南相馬市の夢
先週末の「福島」が俺を変えているようだ。
大自然の前で、人間の存在なんて小さなものに過ぎない、そう自分でも悟っていたつもりでいた。しかし、大津波に襲われた後の、町の跡とも農地の跡とも見極めのつかない一面の「平野」。田圃があり、工場があり、商店があり、家庭があり、其々が未来を信じ夢を託し努力を重ねてきたのに、すべてが波に消えてしまった。
仏教の世界では、命はいつ途切れるかも知れないから、いつ終ってもいいから、今日の命を最後だと思って「今日一日」を一生懸命に生きろ。そう、教えているのだろう。
人は運命の逆落としを何時までも悔やむのではなく、100日を過ぎたら諦めと新生への希望を無理にでも胸に植え付けて、信じて生きねば、奈落の底に引きづり込まれてしまう。
胸に涙の壺を抱えながら、温かい笑顔を絶やしてはならない。笑顔は人の心を救う。自分にどんな苦難があろうと、笑顔を絶やしてはならない。きっと、人は幸福を味わい、その幸せが、まだ自分を包んでくれる。
人は生きなくてはならない。
人は、人を楽しくさせるために笑顔を絶やしてはならない。
楽しく生きなくてはならない。
そして、時折誰もいないところで腹の底を絞り出して思いっきり泣かねばならない。
涙は、自分の心を洗い、自分を強くしてくれる。
絶望の原野に工場が再建され、スーパーが開店し、床屋が店を出していた。
がんばれぇ!!!!
産業は「働く幸せ」のもとであり、みんなが明日に希望をつなぐことができる。
頑張ろう!
福島を行く…鎮魂…そんなもんじゃない!
急遽思いついて福島を見てきた。
自分と旅ナビ柏崎の2人の若い人たち。
朝7時に出発し、夜8時に帰社。これで良かったのか、と問えばもっともっと時間をかけなけれ「わかったつもり」にしかならないのだろう。
相馬から南相馬に入り立ち入り禁止の漁港を見させてもらい、福島第一原発20Km 規制の警官と問答し、津波で波返しがわずかに残った岸壁の隅で、鎮魂の祝詞を読み上げてきた。
茫然として帰ろうとした時に、何処から現れたのか老婆が一人黒い犬を連れて突如現れた。綺麗だっハズの集落は1軒も残っていず、屋敷と防波堤の間にあった美しかった松林は跡形もなく、集落の墓地は完全に葬り去られ、隣の家に来たばかりの新婚家庭の嫁さんは、波に消えた。あれ以来毎日探しに出ているが、もう100日になるものねぇ、と涙を流していた。聴けばその「嫁さん」は新潟から来たの人だ言う。
我々が来たのは、その人とのご縁があったからかもしれない、と申し上げたら涙ぐまれていた。「きっと何かの縁がある人なのだろう」と答えた直後から、自分の眼がしらが熱くなり涙が止まらなくなった。
夕暮れ
体調不良でも、心許した友人とは呑ばねばならない。
難儀いとか、健康が心配だとか、そんなことより友人と飲む時間が何に増して価値がある、のだ。楽しい、のだ。
最近は、突然妙に懐かしい感情が流れ込むことがある。
最初は多少苛立ったが、慣れてくると、その流れがどこに向かうのか、さりげなく見つめ続けている自分が居る。頭と心が本体とは別の生き物のように、気ままに、悠々と流れている。自尊心が高く、制御しようとすると気持ちがどん底の深みに落とされていく。
だから最近は、もう一人の自分が、気ままに生きていることを楽しんでいる。
ベッド・ルームに安楽椅子を入れたら体も気分も蘇ってきた。深夜、音楽を聴いたり本を読んだり自由気ままに過ごす時間が何物にも勝る価値を持ち始めている。楽しいのだ。
明日は福島に行ってくる。どうしても「福島」を感じてきたいのだ。 原発から20Kmの避難地域の空気を吸ってこなければ、震災100日の現状をこの目で見て、追悼の祝詞をあげてこないと、自分の時間が前に進まないのだ。
お天気が心配なのだが…。
時は過ぎゆく
何が原因なのか、体調が崩れ最悪の一日。
マッサージ師が呆れるような全身のこわばりが元?
されど予定の打ち合わせや来客、東電関連6社訪問を無事完了。やれやれ ! それにしても心のゆとりがなくなっている。まずは休むが一番かな ?
東電関連企業を訪問して感じることは、やはりゆとりのなさ。1000年に一度という地震に見舞われた故とは言え福島原発の事故は歴史的な事故。影響は計り知れない。中越沖地震の時、柏崎も「可能性」はあった。決して他人事ではない。
政府を非難し、東電の対応を避難することは簡単だろうがこの悲惨な事故を柏崎で起こさないために何をすればいいのか?
祖先の地を追放され流浪の民になるのは嫌だ。
石塚、行動を起こせ !