柏崎より愛を込めて IOJ投稿原稿修正

2008年07月22日 風の戯言


 平成19年7月16日午前10時13分、M6.8の激震に襲われた中越沖地震から1年が過ぎました。あの時の衝撃の記憶を消し去ることも、薄れさせることも出来ませんが、生きている限り気持ちを切り替え前向きに歩いていくことしか出来ません。泣いた所で、ぼやいてみたところで、以前の、当たり前の日常が戻ってくるわけでもありません。ボトボトと、やれるところから手をつけている。人が尋ねてくれば「いゃー、参りました」なんて話していてもホントの心はまだ上の空ですよ。
 でも、若い人たちが一緒に元気を出そうといろいろなイベントを仕掛けています。7月16日、海岸を埋め尽くした多くの市民達が演奏会やローソクイベントで気持ちが和んできた時に「追悼と復興祈願の花火」が夜空に木霊し、みんなが目を真っ赤にして感動していたのが印象的でした。

 今年こそ、本当の夏がやってくる。そう思いました。
 19日と20日は「ドンガラまつり」よさこいソーランの流れを汲む若い人たちのまつりが、柏差咳の夏を爆発させています。
 7月26日は、ぎおん柏崎まつり。祭り直前に本体の八坂神社は焼けてしまいましたが、夏本番「豪快な海の花火」の準備が着々と進んでいます。

 「地震・雷・火事・親父」自然災害は時・所・規模を構わず襲ってくる。でも、先人達は神の仕業に近い災害に立ち向かい治水を施し、自警団を組み、災いを転じて福となし、大きな幸福を手に入れてきました。

 しかし、現代文明は「仮説」の上に成り立っています。仮説ながら現実の時間と同じ空間を過ぎ行き人間に大きな幸福を齎しています。
 仮説の親分は「電気」でしょう。「ニューヨーク大停電」などを懐かしく思い出します。しかし、中越沖地震が引き起こしたものはは「停電」ではないのです。柏崎原発が止まっている今は、危機管理上の2拠点主義が壊れているのです。この間に、もう一度同じ規模の地震に見舞われたら・・・・南無阿弥陀仏ですよ。

 岩手・宮城内陸地震がもう少し南だったら、いや昨日はもう福島までM6.6が起きている。今日は早速福島沖M6.1。もう少しまで近づいた。4−5ヶ月の東京大停電、ホントもう直ぐ来るよ。
 柏崎と同じように原発直下が地震を受けるか、または送電線の根元が大きな地滑りを起こしたら、東京はどうなるのだろう。その影響は世界に何を齎すのだろうか。
 カッサンドラの法則を持ち出しまでもないが、叫ばれてきた危機が現実になり、その崩壊の中での悔悟の慟哭はどんな意味を持つのだろう。

 東電や保安院の方にお尋ねします。

 原発や近未来の環境技術等のことについて、難解な技術や法令、外国の規制等について、地元の我々一般庶民にわかりやすく説明する努力を惜しまないで貰いたいのだ。
 現代社会は「知の共有」社会です。難解な話を絵本に書き写す時「知の化学変化」が起きる可能性があり、そこから新しいアイデアが生まれることも多いのだそうです。

 原発で無責任な空理空論をもてあそび、時間を空費していることは犯罪に繋がる・・・と我々は考えています。
 今原発がその存在理由を説明する為に立ち上がり、安全と安心の為の思索を早くキチンと出して欲しい。
 このままだと、本当に数日中に東京の電気は消えてしまいますよ。我々は東北の電力を使っているから心配ないけど、本格的な対策を多少乱暴であろうと結論を急がなければ「大変なことになりますよ」 

 柏崎はいい町です。海には美女と魚が戯れ男たちは花火に酔いしれています。海があり1000メートルの山があり港があり、壊れた原発があり過疎地がある。語り部達がいて子供達がいて柏崎に不足するものは何もないのです。

 あるとすれば「本物の信頼関係」
 あるとすれば「生産地満足度」   

満願成就 御礼

2008年07月17日 風の戯言


 梅雨の終わりの時期としては、これ以上望むべきもないお天気だった。
 柏崎青年会議所のメンバーが精魂込めて設営した復興イベント会場は熱気に溢れ、家族連れや、柏崎にこんなにも若い人たちがいたのかと思うほど大勢の人が海岸に溢れていた。

 大晦日、元日と嵐のような季節風に阻まれ「復興花火」は実現できなかった。遭う人毎に「きっとこの日にしなさい」と言っていたんだよ、よかったね、と声を掛けてもらった。
 そうなんだよな、と思う。
 JCとのコラボレーションが最大限にシンクロし、思い以上の、鳥肌の立つような感動が伝わってくる。シンプルな、そして一つのドラマのような演出を花火師の本田さんは見事に夜空に花開かせてくれた。30年来の友人の、心を知り尽くした演出に、込み上げてくる感動に、観客のどよめきに、周りの風景が滲んでいた。
 花火の終わった後直ぐから、いろいろな人から携帯電話に「よかったね」と感動の電話が入ってくる。みんなの思いを天に届けることが出来た。

 なんとも幸せな一日だった。

 今年こそ、また何時もの夏が帰ってくる。嬉しいね。

百日咳?

