吹雪の夜に
昨日から吹雪が舞い始め、前日の春のような青空は何処に行ってしまった。昼間の吹雪を忘れたように、空には凍てついた月が輝いている。
今朝の日経に葉室麟の「おもかげ橋」の広告が載っていたので早速買いに走った。古いCDを聴きながら葉室の本を読んでいると、なにやら昔のことを思い出したりして寂しさの中に沈み込んでしまう。
美季のママから貰った船井幸雄の本「大事なこと」も、「人間は”あの世”が本拠で “この世”を仮の姿」とする話も面白いが、自分はやはり「人間は死んだら無になる」ほうが好きだ。
雪が深く、月も凍てついた夜、酒を飲みながら自分を奈落の底に引きづり込んでいる。絶望の中を彷徨歩いていると、何となく自分らしい感じになり、何かが充足してくる。
最低まで落ち込むと、また「やる気」が沸いてくる。嫌な性分だ。
60年ぶりに恩師と巡り会う
杉本医院の待合室で高齢の女性から声を掛けられた。
「おさむさん・・・ですよ・・・ね?」
一瞬、誰だか見当もつかず「どちら様ですか?」と逆に質問したら「あぁ、やっぱりそうだ。1年生の時の担任の・・・」「えぇ-! じゃ・・・モタイ・シズエ先生 !」
母が亡くなり、義母との関係も難しく、手も付けられなかった小学校1,2年生の時を担任の先生で、中学校の時の佐藤十三朗先生、大学の福田実先生、この3人の先生方に巡り会わなかったら自分はどうなっていたのだろう、と思う。
それにしても、あの時から既に60年が過ぎようとしている。長い教員生活で、多くの子供達を見てきたのに、よくぞ自分を覚えていてくれたと仰天、感謝する。
一緒に行った妻に後を頼み会社に戻ったけれど、聞いたら85歳になったという。とてもそんな風には見えない。
春になったら、60年ぶりの同級会をやろう、とあの頃の仲間に電話している。
良い日もあるんだ、ね。
雪の夜に・・・
題 「現在・・・それは未来からの預かりもの」
自分にとって唯一最大の欠点である「物忘れ」が年齢と共に核分裂の如く破壊力を爆発し続けている。
不思議でならないのが、先祖が館林城を逐われた時の敵将、織田信長10将の1人「滝川一益」の名前が出てこないことだ。不思議と憎っくき滝川一益の名前が出てこない。自分の記憶力の無さを「先祖の怨恨」が続いていると思うことにしている。ただ、この件だけでないのが証明の難しさではあるが・・・。
何が言いたいかというと、「現在・・・それは未来からの預かりもの」と聴いたテレビ番組が思いだせない。ただ、それがネイティブ・アメリカンに伝わる言葉だ、という言葉の衝撃は既に氷着いた記憶力に焼き付いてしまうほど強力だった。
彼らの証言を綴った「一万年の旅路」という本も強烈だった。アフリカの人類発祥の谷間からアジアを抜け、アリューシャン列島からアメリカ大陸を縦断し定住するまでの、文字を持たない彼らの祖先の物語が、一子相伝で伝わってきている。
人生は、生きるに値するものなのかどうか、まだ自分には判らない。ただ、凄い生があるものなんだと思う。