小正月

2008年01月14日 風の戯言


 雪の降る風景を表すのは縦書きが相応しいように思う。音も無く降る雪のその静けさはやはりあの「んんんんん・・」と綴った詩を超えるものはなさそうだ。
 
 小降りになった夕暮れ、新雪を踏みながら犬の散歩に出た。1週間に一度だけ、主人の気まぐれで自由に走り回れるのを最高の楽しみにしているらしい。おねだりもせずに、散歩に誘われるのをただじっと待っている。それがとても可愛いのだけれど・・・寒いのだ。
 八石の山が、日本昔話の挿絵の背景のように佇んでいる。鯖石川の東岸の集落に灯りが燈り始めている。65歳の1月14日、今日俺は何の為に生きていたのか・・・なんて問うのは止めよう。藍沢南城がこの風景の中で何を考えていたのか、三余堂の学寮の囲炉裏で降りしきる無音の雪音を聞きながら、そんなことを訊ねてみたかったな、と思う。

 温暖化の論議が賑やかだが、ここに住んでいると雪が少ないのは助かる。「雪地獄 祖先の地なれば住みつげり」そん地の底からのような恨み節が聞かれないだけで心が休まる。
 
 連休でボーとしている間に「おぢや風船一揆」の準備が始まっている。今年は32回、大会副会長を拝命し続けながら何も出来ないもどかしさの中で、毎年繰り返されるこの祭りのパワーの凄さを噛み締めている。
 

7月16日をどう迎えるのか

風の戯言

 大晦日の花火が中止になって、この気持ちを何処で天に届けるのか、いま話題になっている。7月16日をどうデザインするか、花火のこともさることながら鎮魂の祈りをどう表現すれば人はまた前に進めるのか。
 ある企業は世界的な規模で「アベマリア・コンサート」を開きたいとの案もあるらしい。聖書の最初の翻訳者が柏崎の人だという話もある。ヘボンのメンバーで高橋五郎という人。深い縁があるのかもしれない。

原子力保安院の地元説明会

2008年01月13日 風の戯言


 友人に誘われて原子力安全・保安院の地元説明会に出席してみた。この手の会は普段は遠慮申し上げている。しかし復興会議の議論に現場体験がないと何も言えなくなる。そう思って、会場に滑り込んだ。信頼を築く為の地元住民との対話集会という割には物々しい警備陣、多すぎる女性スタッフの配置など、場違いな警戒感が目障りだった。

 「信頼」 どうすりゃいいんだろう?

 

平成20年 始動

2008年01月08日 風の戯言

 年末年始、約10連休が終わり平成20年がスタートした。「約」というのは28日が会社の大掃除やボーリング大会、忘年会で過し、中止になったが大晦日+元日と復興花火の対応、4日は柏崎市の賀詞交換会で結局キンチョウとユルミが不規則に繰り返したので休みの最期は本格的な「欝」状態になってしまった。
 原因は大晦日+元日の花火の強風による中止。真冬の日本海という最悪の条件を想定外にしてしまった「迂闊さ」。自己嫌悪に陥らない方がおかしい。参ったね。

 昨日は仕事始め、といっても挨拶回りと来客応接なのだが間を縫って新年度の業務計画の詰め等結構隙間の無いスケジュールをこなしている。俺はやはり仕事をしている時が一番楽しい。どんなに苦しくても頭の中をブンブン回してニコニコしながら危険をすり抜けていくのが面白くてしょうがない。この職業は、多分天職なのだろう。
 少しづつ、欝が晴れて躁がやってくる。これがまた始末に終えない軽率な言動を繰り返し、自己嫌悪の種となっている。B型人間の宿阿。

 とボヤきつつ、暖かい冬を喜んでいる。雪が少ないのは何よりも助かる。平成20年のスタート、だ。

他人の義務と自分の権利

2008年01月06日 風の戯言

 「日本は他人の義務と自分の権利を主張する国になっちゃった」週刊誌を読んでいたらそんな文章に出食わした。自分の責任について一言の言及も無く、相手の不備に自分の権利を植え替えようとしているに思う。ようは時代は変わった。