原節子
大雪予報が当たらず、寒いけれど雪の少ない日々を喜んでいる。
庭の山茶花の木の下は、まだ土が顔を残していて嬉しい。
少し何かが見え始めたのか、飛ばし過ぎたのか、久し振りに血圧が下がり過ぎて、窓から雪雲を仰いでいる。
もう少し生きていることを楽しめ、というシグナルなのだろう。
文春に「原節子と裕次郎」の記事が出ていた。映画監督の木下亮が叔母の会田昌江(原節子)を追悼したものだ。
「東京物語」は1953年、昭和28年と言えばまだ小学生だった頃だから覚えているはずはない。ただ、村の学校の体育館で映画は何回か見た。隣の女の子が気になって、何を見たのか覚えていないけれど・・・。
同じ雑誌に鈴木京香の取材記事もあった。
女優としての心に共通点がある。似ていると思った。
たまには小津安三郎でも見るか。
「置かれた場所で咲きなさい」
文春2月号の書評で渡辺知子「置かれた場所で咲きなさい」が紹介されていた。父が2.26事件の時、目の前で銃殺され現在はノートルダム清心学園理事長をつとめる彼女のことはテレビ、雑誌等で知ってはいた。
ただ、こういう人は苦手だ。
今回は「作家・元外務相主任分析官」の肩書きで、インテリジェンスの世界に棲息した経験と知見から現代を論評する佐藤優が、キリスト者の立場から紹介したこの本に惹かれた。
俺は「ポジティブ・ニヒリスト」を自ら任じている。
無限の宇宙の広がりの中で、自分の存在なんて殆ど無意味。
ただ、生きているからには楽しく生きよう。そんな程度。
「置かれた場所で生きなさい」
人はどんな場所でも幸せを見つけることが出来る。
渡辺知子はそう言う。
俺の場合は先天性のノータリンとしか言いようがないが、子供の頃に両親を失いながらも、兄姉達に育てられた自分は幸せだと思った。
親権者の義兄に「俺は幸せだ」といった時、「そう言ってくれるか ! 」と泣いて俺を抱きしめてくれた。
遠い、思い出。
貧しい大統領の言葉
今日の毎日新聞、「水説」の欄にウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領の魅力的な言葉が載っていた。大統領就任時、資産は約18万円相当の自家用車だけだったというので有名な人。
「貧しい人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、幾らあっても満足しない人だ」
2012年、リオデジャネイロでで開かれた「国連地球サミット」での演説だ。演説全文が世界に流れ、多くの人が共感したという。
「よみがえる戦前日本の全景」も読むに値する本だ。
戦後70年、と第2次世界大戦だけが論じられていたが、戦前の生活、「おしん」の風景にあまり触れられていなかったようだ。その中で、夕飯は10秒、との文章に愕然とした。雑穀を混ぜた1杯の御飯にお湯を掛けて沢庵2枚で掻き込むと10秒かからないのだという。
遊び呆けていた子供の頃、「夕飯時に人に家に行くな」と家人にきつく言われていた。ある時その意味がわかった。
現代は豊かになった。
ただ、「欠食児童」はまだ多いという。
同じ新聞の「余録」の欄に
「人生には第2の機会はない。今、手のひらにあるものを握りしめて前に進むしかないのだ」
戦時下のシアトルの「あの日、パナマホテルで」初老を迎えた主人公が苦難の過去を懐古する一節だそうだ。日系移民の12万人が「敵性外国人」として内陸の収容所に移送させられたという。
パラオの海も美しいけれど、哀しい海だ。
戦いひにあまたの人の失せしとふ
島緑にして海に横たふ 陛下
アジサシ舞うパラオの海の波静か 草風