俺が 裕次郎 だったころ

2016.01.07 風の戯言


 チャンネルを回していたら石原裕次郎の歌が流れてきた。
 裕次郎は良家のやんちゃ坊主で、少し崩れていて、高田工業高校生だった俺たちの「アニキ」のような存在だった。

 映画館を出てくる時は、俺たちは皆「裕次郎」になっていた。
 学生帽にアブラを塗って、少し斜めに被れば「裕次郎の舎弟」になっていた。
 他校の連中と揉め事になり、金谷山で大立ち回りをやる。俺はいつも「立ち会い」、まぁ行司みたいなモンをさせられ、警察の手が回った時、皆が逃げ、俺が捕まる。警察は「またお前か、喧嘩はどうした?」「何もなかったよ」そんな会話で終わり。
 後で聴いたら俺を取り調べた警官は、逃げた中間の親だった・・・、家で親爺がお前のこと褒めてたぞ・・・ナンテバカみたいな話がいろいろあった。

 学校内や他校とのトラブルが発生した時、青田川に架かる橋のたもとの下宿の部屋は談合部屋になった。
 お互いが言いたいことを言い尽くす頃合いを見て、手を打たせる。「いいか、今後は仲良くするんだぞ」なんて。
 皆が俺の言うことを効いたのは、俺の部屋には酒があったから。ヤクザの真似をし一献一献仁義を切って回しのみし、後で橋詰めのラーメン屋からラーメン取ってやると、トラブルなんて何処かにぶっ飛び、みんな仲良しになる。
 山の中の土豪みたいな、土方の親方の家で育てば、そんなになってしまうのだろう。

 高田工業、高田高校、高田農業、能生水産。各校にそれぞれの猛者が居たが、皆裕次郎になりたかった仲間達だった。

 雪の夜に、何か懐かしさが込み上げてきて止らまらなくなるのだ・・・。

遅ればせながら「謹賀新年」

2016.01.06 風の戯言


 高柳の山奥の板前が「石黒はハワイみたいだ ! 」と叫んでいた。「だって、お正月に20センチの雪しかないんだぜ ! 」
 このジョークにすっかれやられてしまってハワイアンを踊りたくなった。
 判るんだなー、雪が降ると「子供が屋根に飛び降りて困ってしまう」と大人が嘆く土地柄、平年だと5メーターくらいの雪になるのか・・・。

 閑話休題
 高速道路を走っていると、蒲原の田圃に白鳥が散らばり、鯖石川の堤防を散歩していると大型のサギのような鳥が遊んでいる。土手の草藪から雀の群れが一斉に飛び立ち、空に舞っていく。
 でも、不思議なことにいつの間にかまた元のグループに戻っている。
 鳥たちのGPS機能と通信機能はどうなっているのだろう。
 Wi-FiにつながったLiNEを楽しんで居るように見える。
 
 いや、果物にも笑顔があったのだ !

 昆虫の世界も凄いらしい。
 小さな、可愛そうな奴、と思っていたがどっこい「彼らは素晴らしい能力を持った人間とは全く違ったモノ達だったのだ。

 現代の眼でファーブルの世界を再探検する必要があるようだ。

 生の世界は素晴らしい。

じょんのび村の雪

2015.12.27 風の戯言


 1週間がぶっ飛んでいった。
  月曜日は来客と取材
  火曜日は上京、顧客年末挨拶
  水曜日は東京、弁護士事務所
  木曜日はうんじゃらげ・・・飲み過ぎ?
  金曜日は胃カメラ、KISNET 20周年宴
  土曜日は・・・何してたんだろう?

 夢は持ち続けるもんだなぁ・・・つくづく思う。
  馬鹿げた夢でも、「出来る!」と思い続ければ情報とネットワークは拡がって行く。

 その中の一つがKISNET柏崎インターネットサービス
  1995年12月24日 クリスマス・イヴにインターネットを開局した。
  以来20年、世界の通信環境は激変を続けている。
  その前、1986年にパソコン通信KISNETを開設。以来30年。
  丸山君は他界してしまったが、当時の中間10人が集まり、昔話から未来への話ま
  で、話は尽きなかった。
  いい仲間に巡り会えた幸せを噛み締めている。

 海からエネルギーを貰えないか ?
  水はH2Oで完全な「資源」、そこから水素を取り出す方法は電気分解が早くから
  知られている。
  ならば、資源と方法はある。後は取り出す方法の革命。

  柏崎にその人が居た。
  夢が近づいた。
  凄い町だ。

冬の日差し

2015.12.20 風の戯言


 窓の外に夕陽が差している。

 先日降った雪が芝の上に残っている。

 何処か、懐かしい風景。

 暖冬は嬉しい。

 COP21でCO2削減や温暖化防止が叫ばれているが、バカを言ってるんじないよ。
 雪国に暮らす者にとって雪は災害以外何ものでも無いからね。

 「雪地獄 祖先の地なれば住み続げり」

 先祖は佐野なんだけどね、17代400年以上もここに住んでいるらしいけど・・・。

 温暖化は賛成だね。

 歳取ると寒さがこたえるし・・・・・・・。

じょんのび村の夕陽

2015.12.19 風の戯言


 じょんのび村の夕陽・・・
 竹の、こんな風景を初めて見たような気がする。

 

 絶望のその先に、仏は居るのかも知れない。

 人は悶絶し、煩悩を根絶した状態を「悟り」と言うらしい。
 日常世界の認識から離れ、宇宙の中に身を置く。

 しかし、それじゃぁ、つまらんだろう、仏は言う。

 慈悲心で利他的に生身の世界に関与する「現実性」

 それも仏の道だという。

 仏の世界も楽じゃなさそうだ。