スマナサーラ

2017.11.12 風の戯言


 未来予測の中である程度確定的危機なのは
  ? 1000兆円を超す負債の償還
  ? 減少する若者の就労人口の対策
  ? 30年後までに70%の確率で起きる関東大震災への対策

 全てはこの問題を、どう解決するか、何時までやるか が殆ど議論されていない。マスコミも猟奇的な事件の詳細、アホ番組に精力を注ぎ、日本国の、従って自分達屋家族の生活の根底の問題に対して、幕末の「えーじゃないか、えじゃないか」と踊り狂った民衆と変わらない。

 冗談ではなく、本気で考える人達は居ないのだろうか?

 姉が逝って、陰鬱な日が続く。
 夢の中は、通常の生活の中で、あり得ないトラブルに苦しめられている夢が続く。なんか、もう少し純愛の発展した夢を見させて貰っても良さそうなんだが・・・。

 90歳になる三姉に花を持っていった。
 彼女の家は去年から今年に掛けてバタバタと死去し、半ば呆然としている。それでも若かった時や、初めて東京に遊びに来た時の話を、繰り返し楽しそうに話している。横浜の下宿に、仲兄が家族に内緒で九州から居候しに来た時の話は、東方が忘れてしまったリアリティを持って話し込む。仲兄とも、あの時に慌てた様子は、今も大笑いの中で繰り返す。

 多分、柏?では一番仲の良かった7人姉兄弟は、少しづつあの世に旅立っていくのだろう。
 この世が仮の世で、あの世が真の世だとも思えないが、皆が一番幸せだった頃の姿で会えるなら、最高なんだと思う。

 A・スマナサーラの本を読み直していると、キリスト者である渡辺和子の「置かれた場所で咲きなさい」と言う言葉が、仏陀の初期の言葉を伝えるというテーラワーダ仏教会の事派と重なってくる。

 批判だけをしている人が居る。
 アメリカから比べれば日本はダメだ。なっていない。
 東京に比べれば柏?は問題にならない。

 いろんな不平を言うことが自分を高めると勘違いしている。

 その時、自分で出来ることをする。 そうなんだと思う。

姉の旅立ち

2017.11.09 風の戯言


 姉が旅立った。

 96歳。

 7人の兄弟姉妹のうち、3人が父母・祖父母の元に帰った。

 義兄も2人混じって、迎えているのだろう。

 実家のお墓では、賑やかな話し声が聞こえていた。

 寂しい、と言うより、何か羨ましい気持ちになった。

文化の日

2017.11.04 風の戯言


 風に木の枝が揺れ、小雨が降り続く。

 こんな日にビバルディの「四季」を聴いているのもいい。

 昨日は朝から市内山本の西岩野遺跡発掘現場を訪れ、弥生時代後期から古墳時代といわれる遺構を訪ねてきた。
 雨の予報が青空の晴天になり、説明会よりも周りの山道に気を取られ、暫く散歩を楽しんできた。
 柏崎近郊にもう一つ宝物を見つけた。
 やはり、まだまだ知らないところが多いんだ。

 帰ってからお昼まで交通公園の草刈りボランティア。
 午後は神社への土方奉仕。
 昔の土方もツルハシ、スコップがまともに使えなくなった。

 子供達が孫を引き連れ襲来し、2人家族が10人になり、殆ど民宿状態。こんなのもいいもんだ。

ドナルド・キーン 「日本人の戦争」

2017.11.01 風の戯言


 読み進むうちに陰鬱になってくる。

 ドナルド・キーンは太平洋戦争で情報士官として、戦場に散った兵士達の手帳に記された日記を読み解いている。

 この本は「作家達の日記を読む」と副題にあるように、戦前、線虫、戦後の膨大な日記を読み解き、日本人の戦争感を抉り出している。

 高名な作家達の戦中から戦後への変節を知り、何やら現代にも通じる「言論」の無節操に愕然とする。

 「飯が食えないから」とキーンは同情もしているが、余りにも無残な「転向」に辟易としているようだ。

 信頼とは何か ?
 「筋を通すこと」、変わらぬ哲学を持って生きること、なのだろうが、豊かな時代を生きた人間がホザク言葉ではないのだろう。
 しかし、「調子のいい奴」にはむかっ腹がたつ。

ボランティア休暇

2017.10.29 風の戯言


 ボランティア休暇、要は鯖石弁で「ノメシ休み」のことなんだが、目の前の交通公園の草刈り。
 3日掛かりで漸く一つの島の形が出来た。
 これから「仕上げ」になるが、さて何時になったら気が向くか、全て「インシュアラー」だ。

 草刈りの合間に車を走らせ、軽井川から安田駅裏の明神集落に抜け、さらに農耕車優先の田圃道に乗り込んだら行き止まりそうになってしまった。
 幸い、と言うかそこに小さな小屋があり、外のテーブルでお茶を飲んでいる人達がいた。
 刈り入れの終わった田圃が小さな沢一杯に拡がり、その向こうに雑木林の小山が続く。
 風の音もなく、静かな、古い記憶の中の風景。

 なんと贅沢な人達がいるのだろう。

 お茶をご馳走になりながら、そこが陶器を焼く窯であること、赤松の割木を1週間炊き続けること、そして安田に店があることを聴きながら、ご主人の名前を聞き漏らしていた。
 
 今日小雨の中を探し求めた。
 恒炎窯、片桐さんという。
 ウィンドウにいい茶碗が見えた。