中秋の名月
なんかねぇ、俳句なんか弄ってないで月を取ってやればいいじゃん!、とどうも素直になれないね。
名月を飲み残してや酒楽(さかほがい) 草風
朝の雨が上がって今日は綺麗な秋晴れ。コンビニでおにぎり買ってぶどう村に続く林道で半日遊んでいた。道の脇の木陰に車を止めてラクチン椅子で本を読んだり居眠りしたり・・・それにも飽きるとぶどう村に忍び込んで、熟しすぎた紅瑞宝?を失敬して・・・ススキの向こうの黒姫山が見ていたか?
鯖石川沿いに広がる田圃は稲刈りの真っ最中。兼業農家の多いこの地区にとって嬉しくも忙しい日だったのだろう。減反、ナンテ馬鹿な農政をやらなければ、日本は今より貧しかったけれどもう少し堅実な社会を維持できたのかも知れない、なんて生意気なことを考えたりする。
豊かさとは何か、幸福とは何か・・・毎日が死ぬほどに退屈で、こんな日常が一生続くのかと、踏み固めた一本の雪道を飛び出し深い雪の中で狂ったように、いや狂っていたのかも知れない、泣き喚いていた子供の頃を思い出す。家は貧しくはなかったはずなのに・・・俺は何を考えていたのだろう。
名月の滲んで虫のやかましき 草風
そろそろ金木犀の匂う季節が近いはず。そして一年。
9.11 7年目
衝撃の9.11テロから7年が過ぎた。
あの日、新潟工科大学の佐藤先生とクラブの若い女の子に囲まれてご機嫌にカラオケに興じていた。
東京にいる倅から携帯が入り「酒飲んでる場合じゃねぇぞ!」と一喝された。急いで店のテレビを点け、唖然としてあの光景を見ていたことを鮮明に覚えている。
ソ連との冷戦に勝利し、アメリカ一強が崩れていく瞬間だった。「世界が変るな」電話で話しながらも何がどう変るのか予測もつかない。あれ以来アメリカの凋落、中国の台頭、世界は流動化している。
11日夕刻から第四銀行50周年記念講演会が開かれ、前ソニーの出井伸之氏の「2020年にほんのビジョン-多極化の時代に-」を聴講する機会に恵まれた。
現代は15世紀の都市国家に似た状態なのではないか、と言う指摘は興味を刺激された。また幕末のペリー来航時、日本の人口は3000万人ほどであり、当時のアメリカ・メキシコ・カナダの総計より多かった、そうである。
現代はまた、20世紀から21世紀への過渡期であり20世紀の名残と21世紀の萌芽が混在する「ひずみ」の大きな時代だとする。そして2020年になれば21世紀が始まっているのだろうと。
経営計画は2020年を意識しなくてはならなくなった。
その時日本はどうなっているのか? いや、どうしなくてはならないのか?
愉しくなってきた。
片貝の花火 浅原神社秋季大礼祭
久し振りに片貝の花火 浅原神社秋季大礼祭に行って来た。今年は見事な秋晴れで、しかも適度な北東の風も入り煙が綺麗になくなったところに次々と大型の花火が揚り、ここ30年でも最高の花火ではなかったかと思う。
特に今年還暦を迎えたとなかいの大花火は見事と言うしかない感動的な花火だった。小さな町の中学の同級会で1000万を越える花火を揚げたこともさることながら、人生60年の時をともに喜ぶことの出来る仲間を持った、その喜びの正に爆発だった。
広い桟敷席から全員が立ち上がり「おめでとう」の言葉に合わせ惜しみない拍手を送っていた。花火のスタンディングオペレーション。何故かしら涙が頬を伝い、鳥肌の立つような感動の中で幸せな時間が過ぎて行った。
よかったね。おめでとう。
貴方達は幸せだと思う。伝統と自分達で創り上げた感動は60台を乗り切って行く大きな勇気と力になると思う。
もう一度、おめでとう! そしてありがとう!
片貝の花火 浅原神社秋季大礼祭近し
昨年大晦日、中越沖地震追悼と復興祈願の花火は暴風雨の為中止になり、一周年の7月16日、青年会議所のイベントとのコラボレーションで念願の花火が実現した。
これは柏崎の熱意もさることながら、片貝煙火工業の本田社長の熱意によるところが大きい。
先代社長本田善治さんとは当時の星野市長の意向で「小千谷雪原まつり」の企画・実行で大変お世話になった。以来30年余、重陽の節句は大抵片貝で大騒ぎしていた時代が続いていた。最近はサスガに疲れて片貝の花火には行けない年が多くなった。
年末花火のこともあり、今年は「答礼」の意味も含めて久々に桟敷席を手配して貰った。柏崎から関係者10数人で見物させていただくことになった。
昨日、番付と桟敷席の券を貰いに片貝に寄ったら、例年の花火奉納者の名前が大きく張り出されていた。お祭りはこれなんだよな、と思う。
今年は良い花火が見れそうだ。