バタフライ効果

2007年09月30日 風の戯言


 忘備帳 ニューズウィーク10.3

 「ブラジルの蝶が羽ばたくとテキサスで竜巻が起きる」
 または「中国で蝶が羽ばたくとNYで嵐が起きる」など。
 地球上のある土地で起きたごく些細な変化が遠く離れた場所にとてつもない影響を及ぼす可能性がある。バタフライ効果と呼ばれるカオス理論の有名な例え。

 アメリカの低所得者向け住宅ローン問題「サブプライム危機」がイギリス5位の中堅銀行ノーザン・ロックの取り付け騒ぎを起し、世界大恐慌に繋がるという。数十億ドルに上るサブプライムローンの行方が分らない、資産担保証券に形を変えて銀行の帳簿外で処理されているという。エンロンだな。これじゃ銀行同士信用できなくなり、お金を貸さないわけだ。取り付け騒ぎも起きようというもの。
 経済は仮説の度合いが濃くなっている。世界は産業資本から金融資本に複雑に支配されていて現代を解き明かす経済論は見つからない。日本の失われた10年、バブルの教訓が活かされるといいのだが・・・。

夢の森公園

風の戯言


 週末、楽しい酒の三連荘で土曜日は完全にアウト。今日は意を決して午後から小雨の中を夢の森公園初散歩。おばちゃん四人組に会っただけで、半周コースで切り上げ。チョット物足りなく、60億がどこに掛かったのかチト不思議な気もする。
 柏崎人は欲しいと言えば何でも苦労せずに手に入ったので、次々と目新しいものに目が移って、一つのことをを楽しみ育てることが不得意な人種かな、と思わぬでもない。

 山道を歩いていると栗が落ちていたり、まだ青いドングリが散らばっていたりする。昔はこの辺りの山からマツタケが採れたそうだ。毎年秋になると市場に100万円ほどのマツタケを持ち込む人が居たと。その人が亡くなってからマツタケの話は聞かなくなった、とタイムスの吉田さんがテールランプに書いていた。誰にも教えなかったのだろう。そんなことを考えながら、まだ早い秋を楽しんできた。

 週刊文春の岸信介の記事は戦後混乱期の解明に参考となる。そのことはさておき「岸はまるで草花を育てるように忍耐強く米国に友人を作ろうとしていた」との記述があった。友人、或いは人脈は草花というより林をと似ているのかもしれない。長い、濃密な時間が必要なのだ。時の流れのまま自然に伸びた幹や枝に庭木に無い深い味がある。損得ではなく、その人と話できることが楽しい、そんな感じ。

 前の庭にコスモスが咲いていた。

塩水が燃えた?

2007年09月25日 風の戯言


 ペンシルベニア州立大学のラストム・ロイ教授がラジオ波の発生装置を利用し、塩水を発火させることが出来ると言う発見を検証した。「火がつくのを見たら鳥肌が立ったよ」
 研究が進めば水を燃料に替えることが可能になるかもしれない。−−−Newsweek 今週の名言・珍言より

 水はH2Oだから最期の可能性、夢として残る。案外と愉快な未来が待っているかもしれないな。

美しい国はどこに行く?

2007年09月24日 風の戯言

 国は、その国民のレベル以上の指導者を得ることはできない、と言う。
 阿部首相の辞任声明はどんなに言い繕ってもバカ丸出しとしか言いようが無い。Newsweekには世界中があきれ返り、無責任政治に大ブーイングの記事で埋まっている。この影響はどんな形でかえってくるのだろうか。
 そして今日又福田総裁による自民党四役の顔ぶれが発表された。なんじゃらホイ!
 今の時代、国も地方政権にも気概や理念なんて何の意味も無いのかも知らん。全てが崩壊し、無気力な平和が新しい価値を持つ時代が来るのかも知らん。古代人としてはやりきれないな。

秋のお彼岸

2007年09月23日 風の戯言


 2週連続の3連休は体調を整えるには有難い。会社の今月の業績を考えると些か不安にはなるのだが・・・そんなことを気にしていたら経営なんて出来やしない。物事には全て生命があるのだ、会社もなるようにしかならない、と開き直っている。しかし、それでいいのかなぁ・・?
 
 秋の不調は籾殻アレルギー?によるのかもしれない。そういえば毎年稲の刈入と乾燥、脱穀の季節に何日か寝込むようだ。忘れていた。季節の変わり目に疲れがピークに達するのかもしれない。どっちにしても自己制御するのに厄介な身体だ。頭の大きさの割りにそれを支える首が細いのか肩こりがたまりやすく、高校生のころから灸の世話になったりで、現在では週に2回の整体をしないと気力と体力が続かない。まぁ一種の障害者だと思って通院している。重い身体を引きづりながら、人生は己との戦いなんだろうと思っている。

 健康には歩くのが何よりと思い、カメラをぶら下げて散歩にも行き、思い立って県立近代美術館に足を運んでみた。藤城清治の影絵の世界が広がり楽しいひと時ではあった。散歩目的で美術館を覗くのは不敬なことかもしれないのだが・・・。 勢いで歴史博物館にも足を伸ばした。つい先日大学教授を案内・・・始めてゆくのに「案内」とは・・・特別展の「風林火山」を見たのだが常設館を見たかった。建物は立派だが展示物は雑然としている。学芸員と政治との妥協? 何かちと寂しい感じが漂う。もう一度見に行こう。

 ある県会議員に「おい、美術館ってばさぁ、建物よりも飾るもんの方が金が掛かるんだってゃなぁ」と話しかけられ唖然としたことがある。南無阿弥陀仏、だな。