休みに入った。

モンゴルフィエ デー

2007年11月21日 風の戯言


 今日、11月21日は熱気球愛好者にとっては特別の記念日。

 1783年、フランスのモンゴルフィエ兄弟がルイ16世の許しを得て初飛行に成功した日として記憶されている。熱気球だけでなく、人類が最初に空を飛んだ日でもある。
 「熱気球200年祭」なんて騒いでいたのがつい最近のような気がするけれど、もう25年も以前のことになるのか!
 モンゴルフィエの10日後にはシャルルがガス気球(水素)で飛んでいる。10日の違いで二番手とされたシャルルの口惜しさが目に浮かぶようだ。

 そう言えば自分達の結婚記念日を忘れていた。2,3日前までは覚えていたはずなんだが・・・・もう35年のなる。
 秋雄兄の命日は11月25日。昭和49年、まだ54歳だった。現役の柏崎医師会長として、男盛り働き盛りの真っ最中だったように思う。カシワ自動車の須田社長が国道116号線の工事現場まで知らせに来てくれて、8号線を急ぐ空に真っ赤な夕陽があった。鮮明な記憶が蘇り、今も、込上げてくるものを抑えることが出来ないでいる。

 今朝は初雪が降って、庭が少し白くなった。体調が優れず、少し遅れて出社し、午後は産業大学の講演を無事に終わらせることが出来た。若い女性社員の協力でパワーポイントが上手く纏り、授業の一環だというのに、思いのたけを話すことが出来て、胸の中がすっきりした。

 先週金曜日、市役所で馬鹿な話で盛り上がっている内に「大晦日に追悼と復興の願いを込めて花火を揚げる会」がでっち上げられ、早速動き始めてしまった。

 明日は大雪の予報が出ている。寒々とした風が寝静まった夜の闇を通り過ぎてゆき、気分が落ち込んでいく。俺はもう65歳。未だに青臭いクソボウズのような気がしてならない。

原発と地域経済を考える

2007年11月18日 風の戯言


 11月21日、新潟産業大学 経済学部科目「地域振興論」の講師として「原発と地域経済を考える」と題して講義することになった。
 いい加減な話だが、もうバックは出来ない。軽く何かを引き受けて、何時も自己嫌悪に陥る。自虐的な趣味としか思えない。まぁ、馬鹿なんだろうね。それにしても、懲りない男だなと思う。
 
 Global経済の下で地域経済を守るにはどうしたらいいのか、柏崎における原発を唯我独尊で話したいと思う。

 文春12月号の藤原正彦氏「教養立国ニッポン」は面白かった。
 かつて、日本からの輸出品は刀が多かったが、中国からの輸入は書籍がほとんどだったというのを思い出した。教養とは程遠い身ながら、稿末の言葉は美しいと思う。

 「教養を一歩一歩積み上げることで、自分が一歩一歩内面的に豊かになっていく充実感と愉悦は何物にも変えがたいものである。経済は豊かな社会を実現する為のものであり、教養は自分を豊かにする為のものである」

 
 写真は自宅前の公園にて