いつかどこかで
店を3軒ハシゴして只今帰宅。
最後の、行きつけの店でママが歌った「いつかどこかで」が頭の中をリフレーンしている。
勝新太郎の持ち歌で、過ぎ去った過去への想いを抑ききれない男のしみしみとした恋歌。曲全編に流れる切なさが心をかきむしる。
飲み仲間、と言うより敬愛する心の友だった竹田満さんが、時折しんみりと歌っていた。「狂った果実」や「別れの一本杉」を無理やり歌わせると、ちょっと哀しそうに、そしてチョット得意そうに歌う彼の横顔が蘇ってきて、目の前が滲んでくる。
3月20日は彼の誕生日。
逝ってしまって、もう何年になるのだろう。
寂しさだけが襲ってくる。
雪はもう止んだのかな。こんな冬の夜はどうしていいのかわからない。
弥生 三月 雛祭り
思いっきり「季節感」がづれている。
「もう、どうでもいいや!」「勝手にしてくれ!」って感じ。今日の夕焼けなんて言葉で表せないほど綺麗で、もうどうとでもしてくれ、みたいな凄い夕日だった。
最近、いろいろな人達から声を掛けて頂き幾つかの「慰める会」に出席している。市中引き回しの上獄門!を予測していた者にとってこの上もなく嬉しいことなのです。
今日も「ぶどう村」再建計画について何件かのアイディアを頂いた。自分がもう表面に出れないもどかしさはあるが、地域の夢を伝えられる大きな柱が出来そうな気がする。
急がず、急いで、みんなの夢を纏めてみたい。
明日は2.26事件
記録的な暖冬で原田常冶「気温の周期と人間の歴史」の巻末にある諏訪湖の記録では1443年から1974年までの530年間にお神渡りがなかった年が47回ある。だから暖冬といって殊更に驚くこともないのだろう。自然界の乱数の凄さと言うこと、なんだと思う。
で、明日は2.26事件の起きた日。東京に雪の降っている写真が印象に残る。唱和11年、1936年。俺が生まれる6年前の出来事、だ。
北越銀行柏崎支店の丸山支店長に薦められて半藤一利の「昭和史」を読んでいる。戦前編は辛いので戦後編から読み始めたが、これもやはり辛い。敗戦が決まった瞬間に日本は化学変化を起こしてしまったようだ。硫黄島や沖縄での戦闘が不思議に思える。自らの努力も夢も未来も全てを捨てて散った人達の想いは何処に行ってしまったのだろう。
夢や想いは語られることもなく、無責任な解説だけが横行している。豊かさの中で多くのものが失われているように思えてならない。多分、もう修復は無理なのだろう。時代は変わる、ということか。