2008年07月15日 風の戯言


 しつっこい咳に悩まされ病院に行って来た。診療所はいいけど、病院は苦手だ。待合室で萎びた様に診察の順番を待っている病人の群れを見ると、俺は絶対こんなになる前に死んでやる、と思ってしまう。向こうも仲間が増えたと喜んでいるのだろうが・・・・。
 しかしまた医療業界の凄さを実感させられた。いったい、この病人及び病人予備群に対し医療側はどれだけの人員と医療器材を準備しているのか・・・経営者の一人として収支バランスを考えると目眩がしそうだ。
 堤未果「貧困大国アメリカ」のレポートによれば、現在アメリカ中流階級の貧困層への転落が激増しているが、その主なる原因は高価な医療費に因るものだという。世界一高い医療費で中間層が破産しているのだそうだ。
 ニューヨークで盲腸の手術をすると平均入院日数1日、平均費用243万円!、だと! 然るに日本だと入院日数4,5日で費用は30万円を越えることはまずないとのこと。
 アメリカ発の「グローバルスタンダード」が日本に押し寄せた場合、小泉流の民営化が果たしてみんなの幸福に繋がるのか、懐疑的になる。多分『ウソ』だろう。

 なんてことをつらつら考えていると、書棚に並んだ背表紙に引き込まれた。乱読*積読だから部屋の書棚は大したことない。しかし世界にはこの何百万、何億倍かの本が実在するはずだ。人間という、知的空間に棲息する生き物の凄さに始めて気がついた。人間は動物の一種に過ぎない、と思っていたが全くの別種なのかも知れない。
 或いはまた、堤未果さんを読んでいると、その人間の中から「富裕層種」が分化してきている、ようにも思う。
 生物は自然環境の変化に合わせて進化し、経済環境の変化により別種が誕生している・・・貧困層に落ち込んだら2度と這い上がれない・・・寒々とした風景が見える。

 明日は晴れそうだ。
 無事に花火が揚って、今年こそ本物の夏が欲しい・・・そう思う。

 写真は下加納集落の案山子
 写真の横に横断幕があって「頑張ろう! 下加納」とあつた。毎年この時期に洪水に見舞われるこの土地に、今年こそ幸いあれ!

中越沖地震 被災1周年

2008年07月13日 風の戯言


 7月16日午前10時13分
 突如、この町を襲った中越沖地震を忘れた人はいないだろうが、あれからもう1年。
 最近はいろいろなことがあちこちで起きて、記憶も涙も未整理のままだが、もう一度見直して災害に備えたい。
 この天気予報だと、何とか16日は花火が揚げられそうだ。
 みんなの思いを、天に伝えて欲しい。それだけだ。

咳の正体は?

風の戯言


 周期的にやってくる咳き込みを自ら臨床実験のように楽しんでいる。次第に咳き込みの後に意識不明の瞬間があるようで、現状を把握するのに1,2秒掛かるようになった。
 昨夜はお腹の大きくなった娘と3人で食事に出かけ、40日振りに紹興酒を飲み、その後一人でご無沙汰している店に2軒寄りご機嫌になって帰ろうとした瞬間、意識がなくなり倒れたらしく、現状が理解できず「何処で、何してるんだろう?」状態で助け起こされ、直ぐに自力でタクシーに乗りはしたが、何か照れ臭い帰宅になってしまった。
 社員と冗談を飛ばしている内に「最近酒を飲んでないようだから免疫力が落ちたんじゃないか」という魅惑的な解決策にホイホイと乗ってしまった自分が馬鹿だった、ナ。

 臨床実験はともかく、こんな症状にどう対処すればいいのかインターネットで調べ始めた。こんな状態で初めて知ったのだが、ビジネスの上で顧客満足は至上命題に近いのだが何とまた自己満足の世界が多いことかと、つい自分の仕事の反省をさせられた。
 自然にも人間にも余分なものはない。自分中心でなければ精神不安に陥り自滅する。だからそれはそれでいいのだが、他人の心を思いやれる精神状態ってのは自分が不安定だと出来ないのだろう。自利々他。まず自分の為、そして次に他人の為、それが同時に出来ることが理想なんだろね。

 で、咳は何のためにあるか。ただ、人を苦しめる為にあるわけではなく、体内に有害なものの侵入を阻止する為の身体という全能の神の作用なのだろう。彼らはその識別を何処でするのか、センサーを何処で働かせているのか、と考えてみると「喉」なんだね。喉に痰が絡む、多分これは外敵と防衛軍の死体の山、これがなくなると負けたか勝ったかのどちらか、だ。
 まぁ、といわけで安保徹流免疫学の極意、41度の温泉に15分以上浸かれば大抵の病原菌は死ぬ。リンパ球と顆粒球のバランスが取れて、メデタシメデタシとなるはず。信ずれば通ず。信ずれば花開く。
 午後からじょんのび村に行って来る。温泉を楽しみにするようじゃ、老けた感じだなぁ。