長岡空襲の日

2025年08月01日 風の戯言

暑い日の 夕焼雲の 遠い空     草風

長岡空襲は、3歳の時だったと思う。
南鯖石の山の中から、八石山の向こうが赤く見えた記憶が残る。
大人たちの会話からの、後付けの記憶かも知れない。

今年98歳になる姉が、学徒動員の宿舎だった長岡駅の近くのお寺から、本尊さんを抱いて逃げた、と言う。
1500人近くが焼夷弾によって焼き殺された。
翌日、親父は長岡に行き、焼け死んだ一人一人の顔を見ながら、姉を探したという。

哀しい顔をして帰った父を、一足先に帰っていた姉が出迎えたという。

もう、80年にもなるのか、遠くて、近い、昔の物語。

今日の聖ヶ鼻

2025年07月31日 風の戯言

米山町から聖ヶ鼻。

お天気続きで、雨も降らず、鼻の先が焦げ始めている。

夕方と朝の黒姫

2025年07月30日 風の戯言

カムチャッカ半島 朝8時25分に起きたM8.8の地震による津波警戒情報でテレビのどの局も1日が過ぎた。

南はトカラ列島、北はカムチャッカ半島、その上日本列島は最高41.2℃の灼熱地獄。
津波による避難も大変だったろう。
夏休み、子供たちの海水浴、旅行はオジャンだったかな。

夜になって、漸く落ち着いてきたようだ。

写真は28日の夕方と今日朝。
黒姫山は散歩の友。

雨乞い

2025年07月29日 風の戯言

異常気象が常態になり、渇水がニュースになっている。
何時も砂漠化の直前で、雨が降り、救われている。
俺が有坂宮司に雨乞いを願いし、神主が必死に祈り、雨が降る。

八石山の木が何本か枯れ始めている。
庭の木は兎も角、山の中腹に枯れた木が見え始めたとはどういうことだ?
台風9号に雨を期待するしかないのか?

今年も有坂宮司に雨乞いを頼んだ。

写真はクロアゲハ蝶
大清水 大泉寺境内にて

ジャイナ教

2025年07月28日 風の戯言

宮田さんから「ジャイナ教」を教わった。
全く、クセのある彼の博覧強記には恐れ入る。

ジャイナ教は、インド発祥の伝統宗教で、徹底した「不殺生」や「禁欲」「苦行」などの「自己克服」を重視するらし。
紀元前6~5世紀頃、仏教とほぼ同時期に成立したらしい。
堀澤祖門老師の「人間、ギリギリのところで生きると何かが見えて来るんだよ」という言葉を思い出す。

徹底した不殺生主義・菜食主義。
どんな命も奪うことを禁じ、人間だけでなく虫や微生物、場合によっては空気中の生物も殺さないよう配慮しているという。
動物や昆虫、魚等と「命」を共にしていた時代、それを「愛」と呼び、墨子の「兼愛」に繋がり、直江兼続の兜の「愛」は何処で繋がるのか?

ジャイナ教徒は、伝統的に商業や金融業に従事する人が多いという。
戒律の厳格さが、社会的側面として「信頼」の裏付けとなっているのではないか?

無原則の自由は、信頼に欠け、むしろ行動の自由を束縛する。

歴史的に見れば、殆どの宗教は同じ時期に発生しているように見える。
人間が、己の人生を考え始めた時期が同時期だとしたら、面白過ぎる。
それも、インドや中国などアジアに偏っているようだ。

AIを考えながら、宇宙の広がりをニュースで聞きながら、日常生活の雑音の中から、人間と言う途方もない存在に、益々興味が沸いてきている。

写真は朝4時過ぎの、何時もの鯖石橋から。
また暑い日が始まる。