チェ・ジウの水 Vana H を見に行く
糖尿病が治る、癌が治るかもしれない、と言う話を聞いてチェ・ジウの水「Vana H」を見に行ってきた。
正直言えば人に奨められて、この疲れ易いボロ雑巾のような身体が少しでも楽になれば、と思い、もう少し前から使い始めてている。
週2回のマッサージと毎日2種類のサプリメントと6種類の薬と睡眠薬と養命酒、三度の食事と週1回の散歩、そして天然水素水、これで漸く人並みの健康を維持している。
だから、この水はひょっとしたら俺にとって救いの水になるのかも知れない。だけど、只の水がそんなにも効くのだろうか?
社長の講演を聞いていて、このタイプの人に何処かで会った記憶がある。誰だったか思い出せない。
しかしまた、偶然も良いところで週刊新潮に「怪しい天然水素水」が掲載されていた。記事に間違いはなさそうだ。
説明会の疑問点は二つある。効果の問題と仕掛けの問題。効果の証明としての「臨床データ」がまだ少ないこと。理論的には「?」のところが多い。仕掛けとしては2011年10月に一部上場の予定で、それまでに5000人の株主が必要とのこと。それで、公開されれば、多分とんでもない初値がつくだろう、という説明。うーん、欲が理性を邪魔していく。慎重な自己判断、というか資料とデータの解析をしてみたい。
26日は新潟工科大学の「大学開放」。安田浩東京電気大学教授の講演には間に合わなかったが宮沢教授の研究室と懇親会でじっくりと話を聞くことが出来た。「JPEG」「MPEG」の開発者で、やっぱり本物の学者は人間味が違うと感じた。 師曰く「大学の研究室に企業の人が訪れ、学生に質問する、それが学生にとってとても大きな励みになる。それが教育」、と。何となく嬉しくなった。
厄日
突然の天災に襲われたり、事故に遭遇したり、いや、自ら修復不能なトラブルを起こしたりすることも多い。
そんなのが重なっておきると・・・それを「厄日」という。
22日は正にそんな日だった。
まず、創風システムの基幹サービスであるインターネットが1時間近く止まってしまった。結局機材の故障だったということは「止めてしまった」と言い直した方が良いのだろう。社内伝達が遅れたことが無用なトラブルを招き、東京の顧客の下で新しいシステムのレビューが最悪の事態は避けてくれたものの、顧客に対する信頼が台無しになってしまった。緊急の対策会議を開き、招いた事態の重要性を再認識したが、経営最高責任者として忸怩たる思いが強い。
2段目は「越後みそ西」の醤油が産膜酵母にやられたらしく、苦情を受けた直後に全品回収に走った。食品研究所に問い合わせ、毒素の混入した可能性は薄いと言う回答を戴き一安心。緊急対応で、これも最悪の事態は避けられた。
夜、ビジネスコンサルタントの友人と投資週刊誌の元編集長と3人で飲んでいるところに追い討ちのメールが届いた。
事態はなんとも情けないような初歩的なトラブルだけに、責任者はサスガに凹んだようだ。愚痴を聞いてプロセス管理の徹底しかないのだが・・・。
情報システムにしても食品にしても最後は社会からの「信頼」という「仕付け糸」一本で繋がっているだけなのだ。
「信なくば即ち立たず」であり、信頼を失う行為を抱けも見ていなくても「お天道様に顔向けできない」と思い、「名こそ惜しけれ」と命より大切なものを信じ行動することの尊さを見失いかけている。
なんて立派なことを書きながら魅力的な女性に心迷わせている俺はいったい何なんだ?
新潟県経営品質賞 応募
文字通り、あっという間に1週間が過ぎていった。
何をしていたのか、よく覚えていない。痴呆症による記憶喪失とか夢遊病によるものではない、と思っている。多分・・・。
実は9月16日にNTTが柏崎市西山48局に光ブロードバンドを導入のプレスリリースすると言う情報が入り、というか壮絶な戦いをしてきた結果なのだが、地元への周知と挨拶、営業活動に走り回っていた。66歳を過ぎた、小なりと言え企業組織の社長の立場として些か忸怩たるものもあるが、NTTを相手にして「効率的に」戦う前から負けを認めるのはいかないんだ、こん畜生!。
この地域の情報化の尖兵として無謀な戦いをしてきた身としては、多分生涯最期の闘いになるのだろうが、年老いたからといって、戦いを放棄したとするなら、俺は死んだ方がましなんだ。このクソったれ!
地域に光ブロードバンドが整備される、当たり前のような「現代」がどんな効果を生むのか、正直よく分らない。
ただ、いろいろな立場の人たちにとって人生の幸福に寄与することは出来るのかもしれない。それを信じ、心を震わせるコミュニケーションができたなら、きっと生きている意味が何となく分かる時があるのだろう。
馬鹿じゃあるまいし、この年齢で何かに熱くなっているなんてとても幸福なことかもしれないが、どんなに頑張っても手応えの薄い経営業務なんてのにいい加減嫌気が差してきた。勝手にしゃがれ、だ。なんて言いながら福田さんみたいな真似はできないだなぁ。
まぁ、何時死んでも良いように、また生きている限り精一杯悔いのない仕事が出来る組織を残したい為に「新潟県経営品質賞」に応募することにした。
「経済」に対する理解もできない阿呆が多い中で、自分そうなのだが、体系立てて判り易く、自分でも納得できるように、改めて整理してみるのも愉しく、難儀な作業だ。
やっている内にこの知的格闘技に熱くなってきてしまった。馬鹿は死ななきゃ治らない・・・? なんてこった!
{ぶどう村}の廃墟の中で忘れ去られたような葡萄が実をつけている。人間の、勝手な「愛」が去ってしまったときに、自然は自然のままなのだが、どうしてこんなに寂しい風景になるのだろう。
「勝手にしゃがれ!」かよ。違う!
祈り
今「新潟県経営品質賞」を狙いつつ自社の経営を再構築する為の申請書を書き始めている。7項目約60ページの記述が求められている。難儀だが、やらねばなるまい。
文書を纏める為に休日の会社に行ったら、同じく休日出勤をしていた総務の近藤さんが電話口で顔色を変えていた。
聞いたら総務の同僚の3歳の女の子が急病だと言う。休日で専門の先生もいなく、病院を移すことも叶わず、今は天にも祈る気持ちで病状を見守るしか出来ないと言う。
家に小さな生命体が同居し、まるで見えるような眼差しと時折笑顔のような顔の表面の変化が、心を癒す。
間近で子供を見ていると、彼女の子供のことが他人事に思えない。早く元通りに治って家族の幸福の象徴であって欲しいと、家の仏壇に祈った。祈ることしか自分には出来なく、それがもどかしい。
自分には一見不思議な運と摩訶不思議な力がある。まだ力が残っているかもしれない。そのこのために祈り続けてみよう。早く元気になって母親の胸で甘えて欲しい。
写真は退職した元社員が、毎年子供を連れて会社に遊びに来てくれる。当時の彼女を知る社員も少なくなったが、まだ20人程度だった会社の昔を懐かしく思い出している。
みんな自分の子供みたいな気がしていて可愛いんだよね、幸福になって欲しいと願っている。