2015.10.29 風の戯言


 25年も病床に伏せっていた人が亡くなっていた。
 家族葬で、数人の野辺送りだったらしい。

 従兄弟で、いろいろお世話にもなった人で、葬儀の音もなく野辺の送りにも参加できなかった。寂しさと悔しさがゴチャゴチャになって、心の折り合いをつけられないでいる。それぞれの家庭の事情がわかるだけに、ポツンとした寂寥感の中に漂っていることしか出来ない。

 古いCDで、一人ピアノ曲を聴いている・・・。

妖怪

2015.10.25 風の戯言


 俺の身辺に妖怪が蠢いている。

 俺も一応はノーベル賞級の頭(蓋骨だけだが・・・)は持っている自負はある。現代科学で証明不能なことを書き立てるつもりは毛頭ない。しかし、面妖な事件が相次ぐ。これは何なのか ?
 
 誰か俺に呪いを掛けているのか? いやいや、それはあり得ない。俺は日頃功徳を積んで、この世に天国の招来を祈願しているから、俺にそんな罰当たりのことをする奴がいるはずがない。俺は真面目を絵に描いたような人物なのだから・・・。笑っちゃいけない、罰が当たるぞ。

 妖怪は最近頻繁に出現するようになった。
 例えば、必要な時に必要なモノが出てこない。幾ら探しても出てこない。
 後で他のモノを探している時に、全く考えてもいなかった所から出てくる。何故そこから出てくるのか、何故そんな所に入っていたのか、どうして誰がそんな所の仕舞ったのか。

 この妖怪、何やら気味が悪い。

 言っておくが「モノ忘れ」ではない。モノ忘れは記憶違いの親戚で、ベースには「記憶」がある。しかし、その記憶がない。
 従って、現代科学では説明できない。医学なんて祈祷の世界でしかない。

 妖怪は実在するのかも知れない。

 どうやらこの妖怪、いい友達になれそうだ。
 友達になった方が楽しい人生を送れそうだ。

経験は知識に優さる

2015.10.18 風の戯言


 冬の嵐の前のお供え物のようなお天気が続く。
 柿が実り、銀杏の葉は黄色く色づき、秋の青空が拡がる。

 先週の金曜日に、土方時代の中間と飲んだ。
 文字通り、生死を共にしたような仕事中間と飲む酒には言いしれぬ安らぎがある。20歳を目前に現場で事故死した北村のことは、皆昨日のことのように覚えていた。

 同じ世界を生きていた者にとって、言葉にならない想いを持つことが出来るのだろう。酒の手を止め、恥ずかしげな彼の顔を思い出す。

 同じ価値観、それを文化というのかも知れない。

 経験は知識に優さる。
 経験に裏打ちされない知識は、虚ろな響きを持つ。
 本は他人の経験ののだが・・・

嵐の前

2015.10.13 風の戯言


 人間は誰でも、暗い地下室に自分だけの部屋を持っている。

 その部屋の闇は誰にも見せてはならない。

 人に理解して貰おうと、扉を開けてはならない。

 一瞬の風が吹いて、扉を開けても、絶望が待っているだけなんだ。

 太宰はそれを「ウリ」にした。
 見せてはならないものを「ウリ」にし、自分を理解して貰おうと足掻いて、最後には命を絶った。

 彼は宇宙を知らなかったのだろう。

 嵐の前の夕陽と、空行く雲が美しい。
 一瞬の風は、美しい。

 そして、それは愛。

 俺の知らない世界があるのかも知らない。

在郷のとっつぁんの独り言

2015.10.12 風の戯言


 秋が流れてゆく。

 トンボと戯れ、雀とじゃれあい、移りゆく木の葉の色を楽しみながら過ごせる1日は至上の世界だ。

 この一日を過ごさせて貰えれば、生まれてきた価値があった、というものだろう。

 もう、明日からは余録。

 何が待っていようと、惜しむ未来はない。