NPO法人 トライネット祝賀会

2006年12月19日 風の戯言


 自分でも把握できない行動の中に障害者の支援組織 NPO法人トライネットの副代表理事の肩書きがある。春先、市長が活動拠点「スペースあると」を訪問されたとき取材同行していた地元新聞社の社長が「石塚さん、何でここにいるの?」と聞かれた。お母さん達の集まりの中で、自分の立場をどう説明していいのか判らず咄嗟に「用心棒だよ」と答えてしまった。でも何と無くその「用心棒」が好きになり、いつもそう答えることにしている。
 今日は念願であった新しい活動拠点「ここ はうす」の竣工記念祝賀会が開かれた。市長さん始め多くの来賓と支援者、スタッフの人たち、利用者の子供さんたちが一緒になってお祝いし、マリンバの演奏があったり、市の介護スタッフによるバンド演奏があったりと、とても温かい、一足先のクリスマスのように盛り上がりがった祝賀会だった。
 閉会の挨拶で、私は用心棒のつもりで居たけれど、励まされ勇気付けられているのは自分達の方じゃないかと思う、ありがとう、と締めさせていただいた。
 最高にいい時間だった。こんな温かい心を一人でも多くの人たちに伝えられたら柏崎はもっともっといい町になるだろうとしみじみと思った。いい町になって欲しい。

ノストラダモス症候群より離脱せよ!

2006年12月18日 風の戯言


 今日は柏崎商工会議所一般工業部会議員・参与懇談会及び懇親会があった。場所は天屋、奥の細道で松尾芭蕉が一夜の宿を拒否されたとして有名な江戸期からの旅館・割烹。ま、この事件の裏側には江戸の俳諧と京・上方の俳諧の攻めぎ合いの生々しさが漂っているらしい。
 閑話休題、今日の講話は新潟日報論説委員の小町孝夫氏、主題は「外から見た最近の柏崎」。どうもこの町の人たちはマゾ的嗜好の人が多いのか、まぁ揃って言いたい放題のサディストを呼んでくる。
 地域の欠点を臆面もなく言い立て、考えている未来を先に言い立て、地元を正に無能者集団の如くこき下ろし、教訓をたれ、破滅の予言を残して帰ってゆく。クソ面白くないね。
 この柏崎にはとんでもなく素晴らしいものや人がいっぱいある。ただ、ネットワークしてないだけだ。柏崎素敵発見隊が動き出せば柏崎の住みやすさや凄さがみんなにわかってくるだろう。
 地元の悪いところを言い立て、悪いことが起きるよと人を不安にさせ、自分も不幸になっているノストラダモス症候群の人たちが多すぎる。ノロウィルスがはびこらないうちに消毒してしまわなくちゃ!

御歳暮

2006年12月16日 風の戯言


 何時の間か年末が近づき御歳暮を心配する時期になった。
 何処でも手に入るものでは心が伝わらないし、地方色豊かな、正に「土産もの」と言えるようなもので喜んでもらえるものを・・・と考えるとなかなかないもんだね。
 
 先日酔っ払って撮ったスナックの女の子の足の写真を、気心の知れた仲間に「御歳暮」としてメール添付している。礼状が届いていないところをみるとまだ開封していないようだ。まぁいいや。皆様に御歳暮です。年内に処分してください。なんてね。

 

未完成 ジャズの夕

2006年12月10日 風の戯言


 時折、妙に生のジャズが聞きたくなってプロデュースしている。場所は柏崎駅裏の「未完成」。昨日はソフトなジャズで、落ち込み始めていた気分を包んでくれ、元気が戻ってきました。隣に美女が居てくれたせいかな。
 自分の部屋ではチェロやショパンのバイオリンが好きで飽きもせず繰り返し繰り返し聞いている。
 音楽と酒と人生を語り合える女性が居れば、それ以上この世に望む物はないのだろうが・・・。また一人旅をしたくなっている。騒擾の季節が始まったかな。

陽子ちゃんの結婚式

風の戯言


 海の見えるリゾートホテル「グランメリー」で開かれた陽子ちゃんの結婚披露宴に招かれ二人の門出を寿いできた。
 陽子ちゃんのパパはヨットの吉川公一さん、そのお父さんは昭和43年10月から始まった柏崎市東長鳥杉平の土地改良工事の換地委員長。結局親子3代のお付き合いになる。
 また花婿のお姉さんの嫁いだ丸山商店はもう親子4代のお付き合いを続けている。
 陽子パパは「パソコン村」の助役さんで、俺がこの職業に入った直接のトリガーを引いた人。姉の万里子ちゃんは今の会社の創業メンバー5人の一人。幾重にも重なった縁に包まれた温かい結婚式だった。昨年な亡くなられた陽子ママのユキイさんが会場のどこかに居るような気がして、祝辞の声が詰まってしまった。
 温かい家庭を築いて欲しい、心の底からそう思った。

 写真は久々の万里子とのツーショット。