明日は3.11 1周年

2012.03.10 風の戯言


 祇園精舎の鐘の音
 諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色
 聖者必衰の断りを表す
 おごれる人も久しからず
 ただ春の世の夢のごとし
 たけき者も遂には滅びぬ
 偏に風の前の塵に同じ

 昨年の3月11日は長岡で会議中だった。
 大きな波のような揺れが続いていた。
 会議そっちのけで情報収集したが、このときはまだ全容が見えず「話のタネ」、会議は続いた。
 ただ、テレビや新聞、雑誌で全貌が見え始めると、イライラが昂じ精神的に不安定になってきた。自分の中に築き上げたものが、大きな音とともに崩れていった。

 夏草の中を南相馬まで出かけたのは、鎮魂もあるが自分を見つめ直す時間が必要だった。判っていたようで、人生の意味が見えなかったのだ。
 瓦礫が山になり、至る所に船が打ち上げられたままになっていた。
 荒れ果てた海岸から、鎮魂の詞を海に捧げて貰い、少し何かが鎮まってきた。人は生きている限り、一生懸命生きなくてはならない。生きていることに何の意味も見いだせなくとも・・・それが生きると言うことなんだろう、と。

 最近は不思議なことが多い。
 ふとした風景に出会うと、自分の気持ちが妙に優しく、懐かしさの籠もった気分にさせられる。以前出会った風景、時間の彼方においてきた感情までが浮かび上がってくる。
 本を読んでいて嗚咽や涙が込み上げてくる・・・そんなことは殆ど無かったのに・・・高齢になって、感情の蓋が破れたか?

 人は生き、そして死ぬ。
 何をせよ、と命じられていたら、まだ生き方もある。
 自分で考え、自分で行い、自分を捨てなければならない。
 自らの使命を、自分だけで良いから、納得しなければならない。矛盾し、バランスのとれない不安定こそが、人の定めなのだろう。

 そして、やがて人は神に近づくのかも知れない・・・。 

真冬のハワイアン

2012.03.07 風の戯言


 真冬の真夜中・・・春は近いのだが・・・夏はまだ遠い。

 フルーレイで南の島の音楽を聴いている。

 なにやら自閉症の治療法みたいな感じもするが・・・「南太平洋」や「チコと鮫」の影響がまだ残っていて、生涯に一度は南の島で暮らしたいと思い焦がれている。

 海は不思議な風景で、一日同じ海を眺めていても飽きることがない。荒浜で、グアムで、バリで、そんな経験がある。

 サマーベッドとパラソルに、ビールと雑誌でもあれば、殆ど天国に近くなる。

 雪に閉じ込められて、本当の痴呆症になったらしい・・・。南無阿弥陀仏・・・・

春のまなざし

2012.03.04 風の戯言


 海が見たくなって、荒浜から椎谷岬を回ってきた。

 まだ寒々とした海にボードを楽しむ輩の姿も見えたけれど、その海の向こうに米山が横たわり、手前に東電の柏崎原発が見える。もうすぐ停止になるのだが・・・。

 日本の大きな曲がり角が近づいている。

春のまなざし

2012.03.01 風の戯言


 今日から3月。
 
 朝から晴渡り、八石の山が輝いている。

 もうすく、春 !

春のまなざし

2012.02.29 風の戯言


 明日から3月。

 待ち焦がれているせいか、
 何か、陽射しも柔らかくなったように思える。

 明日は3月

 春はもうそこだ。